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- 「ニュース」は、なんのためにある? [2008/07/14]
- 「エコ」の意味が、違うんじゃないの? [2008/07/11]
- 完結した名作と、完結させないで駄作になった、あれ。 [2008/07/08]
- また、値上げ………。 [2008/07/01]
- 辛い人の立場に立ってみたら、こうならないと思うけど。 [2008/06/23]
「ニュース」は、なんのためにある?[2008/07/14 09:11] ニュース
私は、テレビはまったく見ない。
音がうるさいからだ。 たとえば見たい番組があってみているとき、合間合間に入る押しつけのコマーシャル。 番組提供だとはいえ、だんだんうるさいだけのものが増えてきたように思う。 ただ、奇をてらって、「なんのCMだったの?」ってわからないものや、「こんなことまでする意味があるの?」と思うCMが多すぎる。 CMに限らず、そういう番組もものすごく増えている。 それがみんな否応なしに入ってくるのがたまらないのだ。 こっちが考える隙を与えない。 ただ目立つこと、売れることを考えるだけのCMや番組は、見ていて見苦しいし、耳には痛い。 そういう発信側の「押しつけ」である情報の氾濫が、だんだん人の思考を麻痺させる。 だからこそ、発信側にはもっと常識を持って、ちゃんと受け手が何かを受け止める、それも納得して受け止める、そんな発信をして欲しいものなのに、そのあたりがめちゃくちゃだ。「垂れ流し」ともいえる情報発信の仕方……それはほんとに見苦しい。 新聞や、ネットでのニュースについては、自分で選んで見ることが出来るからまだいいと思っていた。 だけれども、そのあたりもだんだん怪しくなってきているように思う。 最近思うのは。 文章が「これが本当にプロの書く文なのか?」としか思えないものになってきていること。 もう一つ、「これが本当に、ニュースとして流す必要のあるものなのか?」ということ。 ネットが普及して、誰でも気軽に発信できるようになった。 ネット上には様々な情報が渦巻いている。 テレビのようにただ垂れ流し、というのとはちょっと違うけど、最近はどうもネットの世界にもこういう「押しつけ情報」が増えてきたように思う。 タイトルに奇をてらって、クリックさせようとする情報。 ……もしかして、欲しい情報かと思ってクリックしてみたら中身はスッカラカン。 個人情報の発信のブログに無理矢理割り込むPR。 書き手は何も知らないのに、ブログの設定だかなんだか知らないけどその人のブログの記事として「PR」が入り込む。 これは明らかに、発信者の意向を無視したものであり、読み手にとっては押しつけだ。 品格を感じられない読むにたえない迷惑メールやマルチポストのブログへのコメント。 書いている人間、送っている人間は、恥ずかしくないのだろうか……。 まあ、そんなことを感じる力があればこんなことはしないだろうけど。 必要なニュースだと思って読みに行けば。 一体何が言いたいのか、書き手の意向がまったく感じられない薄っぺらな文。 何も伝えることのない文章を読まされるむなしさ。 個人のブロガーでもよっぽどましな文を書いている人がいっぱいいるのに。 プロのニュースを書く人間が、こんな文でいいのだろうか?と思うような駄文も増えてきた。 そして、「これは一体、ニュースとして必要なのだろうか?」と思うような記事。 たとえば、掲示板に殺人予告があったという記事にしても、電車に落書きがあったという記事にしても、ほとんどは愉快犯で騒がれるのが面白いからやる人間のやることで。 例の秋葉原の事件の前に、犯人が書いた予告文は取り上げなかったのにその後の模倣犯のものははじから取り上げて騒ぎ立てる。 意味がない。 騒がれるのが面白くてやることを、わざわざ騒ぎ立ててお膳立てして喜ばせているだけ。 それを見て、こうすれば騒いでくれると思う人間が、また真似をするだけ。 ニュースは。 情報は。 なんのためにあるんだろう? もっと必要なものを際だたせるためには、こんなふうに垂れ流しの毎日では意味がない。 そして裏を返せば、「くだらない」情報が蔓延しているおかげで「大切な」情報が見えにくくなり、また本当に流れて欲しい情報は流れなくなっている。 送り手側は。 もっと情報を選別する確かな力をつけてほしい。 それが送り手側の仕事なんだから。プロなんだから。 「誇り」の持てない仕事はして欲しくない。 受け手側は。 しっかり情報を選別する力をつけていくべきだ。 流される情報をはじから受け止めて「プロじゃない」仕事まで認めていたら、ますます垂れ流しの中にさらされるのは受け手側なのだ。 情報を選別し、必要でない情報は切り捨てて、自分で考え学ぶこと。 その力をつけないと、垂れ流される多くの情報に押し流されて漂流する羽目になる。 「プロの情報発信者」を育てるのは、私たち「受信者」の側。 「考える受信者」を育てるのがプロの発信者。 この、いい意味でのサイクルを育てないと。 「人間は、考える葦」ではなく、洪水で流され「折れてしまった葦」に成り下がってしまう。 |
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「エコ」の意味が、違うんじゃないの?[2008/07/11 14:43] ニュース
今日、地元新聞のHPでニュースを見ていたら、こんな記事が目にとまった。
低燃費のミニバイクに熱視線 県内で販売や修理が好調 7月9日(水) (前半略) こうした状況に、バイクの各メーカーも「ガソリン1リットルで70キロ以上走行可能」といった低燃費を前面に押し出す。近距離通勤者に人気の自転車と合わせて、店頭で「ちょいエコ生活を」などのキャッチコピーを掲げる店も。 大手のヤマハ発動機販売(東京)の広報担当者は「2輪車の総需要は横ばいか微減が続いている中で、『エコ』は購入者に訴える力がある」と“エコ需要”に期待している。 どうも、勘違いしているような気がします。 「エコ」という言葉について………です。 ガソリンが、値上がりしました。 だから、ガソリン代を押さえるために、バイクに乗り換えました。 それは、私もやっています。 原付では、坂の多い土地であることややや長距離を走ることが多いので、わざわざ普通2輪の免許を取って、125ccのバイクに乗り換えています。 当然、燃費も考えています。 乗り換えたのに、燃費が車とそう変わらない、というのでは意味がないですものね。 今のところは、46〜50キロ、リッター当たりはしってくれていますので、バイクに乗り換えてよかった、と思っています。 そして、たぶんこう考えるのは私だけではないでしょうね。 多くの人がバイク乗り換えを考えるでしょう。 でも、それは、ガソリンの消費量を抑えて地球の資源を守ろう……という視点ではなく、あくまでも「家計を守ろう」という視点です。 そこには「エコ」の視点はまったくありません。 そしてなおのこと、バイクのお店や企業が自分たちの「儲け」に目を付けて訴える「エコ」は、見当違いだと思うのです。 ガソリン消費の抑制にはなるでしょう。 その結果として「原油消費量の抑制」が出来、「資源保護」になることはあるでしょう。 でも本来は、「エコ」というのは自然や地球と共に生き、自分も自然の一部であり、その恩恵に浴するから、感謝してこれを守っていくのだ……そういう意味合いのものであるのではないのでしょうか? そこに、「商売っ気」が入ることは、間違い。 あくまでも、個人個人が人間として……この地球上に生きるものとして持つべき意識であるべきです。 ここを誤解していることが非常に多い。 「エコ」は企業の上っ面をよくするための看板ではありません。 「エコ」はもうけるための売り言葉ではありません。 「エコ」といいつつその実、結果としてかなりの「無駄」を生み出している多くの実例を見るたびに、この言葉をあまりに気軽に使っている人々の姿勢に疑問を感じます。 本当の意味で、ちゃんと理解して行わないと、本当の意味での「エコ」など出来るはずもないのです。 ある意味、「便利さとの離別」が必要だから。 ある意味、「自分のことは自分でやる」手間ひまが必要だから。 すぐに結果の出る、そんな即物的なものではないので、長い時間がかかることだから。 気軽に「エコ」と口に出したときに、それが本当の意味で地球や自然や人々のためになっているのか……そう振り返る瞬間を、必要としなくては、意味がない行為になってしまうと思うのです。 私は、バイクに乗り換えて、ガソリン消費量の削減に努めています。 でも、それは「エコ」目的ではありません。 だから、自分で「エコ生活している」と自慢する気にもなれません。 この言葉を、そんなに気軽に使っちゃいけない気がするので………。 本当の意味でエコを考えるのだったら、ガソリン使うものをやめるのが一番ですよね。 バスや電車を利用して、排気ガスを出して走るものをなるべく減らすのが本当ですよね。 私は、それが出来ません。 だから、「エコ」を実践しているとは、とてもいえません………。 企業ののぞむ「エコ需要」………この言葉を聞くと、何ともいえない嫌悪感が生まれてしまうのは、私だけでしょうか? |
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完結した名作と、完結させないで駄作になった、あれ。[2008/07/08 12:40] ひとりごと
mixiニュースを見ていたら、こんな記事が目に付いた。
「実は結末を知らない完結した名作コミックランキング」 ↑ クリックしたら、記事に飛びます。 一位は、Dr。スランプだそうで。 うん、せんべいさんとみどり先生が結婚したくらいまでは覚えているけど……。 その後どうなったかしら?(^_^;) 4位のタッチ。 私はカッちゃんが好きだったんで………。 彼が、事故死した時点で読まなくなりました。(^_^;) 故に、結末は知りません。。。 15位の動物のお医者さんは、連載時は確かに結末読んだはずなのに、覚えてなかった。 でも、コミックス買って持っているからちゃんと覚えております。 さて、これらの名作といわれたマンガでさえも。 結末は意外と覚えていないのにね。 どっちかというと、途中のエピソードが面白いものばっかりだから最終回だろうがなんだろうが、覚えているのだなぁ。 最後がどうなったか、なんてどうでも良いんだよね、きっと。 面白いから、許されるんだよね。 で。 最近知りました。 かつては演劇マンガの「名作」といわれた「ガラスの仮面」、再連載。 うたい文句は、「あの42巻の続きが読める」ですけど………。 そして、私はあの42巻まで、全部コミックス持っていますけど………。 42巻でてから、一体何年たったんでしょう? だいたい、42巻の元になった「花とゆめ」の連載から、42巻がでるまで何年ブランクがあったんでしょう? そして、連載の時の話と42巻との話のずれのひどさ。絵の劣化。 もう、見るも無惨なんですよね………。 かつては、「紫のバラの人」とか、しろめで言う「マヤ……恐ろしい子」っていう月影先生のセリフとか、かなりはやったけど。 なんか正直、もうどうでもいいや………って感じです。(^_^;) あれはもう、思い出の中の一作品としてこれ以上いじらないで欲しいかも。 ってか、結末も、もうどっちが紅天女獲得しても、マヤと真澄さんがくっつこうが離れようが、なんか関係ね〜って気分です。 正直、読者のことなんか作者の頭の中にはもう、ないんだろうしね。 読者不在のマンガ、読む気にもなれないっす。 今回、連載再開しても、また途中でぶった切られて待ちぼうけ…… そんな可能性のある作品、読む気になると思うのかな………。 それに、ガラスの仮面……って言ってわかる人はずいぶん減っているような気もしなくもないし。 読者あってのマンガ作品でしょ? 読者を置いてけぼりにしちゃ、いけないよね………。 |
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また、値上げ………。[2008/07/01 23:14] ひとりごと
昨日の夜。
セルフのスタンドのガソリン料金の表示。 「レギュラー170円」 さっき。 仕事帰りに見たら、同じスタンドのガソリン表示。 「レギュラー182円」 こんなにめちゃくちゃ値上がりしているのに、人々は前ほど騒がなくなった。 (値上げ前日のスタンドの行列は相変わらずだけど) こうやって、だんだん何も感じないで受け入れるようになっていくのだろうか。 なんだか、ものすごく、怖い気がする………。 わたしは、一昨日、車に思い切りガソリン詰め込んだ。 その後、遠距離以外はもう、絶対に車に乗らないと決めた。 今日も、バイクで走った。 寒かった。まだ、風が冷たくて。 だけど、空気の匂いがする。 バイクにはいるのは4リットルだけだ。 2週間前に入れたけど、まだまだ走れる。 リッター48キロ走るから、このバイク。 寒いのは、厚着すればいい。 雨だったら、カッパを着ればいい。 やたらと高沸するガソリンに、甘んじるつもりはないから。 自分の工夫で何とかなる分は、いくらでも考えて頭使ってやっていこう。 |
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辛い人の立場に立ってみたら、こうならないと思うけど。[2008/06/23 12:05] ひとりごと
某新聞社の教育相談を読んでいたら、こんな記事が目についた。
学校怖がる娘 どうすれば 小学5年の娘は、姉が中学に進学した2年の時、学校を怖がるようになりました。1人で授業に出られるようになった時期もありますが、進級すると「学校行きたくない」となり、実質3年近く、教室で娘に付き添ってきました。今年はまだ教室に入っていません。保健室登校やフリースクールも嫌がっています。 生活の切り替えがない毎日に疲れきっている自分がいますが、娘のことを思うとあきらめられません。担任は苦労をくんでくださっています。こんな風に付き添うだけで良いのでしょうか。 回答 わが子に常に寄り添い続け、寝ても覚めても、娘さんのことばかり考えている親御さんの姿が伝わってきます。 私は小学4年のときに不登校気味になり、理由もなく学校を休んでいました。毎朝、母が学校へ欠席の電話を入れると、「今日は学校に行かなくてもいいんだ」と安心したものでした。布団の中からそっと母の姿を見ると、母は私の心の中を見透かしているような気がしました。 子供は親の姿に敏感で、親のさりげない言動にも何かを感じるものです。 今のあなたにとって、簡単にできることではないと思いますが、疲れきっている姿は、できるだけ娘さんの前では見せないようにしましょう。娘さんはあなたの姿や様子から何かを感じ、不安になるものです。子供の心を安定させるためにも、普段と変わりない親の姿を子供の前では見せるようにしましょう。 (中略) つらい状況ですが、わが子とできるだけ明るく接していきましょう。 回答者は、教育者。 読んでいて、なんかとても冷たい気持ちになっちゃった。 どうして、こんなに必死で頑張っているお母さんに、「頑張っていますね、辛いですね」って声かけてあげないのだろう? きっと、このお母さんは、そういう言葉が欲しいんだよ……心から……。 不登校って、子どもも辛いよ、当然だよ。 でも、見ている親も、もっと辛いんだよね。 質問のお母さんって、たぶん、ものすごく辛くてたまらないんだと思う。 一生懸命頑張って、それでもどうしようもなくて質問したんだと思う。 だけど、この回答じゃ、救われないよなぁ………。 だって、子どもの前で平然と、いつもの親の姿のままにいなさいってことでしょ? 辛いこと1人でかみしめて、外に出さないでいなさいってことでしょ? それが出来ないから相談したんだと思うのに………。 回答者が言っているように、子どもは親の姿に敏感だよ。 だから、なおさら、親が何も言わずに平然を装って頑張っていることもちゃんと感じ取っているんだよね。 それで、親が頑張っているのに、それに答えられない自分は悪い奴だって思って自分を責めるんだよね。 本当は、親も、もっと思いを出していいんだと思う。 自分も辛いし、悲しいけど、でも、おまえと一緒に頑張るからね、だから辛いけど一緒に泣いて悲しんで、そうしながら一緒に前に少しでも進んでいこうね……って、そう子どもに伝えていいんだと思う。 それを、親が平然として我慢していたら、子どもは何も言えなくなっちゃうのにね。 この相談したお母さんは、この回答読んで、もっともっと辛くなったんじゃないかなぁ。 自分の頑張りは、まだ足りないのかって、もっともっと自分を追い詰めちゃったんじゃないのかなぁ? 回答者は、自分の過去のことを持ち出したはいいけど、それはあくまでも自分の視点からはずれていないそれも、子ども視点のままの考えで。 親の視点に立っていないよなぁ………。 こういう回答が、平然と新聞に載っていたら…… 同じようなたくさんの親御さんたちがみんな自分のこと責めると思うのに。 ああ……早く、こういうことに気が付いてあげて欲しい…… 子どもも辛いけど、親だってものすごく辛くて答えを求めていることに。 親に対しての責任を求める社会の空気が消えない限りは、こういう親子の辛さや苦しみは決して消えてなくなることはないということに。 |
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