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人とつながる、人につながる。
[2012/03/04 11:12] ひとりごと
いつの間にか、1人でいろいろやることが当たり前になっていました。

私は3人姉弟の一番上で、母が病弱でよく寝込んだこともあり、弟の面倒をみたり、高校の時には入院した母の代わりに家事を請け負ったり、9才年下の弟の小学校の授業参観に行ったこともありました。

1人で何かやることが当たり前で、逆に1人で出来ないことがあるとそういう自分が許せなくて、できるようになるまで徹底的に頑張る人間でした。だから、子供のころから計画的に物事を進め、無駄な時間を過ごさずにてきぱきとできるだけ多くの物事をこなせるようにと工夫する人間でした。

それは、家庭を持つようになるまでずっと続きました。
自分の出来る事を組み合わせて計画を立て、そしてそれが実現するように足りない力を勉強や努力でつけていき、自分に必要だと思えば研修や講座を受けまくりました。

おかげで、大概のことはできるようになりました。
1人の人間として生きて行くには……多分充分すぎるくらいのものを身につけたんだろうな、と思います。
学校の先生としても、その力はとても役に立ちました。

子ども達の前に立つときに、さまざまな技能や技術で子ども達にいろいろな「学びの面白さ」「出来る事の喜び」を感じさせる工夫ができました。とっさの時の臨機応変な対応にも、そういうものはとても役に立ちました。

けれど、それはあくまでも「自分ひとりの生活」が成立する段階での満足でしかありませんでした。

家庭を持ち、自分の時間が自分1人で思うように使えなくなる。
それは決して、いやなことではありません、むしろ幸せなことでした。
だから、自分のためだけでなく、家族のためにより時間を有効に使えるようにと私はさらにさまざまな学びを求めました。

自分と仕事と家庭と。
この3つ共をしっかりと成り立たせよう……それも、生来の完璧主義が伴って、どれも「しっかりとした形で」成立させよう。……その思いの中に、私は自分の精一杯をつぎ込んでいったのです。

結局、それは無理なことでした。
だって、私は1人で生きていたわけじゃなかったから。
私と、家族。そして学校の生徒や先生たち。
みんな違う人生や違う思いを持って生きているわけですから。

私の想う「理想のかたち」「完璧なすがた」が、周りの人たちにとってそうであるとは限りません。当然、そこにはゆがみもぶつかり合いもできるのです。

そして、そこで、私は「1人で頑張ること」の限界にぶち当たったんだと思います。

うつ病になりました。
まず、1回目のうつ病で、仕事の場で1人で頑張ろうとすることの限界を感じました。

復帰して「人と生きること」についてを考えるようになり、なんでも自分でやろうとするところから、周りの人間を見つめるようになったのかもしれません。
そこで私は、カウンセリングを学びました。その頃の私には、やっぱり必要だったんだと思います。

そして、今度はひとりで周りの人間すべてを守ろうとして、また壁にぶち当たりました。
2回目のうつになりました。

2回目のうつから立ち直ろうともがく中で、自分1人ですべてを守ることが無理であり、たくさんの人が自分の周りにいて、一緒に頑張れる人もたくさんいて、自分がすべてをやろうとしなくてもちゃんと同じ思いで頑張ろうとしている人もたくさんいることを学びました。

「つながること」によって、自分1人では出来ないこと、なしえないことが出来る事。
それを私は、2回目のうつから立ち直ってここに至るまでに感じて来たのだと思います。

今でもまだ、1人で頑張ろうとする自分は残っています。
でも、それはそれで、愛おしく想う自分がいて、そんな自分をきちんといたわりながら、けど、人と共に力を合わせ、出来ない事を補い合いながら進むために……そのために、自分が何ができて、どんな関わりができて、……もっと言うと、自分が「この世の中に何のために存在しているのか」が見えてきたような気がします。

私は、いろんな力を身につけ、いろんな技能を身につけて、それによっていろいろな「経験」を重ねました。
多分、その経験は、いろんな面で役に立ちます。いろんな人の、いろんな立場を理解するのに役に立つのです。
そうしたら、そんな私に出来る事はなんなのか?

人と人とを繋げること。

これが、私がこの世に生まれてきて出来る事なんだ。
そう思うようになりました。

今、私は、新しいプロジェクトを計画しています。
「信州あそびの杜学園」というプロジェクトです。

長野県四季ロゴ入り


うつや不登校、引きこもりなどで「外の世界」とつながることが難しい人たちに、外との風穴を開けて「内と外とを繋げる」こと。

世の中や周りの人たちのために頑張っているたくさんの個人やグループ、学校や団体やプロジェクトがものすごくたくさんあるのに、なかなか横のつながりができません。そんなそれぞれがお互いの持っているものをより広い社会に活かしていき、それぞれの足りないものを補い合うことができるように……そんな「社会のために頑張っている人びとを繋げてネットワークを拡げる」こと。

それから、「学び」を求めるたくさんの人がいて、本当の学びが埋もれてしまいつつある中、真の「学びの場」を作りあげている場所も人もたくさんいる。そういう場を生み出す可能性を持ちながら、なかなかそこに至れない人もたくさんいる。そういう「真の学びを結びつけてどこでも学べる場にしてしまう」こと。

そしていずれ、長野県という豊かな自然と資源を持ったこの土地を、「1つの学校」としてしまうこと。

そんな流れを作りたいと、そう思ってはじめます。
もしかしたら、こんな風に進んでいったら。
長野県が1つの「信州学園」として成立し、それがたとえば「北海道学園」とか「福島学園」とかと結びついて、その先日本自体が1つの大きな学びの場として「日本学園」になっちゃったらすごいなぁ~。

そう、日本はそれだけの国なんだとわたしは信じていますから。
日本の国はそれだけ豊かな自然と……そして、豊かな心を持つ人びとを有する国だと誇りに思っていますから。

それを教えてくれたのは、昨年の3月11日の東日本大震災と、よく3月12日の長野県栄村を震源とする長野県北部地震でした。

もうすぐあれから一年たちます。
一年間で、ここまですすめることができました。

この先、私にはあとどのくらいの時間があるかはわかりません。
でも、私が進み、私がより多くの人とつながり、そして、そこで、地域が育ち、子ども達が育ち、さらに多くの人やものや地域とつながって拡がっていったら、たとえば私がそこからいなくなっても………私が「1人で何もかも頑張ろう」としなくても、そのつながりはその先の道をどんどん拡げていくのだと、そう思います。

たぶん。
ひとりで何もかもできていたとき。
私の「世界」はそこまでの狭いものだっただけなんです。

けど、私が1人で生きていくだけではない広い世界がちゃんと存在した。
だから、私は、自分1人の限界を感じ、周りにもっと広いものが開ける可能性を感じた。

つながることの意味と重要性と……そしてもっというとその「可能性」は無限です。
どこまでも拡がっていく宇宙は無限なように。
人につながり、人とつながり、そうして拡がっていくネットワークは……また無限の可能性を秘めているのです。

そんな思いの中ではじめます。
「信州あそびの杜学園」。

IMG_7371.jpg


4月からスタートに向けて、現在準備中です。
もし、この記事を読んで何かを感じて下さったら。
あなたもどうぞ、あなた自身の大きな可能性を持ってこのネットワークにつながって下さい。
お待ちしています。


FBページ「信州あそびの杜学園」→https://www.facebook.com/asobinomori
HPは現在準備中です。
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≪3月11日は「はじまりの日」でした。 被災地をめぐっての3日間~7希望が生まれる時≫
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