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「好意」「想い」の行き先は、いったいどこに?
[2011/04/01 08:24] ひとりごと
最近、ずっと気になっていること。

災害が起きて、被災者がいまだに避難生活を余儀なくされて、あちこちに大きな爪痕を残し、多くの命が失われた。
それに対して「何かしたい」という気持ちをもって多くの人が動いている。

まずは、今、突然起こったことに巻き込まれて「普通の生活」ができない状態にある人、悲しみや苦しみのさなかにある人が再び力を得て生きていくことができるようにと考えることが最優先事項なのはたぶん誰もがわかっていることだと思う。

では、そのために何をするのか?

さいしょはとにかく、情報が必要で。正しい情報を得てそれをもとに動くことだった。

その次は。

少しでも余力のあるものは、その余力を「復興」のために使うこと。
たとえば節電の協力。
買いだめをしないこと。
暖かい居場所の提供。
動けるものはきちんと「普通の生活」を動かし、できる限り社会を停滞させないこと。

……そして「物資の提供」。

この物資の提供において、ずっごわたしは疑問に思うことがある。

支援物資は、最初の頃は送るものを指示されて、個々ではなく市町村などの公的機関が中心になって集めるように求められた。
それは金銭的なものも同じだった。

確かに、それぞれで好き勝手にやられては混乱が起きるのはよくわかる。
ダイレクトに被災地と連絡が取れるわけではない個人のものは、被災地が本当に必要とするものが何かもわからないからそれがボランティア活動にしろ、物資にしろ、金銭にしろ、それぞれ勝手にやったら不公平や不平等や「親切の押し売り」が起きてそうでなくても混乱している被災地に迷惑を掛けることになる恐れがあることもよくわかっている。

だから、とにかく情報を集めてできる事をできるところに……と思ってずっと見てきた。

支援物資については、買ってまでやることで市場に影響をもたらすことが明らかだから家にあるもので……といわれるのもわかった。けれど自分の家にはそう買い置きがあるわけじゃなくて、新品に限定されたら何も出せず、小さなものを箱でまとめて、といわれたら日頃からまとめ買いをしているわけじゃないのでやっぱり何も提供できず。

では、せめてお金を……と思ったときに、ここでもいろいろ引っかかることがでてきた。

たとえば。
地元のイベントでライブを行うことが決まっていて、そこで募金をつのろうとしても「個々ではダメだ」とストップがかかる。どこで集めてもとにかく赤十字がまとめるしかないのだからあちこちで勝手にやられては困る、ということらしい。

では、「正規の手続きを経て」募金活動をしているところに、と思ってチャンスがあれば可能な金額を募金し続けてはいるけれど。
自分の「好意」「想い」のこもったお金は、この先いったいどこに行くのだろう?

著名な人が多額の寄付をした、というニュースを聞く。
もしくは著名人が募金を呼びかけて集める、ということもあちこちで見かける。

その一方で一向に避難所から離れられず固い冷たい床の上で寝ている人がいて、被曝の恐怖と闘いながら現場で必死に闘っている人がいて、自分の家族が被災したり、家族と遠く離れたりという状況に耐えながら救助活動を行っている人がいて……。

自分のいました募金が、いったいこのどこに役に立つのだろうか?ということはまったくわからない。

そういった現実の前に「募金詐欺」が出てくるし、もしくは義援金を集めてもその好意を疑われる風評が流れるものがあり。次第に「募金」という言葉を見るたびに素直にその文字に従っていいものやらどうかを考えなくてはならない状況まで発生している。

さらに、ここに来て「復興財源の確保」という名目で様々な予算がそちらに向けられることが報道されている。
子ども手当(中学生まで月額1万3000円)の支給を半年間延長、在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)に関する新しい特別協定も承認、ガソリン減税制度、廃止の検討。
さらには「増税」の声までもささやかれ始めている。

国の危機に際して、莫大なお金が必要で、そのために緊急で財源を確保する必要性は充分わかる。
だけど、そこでどうしても引っかかりが残る。

「では、そのお金は必要なところに本当に充分に至るのだろうか?」

それを決めるのもお役所のことだ。公共の機関が行うことだ。
そしてその中身は、あまり一般に公表されることがない。実際に数字が公表されたとしても、その効果がきちんと公表されるわけではない。

募金にしろ、増税にしろ、必要であり必要な場所に充分な支援が行き渡るのだったら喜んで協力したい。だけどそれが本当に必要なのか、本当にちゃんと行き渡って本当にきちんとした効果が現れたのか?

そこまでをきちんとしないでおいて、ただ「みんなの協力」を呼びかけるだけではいわゆる「お役所仕事」。

好意がちゃんとした好意として生かされるように。
想いがきちんと想いとして届くように。

想いや好意はなぜ発生するのかといったら、それがきちんと届くためであって、「行為自体」に満足するためではない。その好意に満足しているとしたらそれは「偽善」であり「かっこつけ」にしかならない。

そうならないために……すべての人の好意や想いを本物にするために……それをとりまとめる期間や役所は、心して人びとの想いや好意を受けとめて適正な形でそれを生かして欲しいと切望する。

そのためには必要な情報をきちんと公にして欲しいし、だれでもがきちんと理解できる形にして欲しい。
被災地が本当に必要な形で必要なところに行き渡るために、全力を尽くして欲しい。

私はその情報を集めながら、この先も必要なところに自分でできる事をできるだけしていきたいと、心からそう思う。




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