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人前でずたぼろになってみて、見えたこと。
[2010/04/24 10:05] ひとりごと
教師という仕事を辞めてから今日までに、学校の外の人たちととてもたくさんの「出会い」があった。

学校の先生をやっていた頃は、世界が「学校」に限られていた。
それがすべてで、「外」がなかなか見えなかった。
そしてある意味、見ようとしていなかった部分もある。

うつという病気になって学校を二回、休職で離れたとき。
学校の外から、学校を見た。
そして、学校の外から学校を見ている人たちと、たくさん話をした。

そして思った。
わたしがこの先、やってく事は。
自分がこのあと出来ることは。

学校の中には、もうないこと。
学校の外から、学校の中を知るものとして、学校に大切なものを伝えて拡げて、つなげて創り上げていくことだって。

だから、先生を辞めてから自分に出来ることをいろいろやってみようと思った。

人の表現を助けること……音楽の指導とか、演奏のお手伝いとか。
家庭教師で1人1人の生徒の躓きや迷いを拾い上げて、勉強の楽しさを感じてもらうこととか。

写真や文章で、自分の感じとったものを、そして人にとって大切な想いを汲み上げて、それをブログやSNSの日記やウエブマガジンの記事やメルマガで、人に伝えることとか。

そんな毎日の中、本当にたくさんの人や情景に出会い、その想いに触れ、共鳴し……出来ることをちょっとずつやってくる中で思ったこと。

それが、「歌」への想いだった。

小さい頃から、歌があって。
わたしが自分の表現手段としてちゃんと磨いてきたのも「歌」で。

わたしも、歌を歌いたい。歌で伝えたい。
そういう想いが湧き上がってきたけどどうしていいかわからずにいた。

それを感じた人にきっかけをもらったので、昨日「オープンマイク」のステージで本当に久しぶりに、歌を歌った。


…………ずたぼろだった。

何がずたぼろだったかって。

なにもかもが、だ。

あがってて、声はぶるぶる震えるし。
2曲目、歌詞がぶっ飛ぶし。
時間制限無視しちゃったし。

当然、中途半端なステージ構成だったし。
必要なことは伝えきれず、余計なことがいっぱいになって焦点ぼけたし。


人前で歌うのは、今まではちょっと大きなステージで、だった。(市民会館とかホールのような)
お客さんをすぐ間近に感じる事ってあまりなかった。

歌う場は、「コンサート」の経験はあっても「ライブ」じゃなかった。
そういう違いさえも、多分わかってなかったんだなぁ。

人の「表現の手伝いでの歌」は歌っていたけれど、自分が真ん中で表現するのは……もうずっとなかった。
だから多分、やりたいことが頭の中にも体の中にも、ぱんぱんに詰まってしまっていて。

それが一気に爆発しちゃった……というのもあるかもしれない。

歌詞、ぶっ飛ぶことは今までだってさんざんあったけど。
今まではちゃんと上手くつなげられる余裕はあった。

………昨日はそれがまったく出来なかった。

時間の調整も出来なかった。
持ち時間の配分も、残り時間への配慮も、それへの対応も出来なかった。

これも、そういうことに頭がまったく行ってなかったからで。

………同じ経験をした覚えがある。
まだ、新卒のぺーぺーの先生の頃だ。

「教案」ってものを書かされる。

指導案を書いて、どんな指示を発するかとか、どんな質問をするのかとか、生徒の答えに予想されることも書き込んで、それぞれに細かく時間配分をして、授業を組み立てる。

でも、若い頃経験が浅かったんで、何にどのくらい時間がかかるかわからずに、時間配分まったく予想できず、「授業でやりたいこと」「やらなくちゃいけないこと」を思いつく範囲で書き込んで、それで時間構成をしていた。

………その通りになんか、行くはずない。

だから、授業本番で、焦る。

「ここまでやらなくちゃ」「これは、なんとしてもいれなくちゃ」

そういう想いが先に立つから、生徒の顔なんか見ていない。
自分の想いでいっぱいいっぱいで、予想外の発言が出てくると、それを受け止める余裕もなくなる。

結果、ずたぼろ。

そういう経験を積んで、「伝えたいこと」が結局授業の最後にちゃんと伝わっていればいいのだ、何も教案に書いたとおりに運ばなくても、最後の目的さえぶれないで、その観点で生徒を見て、発言を受け止めたら、ちゃんと目的に到達できるんだ………ということが見えた。

それから教案なしでも、最終目的だけ決めて授業を組み立てて、教材用意して、時間通りにちゃんと「生徒を見ながら」授業が出来るようになっていった。

予想外の反応や、想いと外れた発言も、ちゃんと汲み上げて受け止めて、授業の流れにとけ込ませることも出来るようになった。

なんかね、それを想いだした。

大事なのは。
自分がやりたい、じゃなくて、何をどう伝えるか、であって。

昨日は、まじで……人生の中で2回目の浮き足だって自分が自分じゃない状態におちいっていた。

もう一回は、去年の夏の研修の時に起こったもので。
その時も、めちゃ落ち込んで、自分がどうしようもない、と浮き上がれない気分だったんだけど。

昨日も……かなり落ち込んだ。

でも、だから。
今まで、捨てたつもりでもまだこびりついていた「こだわり」が見えた。
自分がほんとにやりたいこと、自分がほんとに伝えたいもの。それが、やっと見えてきた。


わたしがやりたいのは。
「歌を歌う」事じゃない。

わたしがやりたいのは、「歌で伝える」事なんだ。

わたしよりも上手に歌う人だったら、山ほどいる。
技術的に手の届かない人ばかりで上を見たらきりがない。

そういう人に対抗したいんじゃない。
自分が上手いんだって誇示したいわけでもない。

わたしがしたいのは、今まで私の中に積もり積もってきたたくさんの「想い」や「経験」や「情景」や「知識」………そういう自分の得た宝物を、歌に乗せて、人に伝えてわけあうこと。

そして、そういうものを材料に、聴く人からもその人それぞれの「想い」を引き出していくこと。
音、声、歌を通じて、人の想いをつなげること。

やりたいのは、それ。
伝えたいのも、それ。

ずたぼろになって、なんであんなだったかよく考えて。
それで、見えたこと。

やっぱり、人の前に立つ事って、大事だね。
いくら自分の頭で考えていても、それは想像の域を超えないから、机上の空論にしかならないんだ。

学校にいたときは、毎日の授業がとてもいい「ステージ」だった。

今は、自分からステージを探さなくちゃいけない。
だけど、それをすることで、自分の「表現」を高めたい。

先生だった頃は、生徒たちがわたしの観客で、生徒たちがわたしを先生として高めてくれた。

今は、お客も自分で探さなくちゃいけない。
だけど、いつでもどこでも、そういうつもりでいたらちゃんとお客さんになってくれる人は周りにいる。

だから、発信し続けて、どうしたら届くか考えて。どうしたら伝わるかを一生懸命に考えて。

そうして伝え、拡げ、つなげていくことが出来る自分になりたいと、そう思った。
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[2010/04/24 10:27] | [ 編集]
すごいね
読んでいて、最近私もズタボロで、人を動かす根回しに慣れてしまって、それが覆されて、四面楚歌状態(笑)

でも、何かは判らないけれど「あきらめい」と思ってる自分がいる。

何を諦めないんだろう(笑)
それも判らないんだけどね。

ずっと、人のサポートをしてきてそつなくこなしてきた自分が、今はズタボロになってる。
でも、それがイヤじゃないんだな(^^)
[2010/04/24 11:54] URL | カラフル [ 編集]
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