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「教育」はもうおしまい~生徒指導編2
[2007/02/23 11:21] 教育・学校
さて、先頃「君が代の伴奏拒否」してやめさせられた先生の裁判での敗訴が決まった。

これについては、詳しい状況がわからないから何とも言えない。
それから、君が代や日の丸問題でもいろいろな意見や考え方があるから、「こうあるべきだ」などということは出来ない。

ただ、私はこうしてきた、という話なら出来る。

私は「国から」「行事に君が代斉唱を」との「指令」が来たときには、正直いって反対した。
この敗訴した教師と同じ「音楽教師」であるので、当然「全校に指導」「音楽でも指導」「行事では伴奏」というものがセットになって私にのしかかってくる。その仕事が増えること自体はそうたいしたことがないけれども、問題は「国からの指示」で「強制」のイメージが強かったことと、それからその中には「君が代」や「日の丸」の背負ってきた物に対しての認識が感じ取れなかったからだ。

というのは、君が代も、日の丸も、非常にシンプルで美しい物である。けれども、国歌として、国旗として正式に制定されていなかったこと、それからもう一つは、「戦争」の時に誤った解釈をされて利用され、それ故にこの歌やこの旗を見て「心が痛む」人々がいる、ということに対してのフォローがなにもない…逆を言えば、これを「強制」することで「昔の日本のあやまち」を繰り返す思惑があるのではないか、「昔の日本のあやまち」に目をつぶってしまうことになるのではないか、という危惧を感じたからだった。

何人か同じ気持ちの先生達と職員会でそれを訴えたが、問題にもされず、いつの間にか当たり前のようにこれらが行事では使われるようになっていった。

しかし、「学校」という場に勤めている以上は、職員会で決まったらちゃんとやらなければならない。もし、その事でごたごたしていやな思いをするのは生徒なのだから。だから、私は「君が代」の指導の場に立った。

それに、いけないのは「君が代」ではない。「君が代を利用してきた歴史」にあるのだ。だから、これだけはきちんと生徒に知らせなくてはならない。それが「先生」の仕事だ…。

「君が代」は非常に美しいメロディーで、言葉も覚えやすく、教えはじめると生徒たちは時々廊下でも歌っていることがある。これだけなじみある歌なのだから「国歌」としては適しているのだろう。

しかし、戦争中はこれを「天皇をたたえる歌」だと解釈し、「国のために尽くせ」という意味合いで歌わされた。日の丸はそういう日本の象徴であって、今まだ残る戦争の傷跡が、この歌やこの旗を見ることでうずく人もいるのだ。

そういう「歴史的背景」を無視してこの歌を気軽に歌うことはできない。

だから私は、必ずこの曲の指導の時にこういう話をすることにした。この美しいメロディー、この美しいデザインの物たちも、「戦争」という誤ちの中で利用され、泥を塗りつぶされた時代があったこと、もう二度とそういうことを繰り返してはならないこと…。

そういう気持ちを生徒に伝えてから私は君が代を指導した。行事の場でも、そういう思いを込めて伴奏してきた。


「生徒の指導」をすることは、単に「強制」すること、「決まりだから守りなさい」と押しつけることではないと思う。

たとえば、身近な話題で言えば「たばこ」。

先生の中でも吸っている人がいる。なのになぜ僕らはいけないの?
そういう疑問に「決まりだから」「未成年だから」という指導は意味がないように思う。

私は、たばこを吸わない家族の中で育ち、のどが弱くてたばこの煙は嫌いだった。だから別に吸いたいとも思わず、むしろ避けてきた。でも、大学の時に、何かのおりにちょっと吸ってみて、「たばこって心が落ち着くんだ…」と思った時期がある。むろん、その時期が過ぎたらちゃんとやめることも出来たけれども。

それからは、私は単に「ダメ」と拒否することはしなくなった。

何でも「悪い」ことはないのかもしれない。ただ、「なぜそれをしたか」「それをすることでどうなっていくのか」が、まだ経験の少ない生徒たちにはわからないことも多い。

それを「語り合う」ことが先生の役目じゃないだろうか。それが「生徒指導」の本当の意味じゃないだろうか。

小学生も、中学生も、「子どもだから」という目ではなく「同じ人間だから」という視点で見ると、結構しっかりと物を考えているのだ。その生徒たちに対して「単に上から押しつける」だけなのは「指導」ではない。

生徒たちに自ら考えさせ、どうするのが自分にとって一番良いのか、という結論を一緒に考えていくのが「指導」なのではないか、と思う。その中では先生は「自分が」という意識ではなく、「自分はこうするけど君たちは?」という視点でそれに当たるべきじゃないかと思う。

「君が代」を弾かない、というのは「人間としての思惑」ではあるけれども「先生」としては適切な行為であったとは私には思えない。そこには「生徒」という大切な者たちへの視点が考えられないからだ。

「先生」である以上は常に「生徒」を意識した「指導をする」ことが必要なのではないか…と思う。一緒に考えていく、という行為が必要なのではないか…と思う。




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≪ごぶさたしています。 「教育」はもうおしまい~生徒指導編1≫
コメント
君が代
コマちゃん素敵です。
只、反対するだけでなく、きちんと自分の気持ちを伝えるのは大切だと思います。
いやだから従わないと言う教師の方々、生徒が皆、いやだから言うこと聞かないと言ったらどうなるでしょうか。
拒否の仕方も、生徒に実践して教えてほしいものです。
しかし、アメリカ人は本当によく国家を歌います。
日本人も皆が愛する国家があったら良いのにと感じています。
[2007/02/26 23:44] URL | 遠い国から [ 編集]
ほんとうですね。
国を愛するこことをうたった教育基本法を作る前に、本当に愛すべき国を作るのが先だと思っています。

日本にはすばらしい文化と心が育ってきたはずなのに、欧米化ばかりに目を置いてそれを見捨ててきておきながら今さら国がそんなこと言っても…という感じがします。

本当に正しい物やことを伝えられる教師になりたいものです。
[2007/03/15 11:54] URL | コマちゃん [ 編集]
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