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「教育」はもうおしまい~教案編
[2007/02/19 00:35] 教育・学校
教育実習の時、一番時間をかけて指導されたのは何かというと「教案を書くこと」だった。

授業の主題、目標、注意事項、予想される生徒の反応、そして板書計画や発問の言葉まで事細かく授業の前に書くことを要求された。

こういうことは苦手ではなかった。
ある程度頭の中でテーマをまとめ、子供たちの顔を思い浮かべながら発問や板書することを書いていく。
時間はかかる作業だったけれども、でも嫌いではなかった。

そして思いつく限りの準備をして教材研究もし、毎回授業に臨んでいた。

しかし、指導教官からの評価は、
「きみは、指導案はいいけれど、実際の授業との差が大きすぎる」
だった。

しかし…考えてみれば、これは変な話なのではないかと思うのだ。
確かに、経験も浅く実際に指導するのに時間がどのくらいかかるのかもまだ見当もつかず…その実習生にとって「教案通り」に事を進めることはやはり至難の業なのだ。

さらに、もう一つ「教案」があることでしばられるのがいやだった。

生徒たちはクラスに30人以上いる。
30人いれば30人の生き様がある。
けれども指導する私は私自身の体験してきたことしかわからない。

そうしたら、教案…自分の体験、自分の学んできたものの範囲でしか書けないこの指導案どうりに物事が進むはずがないのだ。

けれども、「指導案」という「目安」…というか「達成すべき目標」があるとしたら、なるべくそれに添った授業を…最初のうちはそう頑張ってみたものの、それにしばられていると生徒の「突発的な発想」や「思いもかけない反応」のひとつひとつを見落としたり、対応できなかったり、残念に思いながら切り捨てたり…そのたびに胸が痛かったのでそのうち私は「指導案」は完璧に書いてほめられたとしても、それに捕らわれることはやめようと思ったのだ。

まじめな私の指導教官はそんな私の授業を渋い顔で見ていたけれども、もうひとりの教科の先生(他の教生の指導教官)は結構おおらかに喜んで見てくれて、「面白いよ」と言ってくれたので救われたのかもしれない。

教案というのは「机上の指導」であって、実際の授業は「生きている生徒との人間同士のやりとり」なのだから…その通りには行かなくても最後に「目標(主眼)」を達成できればそれで良い…私の実習中の体験は、それ以来ずっと今まで私の中につながって来ているのだ。

実際、その考え方で授業に臨んだ方が生徒がずっとよく見える。
「私にとっては」教案はかえって「目隠し」になってしまうことがよくわかったので…じっさい、「先生」になってからも、やはりそれは何回も身に染みて感じたので…私は「机上の理論」である教案はあくまでも「目安」にとどめることにした。

そして、教育実習の時にもっと知りかかったことは…「教案の書き方」ではなくて「実際の生徒に対してこんな風に対応する」という指導教官の体験談だったのだけれども…それは残念ながら教案指導の時間にほとんど費やされてあまり聞くことは出来なかった。

このあたりの実際は、今はどうなっているのだろう?
もうかなり昔の思い出だけど、でも、あまり変わっていないのかもなぁ?と言うのを新しく採用される先生達を見ていても感じることが多い。


あと、もう一つ…。

「机上の空論」よりも「生徒との実際」を学びたいと思うのが「研究授業」なのだ。

これも教案がらみなのだけど…研究授業。これに割く時間がもったいないと思う私の思いはまた長くなるので、研究授業について語るのは次のブログにまわそうと思う。

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