スポンサーサイト
[--/--/-- --:--] スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)
この記事のURL
             
「平等」と「公平」
[2007/01/27 00:59] 生活・自然
言葉というのは、本当に「心」が入っているかどうかが読んでいて良くわかる。
だから、私は言葉の使い方には細心の注意を払う。
特に、生徒たちに対しては少しでも「差別意識」や「人を見下す」思いのこもった言葉は決して許さない。

そのひとつに「ひいきだ~」という言葉がある。

気軽に生徒が使う言葉だ。
けれども、私はこの言葉は見過ごさない。

「ひいきだ」という言葉には、「自分には目をかけてくれない」という「自己中心」的な考えが含まれている。もちろん、完全に「ひいき」だと思われることに対してはこういう抗議も有りだけど。

学校では良く、生徒がいう。
たとえば、ある子どもだけに手助けをしたとき。
ある子どもだけに、給食の分量を加減したとき。
ある子どもだけに、付きそう時間を増やしたとき。

けれども、これは本当にひいきなのかどうか。

たとえば、ある子どもは食が細くて給食の分量が食べられない。
ある子どもは、嫌いな食べ物があって、それは欲しくない。

食の細い子どもには、その分量を減らして、嫌いな子どもには減らさない。

これは「ひいき」になるのだろうか。

ある子どもは、算数の数式を理解するのに時間がかかる。
ある子どもは、考えるのが面倒くさいから先生に来てもらいたいと手をあげる。

理解のかかる子どもに時間を割いて、自分で考えれば出来るはずなのに面倒くさがって手をあげる子には付く時間をそれほど割かない。

これは、「ひいき」になるのだろうか。

今の子どもはみんなこれを「ひいきだ!」と騒ぐことが多い。

皆さんはどう考えますか?




わたしは、ひいきかどうかは、「その子のためになるかどうか」を規準に考えています。
学校の教育は、みんなが「やった、出来た」という実感を持つために行われるべきものであると考えます。

その子の持つ問題を見抜いて、その子のためには何が必要なのか。付きっきりで見ることが大切なのか、突き放すのが必要なのか。
条件を優しくすることが大切なのか、きつくすることが必要なのか。

それを見抜くのは教師の力だと思っています。

そして、「どの子も成長する」ことをめざすのが、教育の「公平性」であり、「平等性」だと思います。

運動会のかけっこで、みんなを一等賞にしても、「成長」がありません。
早い子は、その速さを認め、褒めてもらってのび、おそい子は、負けて悔しいから頑張ろう、という気持ちを持つことで成長します。

しかし、子どもにも差があるので、負けて悔しくてのびる子は良いけれど、そうでない子はどうすればいいのか。
それは、その子の「のびるところ」を見つけて違うところで伸ばすことが必要なのです。

それが本当の意味での「公平」だと思います。「平等」だと思います。

今は、そこのところを勘違いしている人が多すぎるような気がしてなりません。
「えこひいき」という言葉からは、なにも成長が生まれません。

私は、そう思って子どもを見る目を養おうと思っています。
スポンサーサイト
生活・自然 | トラックバック(0) | コメント(2)
この記事のURL
≪機械だって生きてるよ。 安倍首相さまへ≫
コメント
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
[2007/01/27 15:10] | [ 編集]
今ってさ。
運動会じゃタイム順に走らせてみたり。
成績張り出すことをしなかったり。
そうすることが「平等」だと思ってるみたいだけどね。

勉強のできる子、運動のできる子、絵の上手な子、歌が上手な子っていろんな子がいるんだよね。
ほんと、コマちゃんの言うとおり「それぞれの良いところを伸ばす」ってことをしないよね。
ぜーんぶの芽を摘んじゃってる気がする。

いつからこんな風になっちゃったんだろう。
少なくとも、私が子どもの頃はこうじゃなかった。
だから、いろんなことにがんばった。
何が変わって今みたいになったんだろうね。
やっぱり、大人が変わったのかね。
[2007/01/29 11:30] URL | とんこ。 [ 編集]
コメントの投稿














コマちゃんへの秘密のコメントにする

トラックバック
トラックバックURL
http://komacafe.blog6.fc2.com/tb.php/419-c05e3dc1
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。