スポンサーサイト
[--/--/-- --:--] スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 | トラックバック(-) | コメント(-)
この記事のURL
             
「学校」って何するとこ?
[2006/11/02 02:01] 教育・学校
勉強するとこ?
給食食べるとこ?
友だちとのふれあいをするところ?
先生に怒られるところ?
お掃除するところ?
嬉しいところ?楽しいところ?

それとも………つらいところ?

今、子供たちに聞いたらなんて答えるのだろうか?

私の息子は、中学の卒業証書を「見たくもない」といって私に放り投げた。
卒業文集と一緒に…。

私の娘は、毎日毎日苦しみながら、それでも学校に行っている。
「休んだら負けだから」そう自分に言い聞かせながら。

こういうのって、学校の教える「社会」の一端なんだろうか?
それじゃ、あまりに悲しすぎないか?
それじゃ、あまりに夢がなさすぎないか?

私が教師をめざしたのは、こんな学校で働きたいためじゃない。
生徒たちに「自分のこれから」を見つけ出して欲しくて…「勉強って楽しいんだよ」ってこと、少しでもわかって欲しくて…一人でも多くの生徒に、生きるための「心」を育てて欲しくて…教師をめざした。

思えば、私は先生に恵まれた。
勉強の楽しさも、音楽の楽しさも、前を向いて歩けば必ず報われることも、みんな先生達と自分の親から学んだ。
だから「先生になりたい!」と思ったのだ。

今は、一体どれくらいの子どもが「先生」にあこがれるだろう?
そう思うと切ない。

学校は…「楽しさ」を教える所じゃないのだろうか?
勉強は…「知ることの喜び」を得るための方法のひとつにすぎないのじゃないか?

私は、「音楽」と「英語」と「特殊教育」の免許を持っている。
音楽では、ただ単に「聴きばえのするすばらしい音楽」を作るためにではなく、「音楽って楽しいんだ」って一人でも多くの生徒に知ってほしいから…音楽を通して、表現することのうれしさを知ってほしいから、だから音楽を選んだ。

英語では、コミュニケーションの楽しさ、外国の文化に触れること…日本のことだけでなく、グローバルな視点でものを見て欲しいから、だから英語を選んだ。

特殊教育では…一人でも多くの「障害」を持つといわれる生徒たちに生きる喜びと自らの背負った「障害」に負けずに生きる力をつけて欲しくて…また、逆にそういう生徒から学ぶことがあまりに多かったので、教員になってから免許を取った。

教科の勉強というのは、「点を取ればいい」のでも、「受験に合格すればいい」のでもない。教科はあくまでも、「生きる力や喜び」を教えるための「手段」なのだと私は思っている。

学校は、なぜたくさんの子どもがいるのか?
互いの良さを認め合って、互いに助け合って生き合うことを学ぶためにいるのではないか?
けなしあい、足を引っ張り合うためにいるのではない。

なのに…学校は今、どこに行こうとしているのだろう?
教育基本法を改正したって何も変わらない。
憲法を変えたって、人は変わらない。

子供たちが「生きる喜び」を感じる場所…それが学校であるはずなのに…。

ここに来て、私は去年放送された「女王の教室」をよく思い出す。
今の学校の現場や教師たちの実態、生徒や家庭の実態…本当によく描かれていた。真矢になろうとしても、それはものすごく苦しいことだ。だけれども、あれくらいしないと、今の学校や家庭は変わっていかないのだ。
真矢をめざしてつぶれる教師。実際にはあんなことは出来ないからだ。
だけど、真矢の役をする教師が学校に二人いたら?三人いたら?それぞれみんなで分担し合って子どもを育てようとしたら?

絶対に、子どもも、学校も、教育も変わるはずだ。

変わらなくちゃ…いや、変えなくちゃいけない。
子供たちの明日のためには…。
だから、私は今、小さくても自分に出来ること、やっていきたい。
うつで学校に行かれない教師のたわごとだとバカにされてもいい。
私にしかできないことがある。私にしかわからない思いがある。
それを発信していくことだけは、ずっとやめないで行きたい。
スポンサーサイト
教育・学校 | トラックバック(0) | コメント(7)
この記事のURL
≪アクセス解析&近況 ちょっと待った!≫
コメント
頑張って
ああ、鬱の人に言ったら、いけないんだった。^^;

でも、そう言いたくなりますね。今の教育現場の実態。
もちろん、若くても、キチンとしている教師が居るのも事実。
問題教師に限って、問題を起こしても気づかない。もっと感性を磨いて欲しいものです。^^;
[2006/11/02 05:59] URL | ゆっきー [ 編集]
私は今、学校のPTAを基点に地域から子どもや親を支える基盤を作ろうとしています。
コマちゃんの目指すような大きなことは出来ない。でも、私は私の役割を全うしたいと思っています。

コマちゃん、一人じゃないよ(^^)
同じ気持ちで、違う形の活動をしている人がいます。
[2006/11/02 08:19] URL | からふる(カラフル) [ 編集]
応援します。
学校と話をすると、「この人達、諦めてるな~」って感じます。親も、教師もみんな諦めてる。
大人が諦めたら、子供達はどうすればいいんですかね。
私は、何にも出来ないかもしれないけれど、諦めない。子供を信じるし、人の力を、言葉の力を信じます。
発信を続けましょう。
[2006/11/02 09:44] URL | くまたろう [ 編集]
う~ん。
ペースダウンが必要かもしれませんね~。
いろいろな意味で。
[2006/11/02 11:43] URL | マジス [ 編集]
思い返してみると、あたしもそうでした。先生にも、友達にも恵まれ、学校が大好きな子でした。当たり前のように思ってたけど、幸せなコトですよね。
そして、いつのまにか教師を目指すようになりました。
教育現場のことを聞かされ、知る度に期待を上回って不安がおっきくなってしまう今日この頃です。。。

でも、やっておけばよかったと後で後悔しないように、今できること、やらなきゃいけないことと向き合ってこうと思います☆☆
今の気持ちをずっと忘れないようにして。。。(*u_u)
[2006/11/02 20:14] URL | ゆっきぃ [ 編集]
ご無沙汰しています。
すいません。「うつのくれた贈り物」なかなか読了が進まず、また生半可な感想ではいけないと思い、今日に至っております。でも音信不通ではいけないと思い、こちらの方がコメントしやすいので(?)、コメントさせていただきます。「うつのくれた贈り物」は越年覚悟で頑張ります(なんのこっちゃ)。

 現在の学校教育は一言では語れませんが、一つの悪因として「会社的」になっていることが挙げられると思います。お偉い人は「競争で、競争で」とおっしゃいます。たしかに競争で成果が上がることもところもあると思いますが、その歪も(特に教育では)大きいと思います。現在の経済はケインズの修正主義をかなぐり捨て、純粋な自由競争市場を目標としています。その結果(意図されたものかもしれません。)格差社会が形成されています。そして、その歪が社会に蔓延しています。学校教育の競争では「少子化」がそれに拍車をかけます。学校の生き残りをかけ、競争せざるを得ないしくみになってきています。我々が楽しいと思った学校は「知る喜び」を一人でも多くの生徒に与えようとしてくれました。学校行事等は、先生や仲間たちと助け合い、協力し合い、一つの目標を達成する喜びを教えてくれました。今は生徒獲得(そのために大学進学実績をあげる→必修漏れ等なりふりかまわず。)競争に躍起なり、今の生徒をどうするかより、次年度の生徒獲得に目を奪われています。そのような状態で善意の教員の振り回されているのが実情ではないでしょうか。学校は利潤追求の「会社」とは根本的に違います。その「学校」が「会社化」されています。

先日、通信制高校のサポート校の教員やっているころの教え子の大学の学園祭に行ってきました。授業ではなく、音楽部で指導していた生徒です。ステージでのびのび演奏する姿を見て、私は涙が出んばかりでした。「先生、高校の文化祭のときはいろいろ助けてくれてありがとうございました。」そんな言葉を私にくれました。「教育」は教える側も教わる側も元気にしてくれるものです。
[2006/11/11 14:13] URL | zabieru725 [ 編集]
みなさま、ありがとう。
たくさんのコメントをありがとうございました。考えさせていただいて嬉しいです。

今は、私に出来ることから少しずつやっていこうと思っています。
[2006/11/16 18:57] URL | コマちゃん [ 編集]
コメントの投稿














コマちゃんへの秘密のコメントにする

トラックバック
トラックバックURL
http://komacafe.blog6.fc2.com/tb.php/364-43eed05f
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。