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女王の教室に思うー2-
[2005/10/04 02:45] 教育・学校
わたしはずっとコンプレックスの固まりでした。

小1になってすぐ、家庭の事情で転校しました。
新しい学校では、今までとあまりにも環境が違い、とまどうばかりでした。おまけにわたしは背が小さくて体も弱く、すぐ熱を出して学校をよく休みました。

その頃は、まだ、今のように机の大きさが調整されていない木の机だったので、背の小さいわたしは机の上に出ているのは肩から上だけ。給食は全部食べられずにいつも必死。運動も苦手でかけっこはビリ。

小さいわたしは上級生からよくからかわれました。校庭のブランコに乗っていても、小さいからどかされてしまうこともありました。

学校を休むことも多かったので、勉強でも休んだところはわからなくて困りました。

そんなわたしが小学校2~3年の時に出会った担任は、とても怖い先生でした。忘れ物をすると容赦なく怒る。給食を残すことも許されない。わたしのことは「おちびさん」と呼びました。…いまだったら、先生がそんな呼び方したら「差別!」とか言われて怒られるんでしょうね。

でも、とても暖かい先生だったんです。嫌みな「おちびさん」ではなかったんです。

給食を残すと怒られましたが、残さないように早く食べられるようにと工夫してくれました。給食の時間に、いつも残さず時間に食べられる子をみんなの前に座らせて食べる見本を示してくれました。おかげで初めてわたしは残さずに全部時間で食べられるようになりました。

怒るとものすごく怖かったけど、頑張ってやったことは認めてくれました。ちゃんと見ててくれたんです。だから、初めて泳げるようにもなりました。ドッジボールでは投げるのは苦手でも、逃げるのは上手かったので褒めてもらって体育も好きになりました。お掃除も頑張って真剣にやりました。見ていてもらえることが嬉しかったんです。

4年でクラス替え、担任が替わりました。
この先生も厳しかったです。でも、その厳しさは「痛いところをつく」厳しさでした。遠足で具合が悪くて休んだのに、なぜ遠足を休んだのかと怒られました。欠席した時の勉強がテストに出て出来なくて、怒られました。朝の全校運動が外である後は、必ず5分間マラソンし続けました。ものすごく苦しくて、ついていけなくて、いつも辛かったです。走れる人はもう教室で休んでいるのに、ハアハア言いながらまだ走っているのは本当にいやでした。通知票には、「動作がのろい」と書かれました。

クラスのみんなの目の前で、友だちが平手打ちをされました。何回も打たれて鼻血が出たのを見て恐怖しかありませんでした。もともとおとなしく、まじめにやるしか取り柄のないわたしは、怖いからなるべく目立たないようにと身を縮めていました。

小学校の時は、3人の先生に教わりましたが、4年からの3年間は怖かったことしか覚えがありません。

中学に行きました。クラスには違う学校からの友達もたくさん。でもわたしはやはり一番チビでした。相変わらずすぐに体をこわしました。最初は目立たないように小さくなっていました。担任は一見怖そうでした。でも、そのうち「自分のことを知ろうとしていてくれる」ことがわかりました。提出した生活記録には、いつもたくさんの赤ペンの書き込みで返事をくれました。それを読んで、元気が出ました。

また、教科担任の先生方もとてもいい先生達でした。国語の先生からは、「自分の意見を述べること、対立意見を戦わせること」の楽しさを教えてもらいましたので、授業の発言が増えました。英語の先生からは、堅苦しい勉強でなく、間違えてもなんでもかまわないこと、英語の世界の楽しさを教えてもらいました。自分の好きだった音楽では、自分は音程が正しくて、しっかり歌えることを褒められ、ピアノでみんなのリードをすることを任されて自信がつきました。

わたしは中学で、「勉強ってなんて楽しいんだろう」ということを教えてもらうことが出来ました。そして、頑張れば認めてもらえること、先生達は自分のことを見ていてくれること、わたしにも人のために役に立つ力があるんだということを知ることが出来ました。

「教師になろう」…漠然と思っていた気持ちが固まったのは、中学でのたくさんの先生との出会いがあったからです。わたしの両親も教師でした。何となく、自分もなろうかな、と思っていました。それが、中学では「なりたい」と思うようになったのです。


「女王の教室」の一回目を見た時は、確かに衝撃的でした。けれども、わたしがこのドラマを完全に否定することが出来なかったのは、「真矢がクラス全員の名前を初日から覚えていた」からです。

「自分のことを知っていてくれる」「見ていてくれる」という思いは、子供にとって…というよりも、幼い頃からの自分の経験からとても強い支えになることを感じていました。名簿を見ずにきちんと顔を見て名前を呼び、それだけでなくその子の中身まで覚えている…それはなかなか真似できないことです。でも、真矢はそれをきちんとやって初日の教壇に立った。言っていることも、正論です。

厳しさからすると、4年からの先生のことを思わせてドキドキしました。(わたしも、授業中トイレに行くのはダメと言われたことがありました)けれども、厳しさの中にかいま見えた「子供を知ろうとする姿」が、どちらかというと小2~3年の時の厳しくても温かかった先生や、中学の時の「勉強だけでなくそれを通して生き方を教えてくれた」先生達と近いものを感じさせてくれたからなのでした。

(その3に続きます)




女王の教室に思うー1-  

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コメント
学校生活は
小学校の5,6年はボクも担任には恵まれず(笑)結構体罰が続きました。今なら不登校になっていたのかもしれませんが、当時は学校を休むことは考えもつかず、毎日行ってました。片思いの好きな子がいて、熱が出ても無理に登校し、帰されたり(笑)
中学は楽しい割に何かしらんけど疲れてました。
女王の教室・・・ボクもそうでしたが自分を省みるきっかけとなる番組でしたね。

[2005/10/07 13:38] URL | なかまた [ 編集]
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