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生気のない絵に衝撃
[2005/10/01 10:49] 教育・学校
実は、ここ数日あまりのショックで立ち直れないでいる。

ブログの更新も出来ずにものすごい疲労感にさいなまれて寝込んでしまった。この記事は、今、10月4日に書いているんだけど、1日にあったことだから1日の記録として残そうと思う。

何がショックだったかって、子供たちの中学の学校祭。

わたしの息子は中3。ほとんど不登校状態だ。
娘は中1。毎日毎日、「中学はいやだ、小学校に帰りたい。」「部活があるから救われている」と繰り返す。

私はと言えば、現在うつ病のため休職中だが教員だ。主人も教員だ。

息子にも娘にも、「そんなことないよ、中学時代は楽しいよ。自分のやりたいこと見つけに、学校に行きなよ。」と話してはいる。けれども、毎日毎日「学校」の存在に押しつぶされそうな二人を見ていると、「学校の実情」を知っているだけに、「何がなんでも行きなさい」とは言えずにいる。

そうは思っていても、「高校に行きたい」という目標のためには行かざるをえない。何とか声をかけて行くように言っていた。


さて、話を学校祭に戻そう。

9月30日と10月1日が学校祭だった。30日には、息子もこの日は行こうと頑張って朝起きて支度して行った。娘はいつも通り早々と出かけた。

しかし、帰ってきた二人の第1声は「学校祭なんてつまらない、明日は行きたくない」だった。

わたしは不思議に思った。わたしは学校祭は楽しみだった。クラス展示やステージ発表。日頃の精一杯を出して楽しんだ覚えがある。

結局、翌日の学校祭に息子は行かれなかった。娘はそれでも出かけていった。土曜日なので、主人と一緒に学校祭を見に行った。子供たちの展示品だけでも見てこようと思ったのだ。

生徒たちは体育館で歓声を上げていた。何かステージ発表しているのだろう。わたしと主人は、教室の展示を見に行った。

1階の1年生の教室の前の廊下を歩く。娘の教室は廊下の一番奥だから、1組から順に見ていった。だんだんわたしの背中に寒気が走ってきた。娘の教室の前で、娘のクラスの子供たちの絵を見て、めまいがした。各教室の前には、写生大会の絵が展示してあった。娘の絵を見て、ショックで何も言えなかった。

職業柄、いろいろな子供の絵を見てきた。わたしの主免許は音楽なので、好きだったし心を豊かにするためにも美術館や図鑑で絵画鑑賞もよくした。娘の絵も、小学校のものからずっと見て知っている。

娘の絵は…生気が全くなかった。こんな絵を描く子じゃなかった。上手い下手の問題ではないのだ。小学校の時にはもっと「生き生きした」絵を描いていた子だ。

よく見ると、小学校の時に同じクラスだった子供たちも皆同じだった。こんな絵を描く子達じゃなかったはずだ。改めて、クラス全体の絵を見直した。冷たい絵だ。中学生らしいエネルギーが全くない。もちろん上手い子もいる。でも、技巧ではなく、心が感じられないのだ。

そして、さっきから感じていた寒気の原因がわかった。「絵が悲鳴を上げている」のだ。パワーがない。暖かさがない。どの絵も、「助けて!」と叫んでいるようだ。

教室の中の展示を見る時は、そのショックで楽しむ気になれなかった。

そのまま息子の教室の3階にあがった。目の前には3年の絵が並ぶ。3年生の絵は…もっと苦しそうだった。

「これが中学生の絵なの?」…絵から感じる抑圧された気持ちの波を感じて、立っていられなくなり、その場にへたり込んでしまってだんなに支えられた。

「勉強とか部活とかで忙しくて、芸術とか文化的なことに力を入れる余裕がないのかね。」とだんなが言った。わたしが感じたほどのショックは、だんなは感じなかったようだけれども、理系の技巧的にものを見るだんなからしてもやはりおかしいと感じたようだった。

息子の教室は、廊下の向こうだったのでまた3年の教室の前をずっと見ながら息子の教室に行った。絵から感じる暗い悲しい波動の波にもみくちゃにされてわたしはもう歩くのもやっとになってしまっていた。

息子の教室の前で、絵を見た。…息子の絵がない。写生大会には出席できなかったけれど、土曜や日曜に主人と学校に行って頑張って仕上げて提出したはずの絵がない。どうして?出席していないと、飾ってもらえないのかしら、ちゃんと描いたのに。

教室に入って中の展示物を見る。修学旅行の時に「絵付け」をした湯飲みが飾ってあった。ほとんどの子が普通の柄を描いている中で、息子の柄はオリジナルになっていた。上手くはないけど、「生きて」いた。少しホッとした。生徒たちの写真が飾ってあるところにも、息子の写真はなかった。同じように不登校の友だちのものもなかった。撮った日にいなくても、違う写真だっていいから飾ってくれればいいのにね。頑張って学校に行った日にも、「誰も相手をしてくれなくて寂しい」「ぼくは避けられているみたいでいやだ」そういって帰ってきてはぐったりとしている息子の気持ちがわかった気がした。

その後、「知障学級」の生徒の教室に行った。同じように廊下にはその子の描いた絵が貼ってあった。それを見てやっと心があたたかくなった。いろいろなクレヨンで、線が描いてあった。何かの形をしているわけでもないけれども、その絵は「生きて」いたから。その子の心が動いて、何かを感じて描いていることを感じたから。学校の片隅の目立たない教室だけれども、どこの展示よりもその展示はすばらしかった。

それ以上はもう、どこも見る気になれなかった。廊下や教室から感じる冷たさと暗さとがわたしにのしかかって苦しくてたまらなかった。

車に戻ったら、気持ち悪くなってしまった。家に帰って、ベッドに倒れ込んだ。私は今、休職している。けれども、はたして今の学校がみんなこんなだったら、復職できるんだろうか。それより何より、もう不登校の息子に、あの学校に行けとは言えない自分がいる。「もう学校休みたい」という娘にも、辛くても目標見つけてやってみようよ、と励まそうとする自分が消え去ってしまっている。

息子も、娘も、小さい時から心豊かにと願って育ててきた。人の痛みがわかる、優しい子に、と願って育ててきた。二人とも、その点では自慢の子供たちだ。物事を中途半端に投げ出さないようにも育ててきた。自分の力を伸ばすように努力する子に育ててきた。勉強も、出来ないことはない。考える力もある。ごく、普通の中学生だと思う。

その二人が、疲れ切ってしまう学校っていったい何なんだろう。行く意味はあるのだろうか。多分、わたしの感じたような冷たさや暗さを二人とも感じて暮らしていたんだろう。感受性が強いから、人の気持ちが見えてしまうから、そういう子にとっては苦しくてたまらないのだろうか。だったら学校ってなんのためにあるんだ…。

私は今、うつ病で休職している。実は、これが2回目の休職だ。よく考えると、子供たちのために必死になってやればやるほど、まわりとの壁の厚さに辛くなる一方だった。そのためのうつの発病だった。

主人も仕事に行かれなくなった時期がある。毎日朝から夜遅くまで学校の仕事を頑張る人なのに、その気持ちが通じなくてやるせなくて辞表をたたきつけて行かなくなった。

私たち家族4人は、特別な人間なんだろうか。この世の中でもう、存在していかれない人間なんだろうか。誰か、教えてください。
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≪お返事お待ちください。 トリビアの犬ネタ≫
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[2005/10/04 17:52] | [ 編集]
コメントが難しいのですが
コマちゃんさんのblog拝見しますと、ご夫婦お二人とも教諭のようなので、本編についてコメントが難しいですね。親としての立場と教師としての立場と恐らく使い分けて生活することもいつの間にか難しくなっているかもしれませんね。
少し話しが飛びますが、精神分析ラカン派の(故)フランソワーズ・ドルト女史は「男の子の目標は結婚して父親になること。女の子の目標は結婚して子どもを産むこと(母親になること)」と述べてます。
初めて走るマラソンのコースはやたら長くリタイヤしたくなるものです。ゴールが見えないからですかね。
コマちゃんさんも旦那さんもきっと学校で良い出会いがあったのでしょうね。おふたりとも教職を選んだということは。

[2005/10/04 20:09] URL | なかまた [ 編集]
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