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  2011年04月  

             
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お母さんへのブレスレット。
[2011/04/24 12:51] 生活・自然
先日のブログ記事、「1200円のコタツとアメジストのブレス。」

そこで話のでたお母さんへのブレスを作ってみました。
希望も何もわからず「おまかせ」で作るのは初めてで、ちょっととまどって何回か作り直して、結局こういうふうになりました。
F1000221.jpg
20110424121014.jpg


茶色の石は琥珀。琥珀の間に挟まっているのはシトリン。
クラック水晶(小さいビーズ)にはさまれているのはフローライト。
フローライトはいろいろな色があって不思議な雰囲気を醸し出しています。

お母さん、気に入ってくれるかなぁ?

もちろん、アメジストのブレスの方は伸びきったゴムを取り替えて、石もきれいに浄化してあげました。

今日、伊那に戻ったらお母さんに持っていってあげようと思います。


……それにしても今日はとても良い天気ですね……。ヽ(´ー`)ノ

昨日の疲れがでて、家出ごろごろしております。
けど、もうちょっとしたら息子と買い物に出かけて、そのあと伊那まで帰宅します。
(1000円で帰れるうちに……。)
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1200円のコタツとアメジストのブレス。
[2011/04/22 14:02] 生活・自然
朝、電話がありました。

「もしもし、あの、先日おいでくださった駒村さんですよね?」

電話の主は、伊那の住宅のすぐそばにある個人宅の電気やさんでした。

:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::

話は先週の弟との会話に戻ります。

「あのね、佐久の家から持って行ったコタツ、電気はいらなくて切れちゃった。だから、キット買ってきて作り直そうと思うのだけど、枠まで組み替えなくちゃならないんだよ。
あなた、そういう工具沢山持っているよね、借りられないかな?」

「いや、工具はあるけど、ここまでとりに来るの面倒だろ?それよりも、ヒューズ見た?」

「いやぁ、メーカーさんに電話したんだけど部品ないって言われちゃったし、もう直りませんって言われてそれ以上はいじらなかった。」

「コードの断線とかだったらムリだけど、ヒューズ程度だったらすぐに直るよ。見てみた?」

「分解掃除はしたけど、ヒューズってどこについてるの?だいたい、熱のでる物だから怖くて自分じゃいじれないよ、そういう部分は。」

「そんな物、ヒューズだったらすぐに取り替えて終わりだよ。町の電気店にいってみな、すぐに直るから。」

……と、バイクや車など自分でいじる弟が、そういうので。

須坂で弟とそういう電話の会話をして、伊那に帰って来てからネットで近所の電気店を検索して調べて。

そうしたら、徒歩2分のところに一軒あるので(とはいえ、とてもお店のあるような場所には思えなかったのですけど)電話をしてみました。

電話の応対は年配の女性。
「今、わかる者がでちゃっているので……でも、ここのところ寒いから、コタツ欲しいよねぇ。直るかわからないけど、持ってきてみてくださいな。」

そういってくれたので、行ってみました。
ごく普通のお家に小さな事務所がくっついているので家電を売っているとかではなく、本当に電気工事とか修理とかをやっているだけの感じ。
応対にでたのはたぶんお母さんで、息子さんがやっているのかな。

行ってみたら、事務所に待っていてくれたお母様が。

「まぁ、ダメかもしれないけど、少し預かってみるからね。帰って来たら見てもらうよ。」と。

それが火曜日の夕方の話でした。

:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::

さて、2~3日と言われていたのでどうなったのかなぁ、と気になってはいたのですけど、今日も朝からちょっと冷え込んでオイルヒーターやエアコンつけるにはもったいないけどコタツあったらなぁ……とぼんやり考えていたら。

「あのね、コタツ直ったよ。たぶん大丈夫だと思うからとりにきて。」

……と、最初の電話の話に戻るのです。

行ってみたら「ヒューズ取り替えてみて、あと、コードとかみんな点検したようだよ。たぶん大丈夫だっていってたから、使ってみて。」

で、お値段は……1200円。\(◎o◎)/!

キット買って、自分で工具借りてコタツ作り直したらたぶん5000円はしたろうな。コタツを買い直したら、◯万は行くよな。

今の時代って、「修理代」と「出張代」だけでもすぐに万に行くから、「新しいの買った方が安い」ってなっちゃう世の中だけど。

でも、かつては、テレビや冷蔵庫や洗濯機に何かあったらすぐに近所の電気やさんが飛んできて、あっという間に直してくれて、いつまでも大切にそういう物を使っていたんだよね。

だから、ずっと一緒に長く生活を支えてくれるそういう「物」はある意味家族の一部でもあって、愛着があって、ものすごく大切な物だった。
本当にもうどうしようもなくなるまで、しっかり使って……そして新しい物がやってくるときに「長いことありがとう」と言ってお別れしたよな。

子供のころに使っていたものたちは、今でもどんな形でどんな動きをして……ってかすかだけど記憶に残っている。

ものを無くしたり、動かなくなったりしたら、本当に哀しかった。
「代わり」のないということでは一緒に生きている者と同じだったから。

だから、私も、ヒーターがダメでもコタツの枠だけはしっかり生かしてまだ使おうと思ったんだよね。今までも、学校や家で使う楽器やオーディオ機械なんかはある程度はみんな自分で直したし。

だけど、さすがに電気系統は怖いから、自分では治せなくて。
それに、パソコンやIC使った物は、どうにもいじりようが無くて。

泣く泣くお別れした機械もたくさんあった。

いま。
足元がほかほか温かいんだ。
コタツ、ちゃんと動いているよ。

ネコたちはね、コタツの中に入るほど寒くはないらしくてようやく出番がきたコタツ布団の上に乗って毛づくろいしてるよ。

のどかだよね。温かいね。やさしいね。

足元だけ温かくても体中があたたまるコタツは、部屋全体を温めるオイルヒーターやエアコンよりはたぶんずっと小電力。
今日みたいにちょっと肌寒いときにはちょうどいい。

直って良かった。
梅雨明けまではたぶんもう少し活躍してもらうことになりそうだな。

1200円のコタツ。

直って良かった、直してくれてありがとう。直ってくれてありがとう。


:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::

それでね。
「町の電気やさん」ってほんとに頼りになるよね。

こんな風に、町の○○やさん……って感じのお店が、この伊那にはいっぱいあるから、そんなお店を少しずつ発掘してみようと思っている私なのでした。

:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::*:::

おまけ。

その、電気やさんのお母さんの腕に、アメジストのブレスレットが。
「それ……アメジストですよね。お好きなんですか?」って聞いたら。

「ああ……韓国旅行したときに買ったんだけどね、なんかゴムが緩くなっちゃってねぇ。」

「あ……良かったら、それ、直しましょうか?私、こういうブレス自分で作るんですよ。須坂では教室やったりしてて。」

「え?ほんと?お願いしてもいい?でも、ちゃんとお金とってよね。」

「あ……ゴム直すくらいだったらお金はいりませんよ。でも良かったら、お好きな石で違うブレスもお作りしますよ。」

「是非お願い!」

……と、そんなわけで。
今日はちょうど須坂に戻る日なので、家に置いてあるブレスの材料でアメジストのブレスの修理と一つかわいいブレスを「おまかせ」で作ることになりました。

とっても優しいお母さんに、何かお礼がしたかったので。
コタツが直ったのがとっても嬉しくて、気軽に引き受けてくれたそれがとっても嬉しかったので。

そして、越してきたばかりのこの土地で、慣れない気候に寒いだろうな、だからコタツ、いるよね……って心配してくれたその気持ちが嬉しかったので。

お母さんのブレスを直してあげられるのはとっても嬉しい恩返し。

あと、どんな石で作ったら気に入ってもらえるかなぁ。
そんな事を考えながら、今日は須坂に帰ります。
(明日土曜日は、須坂の合唱団の指導とライブ2ステージがあるので)

朝からちょっと……いえ、とってもぬくぬくしたいい気持ちの今日でした。
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さあ、あるきはじめよう。
[2011/04/05 09:25] ひとりごと
いよいよ昨日届きました。
◯-ト引越センターよりダンボールなどの資材の山。

今日から私自身の引越の準備にかかります。

須坂に引っ越してくるときには、もう引越とは縁がなくなる!って本気で嬉しかったんだけどなぁ。うつになって家にいられなくて外に部屋を借りるようになったときにプチ引越をしたけど、それはいずれ元気になって家に戻るための引越のつもりだったんだけどな。

本格的に居住地を移す引越をすることになるとは夢にも思わなかった。

でも。
それもまた、時の流れなのだろう。

「B型の人は、遊牧民の血」

ある本にそう書いてあってものすごく納得したことがある。
農耕民族にはA型が多く、遊牧民族にはB型が多い。
定着を望む農耕民族と流動を望む遊牧民族との違い。

常に動いていないといられない私の気質は、ここから来ているのかもしれないなぁ。さらに、射手座の性格はそれに輪をかけて「変化」をのぞむ……飛んでないとおっこっちゃうんだよね、矢は。

安定を望む気持ちはもちろんあるけれど、それ以上に変化を求める気持ちが自分を一所に押しとどめていてはくれない。もうこれは、気性だからどうしようもないんだろうなぁ。

そんなわけで。
ここから、私自身の歩みをはじめます。

頭の中に鳴り響いているのは、「さあ、歩き始めよう」というアニメのテーマソング。



うわ……「立体アニメ」の文字が懐かしい……。(^_^;)

「さようならいつだって 生きる事はたたかいさ
 だからまたきょうも さあ歩きはじめよう」

子どものアニメにこの主題歌って、アンパンマンにしてもほんとにすごい言葉を歌っているよなぁ。高校の頃だったかな、このアニメ見てたの。

この主題歌、この最後の部分は今でも時々私の頭の中に鳴り響くんだ。

そういえば、もう1個。
この「家なき子」のアニメの後に放映された「宝島」の主題歌も好きだった。



「ただ一つの あこがれだけは
 どこのだれにも 消せはしないさ」

それはたぶん、わたしだけではなく今の日本全体の想いにも沿う言葉たちなのではないだろうか。

うん、そうだね。
勇気を胸に進んで、誰にも消せない想いを持ってわたしも行くよ。

「さようならいつだって 生きる事はたたかいさ
だからまたきょうも さあ歩きはじめよう」

さぁ、今日もまた歩き始めよう。
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香港からの応援歌>雨ニモマケズ
[2011/04/03 18:45] ひとりごと
今日、私の尊敬する牧師さんがメーリングリストで送ってくれたメール。

そこには、現在福島県の南相馬市で現在医療活動に従事されている牧師の友人であるお医者さんからの情報と、それからそのお医者さんのメールを転送したものが添えられていました。

それはこんな文面でした。



宮澤賢治の「雨ニモマケズ」に香港人が節をつけて歌った被災地への応援歌

香港の友人が知らせてくれましたがちょっと驚き

東北の詩に、香港の節がついて、それが見事にマッチ

いろひら拝



私もそのメールを受け取って、さっそく聞いてみました。
優しい歌でした。

それが、自国の歌ではなく、東北の、今回の地震で同じく大きな被害を受けた岩手県に生きた宮沢賢治の代表的な詩である「雨ニモマケズ」を、心から、精一杯歌ってくれた歌。

日本の人の持っている、日本の人たちが心の支えとして来た代表的な詩……つまり、日本の人の持っている「心」にメロディーをつけて歌い上げてくれたもの。

その心、その想いが聞いているとすぅっと染みこんできて、優しさと、切なさと、温かさと、悲しさと……いろんな気持ちを包み込んでくれるようなそんな感じがしました。

4月に入りました。
あの災害から3週間が過ぎるのに、いまだにその被害は二次、三次のものも含めて拡がり続けています。その影響はこの先何年もに及ぶと思われています。

そんな状態の中でも、私たち人間は希望を失わずに歩き続ける。
何があっても、どんな状態に陥っても。
雨ニモ、風ニモ、雪ニモ、暑さニモ……そして地震や津波や、そこから広がるいろいろな物事にも、マケズ。
人は、お互いにこうして想いを寄せ合って、それを乗り越え、一歩一歩踏みしめてこの先も歩いて行ける。

そういうものに……私もなりたい。




宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ



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「好意」「想い」の行き先は、いったいどこに?
[2011/04/01 08:24] ひとりごと
最近、ずっと気になっていること。

災害が起きて、被災者がいまだに避難生活を余儀なくされて、あちこちに大きな爪痕を残し、多くの命が失われた。
それに対して「何かしたい」という気持ちをもって多くの人が動いている。

まずは、今、突然起こったことに巻き込まれて「普通の生活」ができない状態にある人、悲しみや苦しみのさなかにある人が再び力を得て生きていくことができるようにと考えることが最優先事項なのはたぶん誰もがわかっていることだと思う。

では、そのために何をするのか?

さいしょはとにかく、情報が必要で。正しい情報を得てそれをもとに動くことだった。

その次は。

少しでも余力のあるものは、その余力を「復興」のために使うこと。
たとえば節電の協力。
買いだめをしないこと。
暖かい居場所の提供。
動けるものはきちんと「普通の生活」を動かし、できる限り社会を停滞させないこと。

……そして「物資の提供」。

この物資の提供において、ずっごわたしは疑問に思うことがある。

支援物資は、最初の頃は送るものを指示されて、個々ではなく市町村などの公的機関が中心になって集めるように求められた。
それは金銭的なものも同じだった。

確かに、それぞれで好き勝手にやられては混乱が起きるのはよくわかる。
ダイレクトに被災地と連絡が取れるわけではない個人のものは、被災地が本当に必要とするものが何かもわからないからそれがボランティア活動にしろ、物資にしろ、金銭にしろ、それぞれ勝手にやったら不公平や不平等や「親切の押し売り」が起きてそうでなくても混乱している被災地に迷惑を掛けることになる恐れがあることもよくわかっている。

だから、とにかく情報を集めてできる事をできるところに……と思ってずっと見てきた。

支援物資については、買ってまでやることで市場に影響をもたらすことが明らかだから家にあるもので……といわれるのもわかった。けれど自分の家にはそう買い置きがあるわけじゃなくて、新品に限定されたら何も出せず、小さなものを箱でまとめて、といわれたら日頃からまとめ買いをしているわけじゃないのでやっぱり何も提供できず。

では、せめてお金を……と思ったときに、ここでもいろいろ引っかかることがでてきた。

たとえば。
地元のイベントでライブを行うことが決まっていて、そこで募金をつのろうとしても「個々ではダメだ」とストップがかかる。どこで集めてもとにかく赤十字がまとめるしかないのだからあちこちで勝手にやられては困る、ということらしい。

では、「正規の手続きを経て」募金活動をしているところに、と思ってチャンスがあれば可能な金額を募金し続けてはいるけれど。
自分の「好意」「想い」のこもったお金は、この先いったいどこに行くのだろう?

著名な人が多額の寄付をした、というニュースを聞く。
もしくは著名人が募金を呼びかけて集める、ということもあちこちで見かける。

その一方で一向に避難所から離れられず固い冷たい床の上で寝ている人がいて、被曝の恐怖と闘いながら現場で必死に闘っている人がいて、自分の家族が被災したり、家族と遠く離れたりという状況に耐えながら救助活動を行っている人がいて……。

自分のいました募金が、いったいこのどこに役に立つのだろうか?ということはまったくわからない。

そういった現実の前に「募金詐欺」が出てくるし、もしくは義援金を集めてもその好意を疑われる風評が流れるものがあり。次第に「募金」という言葉を見るたびに素直にその文字に従っていいものやらどうかを考えなくてはならない状況まで発生している。

さらに、ここに来て「復興財源の確保」という名目で様々な予算がそちらに向けられることが報道されている。
子ども手当(中学生まで月額1万3000円)の支給を半年間延長、在日米軍駐留経費の日本側負担(思いやり予算)に関する新しい特別協定も承認、ガソリン減税制度、廃止の検討。
さらには「増税」の声までもささやかれ始めている。

国の危機に際して、莫大なお金が必要で、そのために緊急で財源を確保する必要性は充分わかる。
だけど、そこでどうしても引っかかりが残る。

「では、そのお金は必要なところに本当に充分に至るのだろうか?」

それを決めるのもお役所のことだ。公共の機関が行うことだ。
そしてその中身は、あまり一般に公表されることがない。実際に数字が公表されたとしても、その効果がきちんと公表されるわけではない。

募金にしろ、増税にしろ、必要であり必要な場所に充分な支援が行き渡るのだったら喜んで協力したい。だけどそれが本当に必要なのか、本当にちゃんと行き渡って本当にきちんとした効果が現れたのか?

そこまでをきちんとしないでおいて、ただ「みんなの協力」を呼びかけるだけではいわゆる「お役所仕事」。

好意がちゃんとした好意として生かされるように。
想いがきちんと想いとして届くように。

想いや好意はなぜ発生するのかといったら、それがきちんと届くためであって、「行為自体」に満足するためではない。その好意に満足しているとしたらそれは「偽善」であり「かっこつけ」にしかならない。

そうならないために……すべての人の好意や想いを本物にするために……それをとりまとめる期間や役所は、心して人びとの想いや好意を受けとめて適正な形でそれを生かして欲しいと切望する。

そのためには必要な情報をきちんと公にして欲しいし、だれでもがきちんと理解できる形にして欲しい。
被災地が本当に必要な形で必要なところに行き渡るために、全力を尽くして欲しい。

私はその情報を集めながら、この先も必要なところに自分でできる事をできるだけしていきたいと、心からそう思う。




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