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  2011年02月  

             
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たった1人の祈りでも皆が救われるなら。
[2011/02/06 11:27] ひとりごと
昨日。
娘の私大受験があったので、前日から息子と娘と一緒に群馬の高崎に行った。

娘が受験しているその間、息子と2人で高崎の見どころを探し、そしていってみようか………と2人でおもむいたのが「洞窟観音~山徳記念館」だった。

息子は、自律神経失調症の薬を忘れてふらふらで。
わたしも、ここのところの仕事の忙しさに娘の受験を支えるためのもろもろでずっと眠りが浅く睡眠不足。

チェックアウトの時間さえ影響しなかったらホテルで寝ていたいところのふらふらの2人が高崎駅から少し走ったところの山の奥に作られたこの場所に向かった。だから、正直、興味はあったんだけど行きたくて仕方がない……という感じでもなかった。

それが……

その洞窟の中に入ったら、……小高い丘の中腹をくりぬいて400メートルほどのトンネルが造られているのだけれど、そのトンネルの通路に沿って三十三観音が順に一体ずつおかれていて……その最初の像を見た瞬間から、自分の不調などはどこかに吹き飛んで行ってしまった。

洞窟のごつごつした岩肌。
入口はとても見た目がいいとは言いがたい。
けれど、その奥から流れてくるのは……なんとも清らかな空気。清浄な気。
それに惹かれるようにどんどん奥に引き込まれていった。

一つ一つの観音様のお顔は、ほんとうに穏やかで和らいでいて。
暗い闇の中に、かすかなあかりで浮かび上がるその姿にしばし目を奪われて……。

自分の足音しか響かない静寂の中を、たくさんの観音様と対面して歩いた。

その中でも、わたしの目を惹きつけて放さなかったのが、この観音様だった。
「衆宝観音」……三十三観音の第十七番目の観音様。

IMG_6314.jpg

この観音様は、
「もし百千万億の衆生ありて、宝を求めんがために大海に入るに、たとい黒風のその船紡を吹いて羅刹鬼の国に瓢堕せしむとも、その中に、もし、ないし一人の観世音菩薩の名を称するものあらは、みな羅刹の難を解脱することを得ん」……に記される「1人の観世音菩薩」。

ここでいう「財宝」とは金や銀と言ったいわゆる「お宝」ではなくて私の心の中の宝、つまり仏性を意味しているそうなのですが、それを求めるために格闘をしている時には、もし羅刹=鬼に囚われても一人でも祈れば他の人も救われるという教えなんだそうです。

正直、わたしもあまりよく意味がわかりません。でも、何となく「感じる」のです。

どんな困難とか苦難にあっても。
ほんとうに「真実」を求める人たちがその苦難の中に、嵐の海に飲み込まれそうになっても。
誰か1人が必死で最後まであきらめず、求め続けて祈る事ができたら、そこから抜け出せるはず……という感じ。


わたしは、別に仏教徒じゃないし。
仏や菩薩を信仰しているわけでもありません。

元々はクリスチャンだから、子供のころは仏教毛嫌いしてました。(笑)

だけど、だんだん年を経るごとに感じるのです。
仏教にしろ、キリスト教にしろ。
どんな宗教でもその真を極めた先に行き着くのは、「人の生きる道」の真理なんだと。

それを色々な言葉や表現で表してきたのが宗教で。
宗教は決して「何かを施す」ものじゃないけど、宗教によって「自分の生きざまを見つける」きっかけになる。
救われる、というのはそういう事なんだなぁ、とそう思うようになっています。

お金がないからお金下さい、といって天から降ってくるわけじゃない。
だけど、「生きる事」を真剣に考えて、自分が一体どう進んだらいいのか、人の中にどう生きたらいいのか、迷って進めず苦しい時に。
神さま……と祈る。仏に経を唱える……。そういう「神や仏と向かい合う」行為の中で進む道や真理が見えてくる。

それは宗教のあり方なのだと、そういう事がわかってきました。


だから、祈るんだと。
だから、手を合わせるのだと。

それは相手が神でも仏でもかまわない。
自分が生きる事を真剣に考えた時に、人とどうあったらいいのか考えた時に、「真理」は一つで、それと向かい合う事、その行為………それが「祈る」事なんだと思うのです。


この衆宝観音の前に立った時に、観音様の穏やかな顔の中にわたしは何かを感じたのです。
それは、観音様からの呼びかけなのか、それともわたしの内面が観音様に呼応したのか、それはわかりません。

でも、そこに何かを感じて、わたし自身の心が何かでぬぐい取られてすっきりした感じになりました。


たった1人の祈りでも、人々が救われるのだったら。
わたしはその祈り続けるたった1人になりたい。

祈り続ける事は、止めない。
神や仏に呼びかけ続ける事も、止めない。

最後まであきらめずにそれが出来る人に、なりたい………。


観音様の顔を見ながら、そんな思いが自分の中に湧き上がってくるのを感じたのでした。

IMG_6313.jpg



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