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  2009年01月  

             
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データーが、欲しい。
[2009/01/22 09:30] ひとりごと
わたしは、ブログをもう一つ持っている。

ここのブログでは日頃感じたことを何気なくつぶやく、本来の「ブログ」らしい使い方をしているが、もう一つのブログは、そうではない。

うつのくれた贈り物」というそのタイトルのブログには、「原稿」がある。

「うつのくれた贈り物」というタイトルは、第1部。
「ただいまうつと同棲中」というタイトルで、第2部を書いた。

そして、今現在アップしているのは「うつからはじまる明日。」という第3部の文だ。

すべてに「うつ」という言葉が入っているように。
これは、わたし自身の「うつ」との闘いの記録なのだ。

そして、「不登校」。
わたしの息子がおちいったこの現象。
そして、わたしの生徒たちも苦しんだ、この状態。

そういう「心」の「病」を通じて感じたこと、学んだことを書きつづっているのだ。

この文を書き始めたきっかけは。
「自分と同じ苦しみを持った人が、なんて多いんだろう。」……という思いからだった。

わたしはとても苦しかったから、「なんで自分だけこんなに苦しいんだろう。」と思ったから、むちゃくちゃもがいた。

だけど……少しずつ「うつ」という病気を通じて周りを見回したときに……「自分だけじゃない……みんな同じだ」と、感じることがなんと多かったことか。

「うつ」という病に陥ってからそこを抜け出そうともがいたときに自分のやったこと、考えたこと、学んだことが、その後同じような悩みを持った人たちにも「役に立つ」ということを、ネットや自分の周りの人とのやりとりの中でものすごく感じたのだ。

だから、もっと多くの人に役立てて欲しい……知って欲しい……そうしたら、みんなもっと楽になるよ………。

そう思って書き始めた文をネット上でもう3年以上連載し続けている。

実は、第3部はもうすでに書き上がっていて、ブログでももう終わりに近づいている。
だけれども、第3部の最後は、もう少し書き足す必要がある。

わたしはこの3部作を是非、本にしたいと思っている。

最初は、自費出版にしようと思った。
だけれども、いろいろな人に読んでもらって、この文の内容が今現在の社会に対しての問題提起でもあり、できれば出版社からの出版、という形の方がいい、という話をもらって原稿を見せたことがある。

その時に言われたこと。

「内容的には、とても大切なことがつまっている。だけれども、データーが少ないのです。」

そうなのだ。
この文は、わたし自身の体験、わたしの周りの人たちとのやりとり、そういう物で成り立っている。

そこに書いてある物は、わたしの「事実」だけれども。
読んだ人たちにとっては書いた私の「主観」にしかすぎない。

この文をもっと一般的な物にするためには、誰もが納得する「データー」を示さねば……ということなのだ。


その話をもらってから、わたしはあちこちで「データー」を求めた。
たとえば、うつ病で今、休職に陥ってる人はどのくらいいるのか。
うつ病に悩むひと……心の闇に苦しんでいる人は、どのくらいいるのか。

「増えている」という記事はあちこちで見られるが、そのもとになるデーターは非常に曖昧だ。

わたしのように、休職から離職になった人は、どのくらいいるのか。
うつで休職している人が復職するための取り組みにはどんな物があるのか。
1回復職してから、また再度うつになる人は、どのくらいいるのか。

データーが、欲しい。
データーが、ない。

これだけ、「心」の問題が取りざたされているのに、それをちゃんと分析するためのデーターが、役に立つデーターが、ないのだ。


確かに、難しい。
「心」の問題は目に見えるものではないから、「この人は、うつ」とカウントすることはとても難しい。

「うつ病だから、仕事を辞めた」という事実ひとつとっても、それをちゃんと関連づけて分析するのはものすごく難しいから、データーになって上がってこないのも……当然かもしれない。

そして、「いじめ」や「不登校」のデーターを見ていても、明らかに現場の実態とかけ離れているなぁ……と思う物が多いのも……「事実をつかみにくい」という理由の他に、「隠したい」「曖昧にしたい」という理由もひそんでいるように思えてならない。


データーが、欲しい。
社会に蔓延している心の問題を、すこしでも「良い方向」に持っていくためには必要な物なのに。

何が、わたしにできるのか。
何をどうしたら、この問題をちゃんとみんなの物にしていくことができるのか。

まだまだ、壁は厚いんだなぁ……。
でも、崩して行かなくては、始まらない。

自分と話をして笑顔になってくれる人の顔を見るたびに……早くもっと多くの人たちがこうなるように何とかしたいと焦るだけの私がいる。




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化粧って、必要ですか?
[2009/01/13 15:41] ひとりごと
こんな記事を、読みました。




【働く女子の実態】女子のすっぴんでOKな行動範囲とは?

デートではばっちりメイクを決めている女性でも、毎日毎日フルメイクっていうのはなかなか難しいもの。ちょっとそこまで行くくらいならいいよね、と思ううちに、だんだんすっぴんで行ける距離が長くなって……!? エスカーラ世代のみなさん、あなたの「すっぴん可能距離」はどのくらいですか?

続きはこちらから




若いころに、こんなことを言われたことがあります。

「メークするのは、女の人の身だしなみだろ。」………と。

わたしは、メークが嫌いです。
なので、若いころから演奏会のステージに登るとか、なんか儀式があって「そういう装いがあった方がいい」と思われる場以外はメークはしません。

「身だしなみ」と言われると、変だなぁ、と思うのです。

だって、男性はすっぴんで歩いていても何も言われないじゃないですか。

女性だけ顔の上にいろいろかぶせて顔を作る(メーク)のを、「必然的な身だしなみ」と言われるのには、非常に抵抗があったのでした。

だから、毎日の仕事に行くにも私はすっぴんでした。
若いころからずっと、今でもすっぴんです。

ただ身だしなみとしてやっていたことは、見た人が不快感を持たないように、お肌の手入れをきちんとすること。
それは、髪の毛をとかしたり、髪の毛を洗うのと同じようなものです。

髪の毛のメーク……たとえばパーマをかけたり染めたり……という行為が「身だしなみ」と言われないのと同じように、顔にだって薬を塗りたくる(決してお肌のためにいいとは思われないですよね、これ)行為だって、「身だしなみ」っていって欲しくないと思うのです。

する、しないは個人の好みだから。
だから、お化粧することに対していろいろいうつもりはありません。

でも、お化粧しないと、さも女を捨てたようにとらえたり、身だしなみができていないと思われたりするのは非常に不本意なのです。

顔はちゃんと洗って、お肌も整えて。
見る人、会う人が不快にならない最低限のことはちゃんとしています。

それを「身だしなみ」というのだったらわかるけど。

メークするのは、はたして「身だしなみ」なんでしょうか?
すっぴんという行為は、そんなに恥ずかしいだらしない行為なんでしょうか?

もともと備わっているお肌の美しさを覆ってまで、作り上げた美しさでいることが「身だしなみ」とか「エチケット」だとは思えないわたしです。

そんなわたしは、48才の今でもすっぴんで毎日通しています。
化粧しないできたので、お肌はそんなに荒れていないし、ちゃんとつやも張りもまだまだあります。

美人だとは決して言えない顔の作りだけれども、表情だけは誰よりも生き生きとしているつもりです。

外を磨くよりも……中を磨いて内から輝くものを持てる人間になりたいと、いつも思っているのです。
それが、わたし自身の人に対する「身だしなみ」だと思っています。
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