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  2008年10月  

             
なんでいけないのかなぁ。。
[2008/10/30 10:04] ひとりごと
もうひとつ。気になった記事。




神奈川県立神田高:ピアス/スカート短い…身なりで不合格 合格基準到達の22人

 神奈川県教育委員会は28日、県立神田高(同県平塚市、渕野辰雄校長、生徒数347人)の05、06、08年度入試で、試験の成績が合格基準に達していながら、「つめが長い」「スカートが短い」など服装や態度を理由に計22人を不合格としていたと発表した。県教委は「不正な選考だった」とし、希望者に対して入学や編入などの対応を検討している。=一部地区既報

 県教委によると、同校は05年度入試で、願書提出や受験時に「著しく目立つ点」がある受験生をチェックするよう当時の校長が指示、教諭らが用紙に受験番号や名前とともに「問題点」を記入した。試験結果が出た後、特に問題点が多い受験生については「入学後の指導が困難」と判断し、05、06年度に6人ずつ、08年度は10人を不合格とした。男女別は「調べることができない」として明らかにしていない。

 今年7月に県の内部通報制度で「不正な選考が行われていた」との指摘があり、県教委が8月から調査。問題点の記入内容は「態度が悪い」「服装がだらしない」から「髪染めの跡」「ピアス」にまで及んでいた。




高校入試だよね……これ。
入学するに適切かどうかの判断でしょ、これ。

そこに服装入れちゃいけないのかなぁ。

入社試験じゃ、当たり前のことだよね。
服装や態度が判断基準のひとつになるの。

紙の試験の結果だけでその人間が判断される世の中自体がおかしいと、わたしは思うのだけど。

以前、入学金を払わないで入学式に出してもらえないという騒ぎがあった。
その時にもわたしは書いたけど。

高校は、義務教育じゃないんだよ。
高校は、高校生としての学びたい思いがある人が入るところであって。

その気持ちがあるかどうかは、紙の試験だけじゃわからないし。

服装、その日だけでもきちんとすること、そういう気持ちを持つこと、きちんとするべき時に、きちんとできるかどうか……そういうこそすべてが判断基準になるべきだと、わたしは思うなぁ。

むろん、それは基準を設けにくいし、私情も入りやすい。

だけど、それだからこそお互いのしっかりした信頼感の上で成り立つようにして取り入れていくべき項目だと思う。

日本の社会は、こういう精神的な面を今まで切り捨てすぎた。
紙の試験の点数のみですべてが判断され、資金力・財力・家柄血筋など本人自身の人柄や精神的な成熟さとは無縁のところでの選別が行われすぎた。

まったく切り捨ててしまってもいけない。
その部分の欠如した社会は、成熟した社会にはなり得ない。

見かけというのは、かなり人柄を見るのには重要だ。
そればかりにとらわれちゃいけないけど、大切な要素だ。

どんなに着飾っても、どんなに高価なものを身につけても。
心が貧しい人は高価なものが単なる金メッキにしか見えない。

どんなに安物でどんなに簡素な服装をしていても。
心の豊かな人は身につけたものも高価なものに見せてしまう力がある。

それは、けっして紙の試験のようにはっきりと誰にでもわかるものではない。

だけど、そういうものを感じる力を失っちゃいけないし、そういうものをもっと大切に思う社会であるべきじゃないかと思うのだ。



校長を更迭して、それで責任逃れした神奈川県の教育委員会。
情けないと、そう思う。

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お金かけたからって話せるようになるもんじゃなし~英語
[2008/10/30 09:30] 教育・学校
こんな記事が目についた。




別に~~~、お金かけなくたっていいじゃない。
この記事読んでいると、話せるようになるためにはお金かけなくちゃダメみたいだけど。

日本語話すようになるために金かける人いないよねぇ。

言葉を話すってどういうことなのか。
それは、相手に自分の気持ちや想いや考えを伝えるためでしょ?

生まれて、育っていくときに、嬉しい、悲しい、おなかすいた……
そんなことをまず親に、周りの人に、伝えたいから言葉が出てくる。

そこには気持ちがあって、その想いがエネルギーになって言葉が生まれてくる。

お金なんか必要ないよね………。


言葉って、みんな同じなんだと思うけど。
英語だってドイツ語だって、イタリア語だって。

その時、その想いを一番伝えようとしてぴったりだったら、使ってみればいいんだよね。

何も、文法的に完璧じゃなくたっていいんだよね。
たった一言、単語1個だけだっていいんだよね。

もともとみんな、そこからの出発なんだと思うけど………。


たとえば単語間違えたら、相手は聞き返してくるから。
そしたら相手にわかるように、伝わるように、言い直せばいいんだよね。

そこにあるのは、相手と自分との心の交流。
お金の流通で言葉が出てくるわけじゃない。

本当に話したかったら、本当に伝えたかったら、別にお金かけて教材買ってやらなくても自分で言葉使うようになればいい。
わからない言葉があったら、身振り手振りでいいから相手に聞けばいい。

みっともなくたっていいじゃない。
一生懸命に伝えようとする気持ちがあれば、ちゃんと伝わるしいつかその中で伝わる言葉もわかってくるはずだよね………。


それは、英語に限ったことじゃない。
日本語だって同じ事。

わたしは、英語がどうのこうのと言うよりも……こういう日本語でのコミュニケーションや伝達の方法がちゃんとできていたら、英語だってちゃんと伝えられるようになるはずだと思うんだけどね。

根本的に、相手に伝えよう、相手の思いに答えようとする日本語の使い方自体が出来ていない人が多いような気がするよ……。

それはもう、英語以前の問題なんだと思うんだなぁ……。


日本人は、もっとちゃんとに言語の重さや大切さ、感じた方がいいと思うなぁ…。
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名優が、逝く…緒方拳さん
[2008/10/07 20:11] ひとりごと
津川雅彦さんが、緒方拳さんの最期を看取った様子を綴った記事を読みました。

津川雅彦、故・緒形拳さんの最期を綴る

緒方さん本人を知っていたわけでもないのに、読んでいて緒方さんらしい……と思ってしまいました。


俳優の緒方拳さんが、亡くなられたそうです。
肝ガンだった……にもかかわらず、周りには悟られないで仕事を続けた……。

わたしは、緒方さんのことが妙に子どもの頃から印象に残っているのです。
親が毎週見ていた「大河ドラマ」。
そこで、2回緒方さんのやった豊臣秀吉を見ました。

正直言うと、わたしは秀吉が好きじゃありません。
だけど、緒方さんのやる秀吉は……好きでした。

それから、もう一つ、藤原純友。
歴史の教科書にたった1行しか名前の載らないこの人物に対して…緒方さんのやったあとから、ものすごく興味を持ったんです。

何故あんなに印象に強かったんだろう。

そう思い返してみると、緒方さんの「笑顔」に行き着きました。

泣き笑いも、嬉し笑いも、感動した笑いも、豪快な笑いも。

緒方さんの笑いは、心からの笑いだったように思います。
緒方さんの笑顔は、うそのない笑顔。
そして、辛いことも悲しいことも、すべてのみつくした笑顔。

それが、緒方さんのやる役にものすごく魅力を感じさせていたんじゃないかなぁ、と思いました。

あの笑顔をもう、見ることが出来ないのは、本当に寂しいです。

心から、ご冥福をお祈りいたします……。
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