fc2ブログ

月別アーカイブ

  2008年06月  

             
みんな、人のせいなんだから。
[2008/06/11 11:07] 教育・学校
親が悪い。
学校が悪い。
会社が悪い。
自分を認めてくれない社会が悪い。

先日の事件に関わる記事を読んでいると、そういう考え方があちこちから見えてくる。

そういう者にとって「誰でもよかった」ということはつまり。

自分の哀しみや苦しみも、結局みんな人のせいで。
でも、いろいろ重なって、一体どの哀しみが誰のせいだかもわからなくなって。
だから、その原因を誰に求めていいのかもわからなくて。

それでも、自分がこうなっちゃったのは、きっと誰かの、何かのせいなんだから……。
だから、誰でもいい、自分の苦しみの「責任」を負ってくれ……。

そんな思いが流れているような気がしてならない。


そして、この事件において、おおかたの報道も世間の反応も。
事件を起こした犯人が悪い、となるのは当然の話。

むろん、わたしだって、なにも関係のない人の命を奪うこの行為は許せない。
彼の責任は厳しく追及されるべきで。
もっというのなら、「自分の起こしたことを、今度は人のせいにせずに、きちんと自分の行為として自分で責任とりなさい」という気持ちはある。

命を奪うことは、人が人の命を奪うことは、許されることではない。
同じだけの苦しみを、きちんと自分で背負うことは、犯人にとっては絶対に必要なことだと思う。


だけれども。
この事件はこの事件として切り離して考えていたら。
今後、また同様な事件が起こらないという保証は全くない。

なぜなら………
「人のせい」と原因や責任を自分でないほかのものに求める風潮は、これは今の日本の社会でごく身近に起こっている思考の道筋だから。


何回か、わたしは教育問題に関わってこのブログにも書いている。

いじめ問題。
不登校の問題。
「ゆとり教育」と呼ばれた教育に対しての糾弾の問題。

そのたびに思うこと。

「みんな、人ごとだと思っている……だから、この問題、なくなりっこないよね。」

学校はいう。
社会が変わってしまった。
親の家庭教育力をなくしている。
忙しいのは上からの押しつけのせいだ。

親はいう。
学校の教育力が低下しているせいだ。
学校、もっとしっかりしてよ。

社会もいう。
学校がちゃんとしていない。
親もちゃんとしていない。
文科省もしっかりしろ。

………みんな、人のせいなんだよね。

それじゃあ。
それぞれの者たちはお互いまったく関係ないのだろうか?

そうじゃないと、わたしは思う。

子どもを育てるのは誰だろう?
まずは、家庭。
でも、その家庭を育てるのは誰だろう。
それは、地域や社会。
学校を見守って支えるのは誰だろう?
子どもを出している親と、その学校を取り囲む地域のみんな。

そして、そのすべては日本という社会のひとつの構成要素だから。

どれも切り離せない要素であり。
どれも大切な要素であり。
どれをなくしても成立しない。

だから、学校で起こっていることは、家庭にも関係あり、地域にも関係あり、まして社会には大きな影響があるはずなのに。
そして、その方向の逆のルートもまたあり得ることで。

どれかひとつに原因を求め、そのせいにして追求しても、一番の元凶は、なくなりはしない。


人のせいにする。
それは、自分には関係ないという無意識の責任回避。
その出来事は、あくまでもひとごとで、自分に関わりない世界の出来事。

だから、自分自身は動かないし、変わらなくてもかまわない………。

突き詰めると、そうなっていってしまうのだ。


秋葉原の話を聞いたとき。
わたしは池袋の雑踏を歩いていた。

今、この瞬間に、ここで同じ事件が起きる可能性だって十分にあること。
そう思って背中がぞくっとしてしまった。

実際に、たぶんまだまだ同じ根っこはあっちこっちにはびこっているはずで。
もしかしたら、今、自分が対している周りの人間にだって、そういう思いがないとは限らない。

けれども逆に考えたら、どうだろう?
もし、自分の周りにいる人たちの中にそういう物があったとしても。
自分1人でもいいから、「これは人ごとではない。これは、自分たちが何とかしなくてはならないこと。自分の関わりで、何かは変わるかもしれない」と、そう思って動いたとしたら。

そういう気持ちで周りを見て、声がけや行動を続けたら。

そういう「1人」があっちにもこっちにも、自分の周りにいてくれたら。。

「これから起こる可能性」は少しでも薄まるのじゃないか。


「自分に関係ない」
「みんな人が悪いんだ」
この思いは、多かれ少なかれわたしの中にもある。
周りの人も、人間だったらたぶんみんなが持っている気持ち。
なにも、あの犯人だけの思いじゃない。

だからこそ、あの事件はどこか遠いところの人の事件ではなく。
自分の周りで当たり前に起こるかもしれない事件だとみんな受け止めるべきじゃないのか。

そうして、その受け止めができれば
「何とかしなくっちゃ」
「自分たちが何かできる」
「自分たちで防ぐことができる」
そう思う人がすこしでも増えていくに違いない………

それが、二度とあんな悲しい事件を起こさないための一番の近道なんじゃないか。
わたしは、そう思う。



スポンサーサイト



教育・学校 | トラックバック(0) | コメント(3)
この記事のURL