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  2008年06月  

             
辛い人の立場に立ってみたら、こうならないと思うけど。
[2008/06/23 12:05] ひとりごと
某新聞社の教育相談を読んでいたら、こんな記事が目についた。



学校怖がる娘 どうすれば

 小学5年の娘は、姉が中学に進学した2年の時、学校を怖がるようになりました。1人で授業に出られるようになった時期もありますが、進級すると「学校行きたくない」となり、実質3年近く、教室で娘に付き添ってきました。今年はまだ教室に入っていません。保健室登校やフリースクールも嫌がっています。

 生活の切り替えがない毎日に疲れきっている自分がいますが、娘のことを思うとあきらめられません。担任は苦労をくんでくださっています。こんな風に付き添うだけで良いのでしょうか。

回答

 わが子に常に寄り添い続け、寝ても覚めても、娘さんのことばかり考えている親御さんの姿が伝わってきます。

 私は小学4年のときに不登校気味になり、理由もなく学校を休んでいました。毎朝、母が学校へ欠席の電話を入れると、「今日は学校に行かなくてもいいんだ」と安心したものでした。布団の中からそっと母の姿を見ると、母は私の心の中を見透かしているような気がしました。

 子供は親の姿に敏感で、親のさりげない言動にも何かを感じるものです。

 今のあなたにとって、簡単にできることではないと思いますが、疲れきっている姿は、できるだけ娘さんの前では見せないようにしましょう。娘さんはあなたの姿や様子から何かを感じ、不安になるものです。子供の心を安定させるためにも、普段と変わりない親の姿を子供の前では見せるようにしましょう。

(中略)

 つらい状況ですが、わが子とできるだけ明るく接していきましょう。





回答者は、教育者。
読んでいて、なんかとても冷たい気持ちになっちゃった。

どうして、こんなに必死で頑張っているお母さんに、「頑張っていますね、辛いですね」って声かけてあげないのだろう?

きっと、このお母さんは、そういう言葉が欲しいんだよ……心から……。



不登校って、子どもも辛いよ、当然だよ。
でも、見ている親も、もっと辛いんだよね。

質問のお母さんって、たぶん、ものすごく辛くてたまらないんだと思う。
一生懸命頑張って、それでもどうしようもなくて質問したんだと思う。

だけど、この回答じゃ、救われないよなぁ………。

だって、子どもの前で平然と、いつもの親の姿のままにいなさいってことでしょ?
辛いこと1人でかみしめて、外に出さないでいなさいってことでしょ?

それが出来ないから相談したんだと思うのに………。


回答者が言っているように、子どもは親の姿に敏感だよ。
だから、なおさら、親が何も言わずに平然を装って頑張っていることもちゃんと感じ取っているんだよね。

それで、親が頑張っているのに、それに答えられない自分は悪い奴だって思って自分を責めるんだよね。

本当は、親も、もっと思いを出していいんだと思う。
自分も辛いし、悲しいけど、でも、おまえと一緒に頑張るからね、だから辛いけど一緒に泣いて悲しんで、そうしながら一緒に前に少しでも進んでいこうね……って、そう子どもに伝えていいんだと思う。

それを、親が平然として我慢していたら、子どもは何も言えなくなっちゃうのにね。


この相談したお母さんは、この回答読んで、もっともっと辛くなったんじゃないかなぁ。
自分の頑張りは、まだ足りないのかって、もっともっと自分を追い詰めちゃったんじゃないのかなぁ?

回答者は、自分の過去のことを持ち出したはいいけど、それはあくまでも自分の視点からはずれていないそれも、子ども視点のままの考えで。
親の視点に立っていないよなぁ………。

こういう回答が、平然と新聞に載っていたら……
同じようなたくさんの親御さんたちがみんな自分のこと責めると思うのに。


ああ……早く、こういうことに気が付いてあげて欲しい……
子どもも辛いけど、親だってものすごく辛くて答えを求めていることに。

親に対しての責任を求める社会の空気が消えない限りは、こういう親子の辛さや苦しみは決して消えてなくなることはないということに。
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母の想い、娘に届いて……。
[2008/06/22 15:31] ニュース
本当に、お互いのことを想うとき。
人は、こんなにも強くなれるのだろうか………。




<四川大地震>
死んだ父親に成り済ましメール発信=娘の受験支えた母の思い―中国
                                                            2008-06-21 19:47:01 配信


2008年6月18日、「大学受験を控えた娘を動揺させてはいけない」という思いから、大地震による父親の死を隠すために、父親の口調を真似た携帯メールを娘に送り続けた母親の存在が明らかになった。受験を終え、真実を知った娘はその時…。揚子晩報が伝えた。

江蘇省の陳素文(チン・スーウェン)の夫・載林(ザイ・リン)さんは、5月上旬からセメント工事の専門家として四川省北川県入りしており、12日に発生した大地震で命を落としてしまう。被災地入りした妻の陳さんがビルの廃墟で夫を発見したが、すでに手遅れに。傷心の陳さんはその時見つけた夫の携帯電話を握りしめ帰路に着いた。

「お父さんに会いたい。昨日、夢にお父さんが出てきたわ」

夫の携帯に娘・戴騁(ザイ・チョン)からメールが届いたのはそんな時だった。メールを見た陳さんは「娘を動揺させないよう夫の死は伝えない」と心に決めた。夫の夢は娘を北京の外国語大学に進学させることだったからだ。その夢を叶えるために陳さんは、夫の口調を真似て「お父さんは地震で大腿を怪我して入院している。でも、北川からお前の幸せを祈っている」と返信した。

陳さんはその後も娘をごまかすために、「お父さんは入院しているからメールしか送れないのよ」と繰り返し言い聞かせ、毎日2本のメールを送った。受験前夜の最後のメールでは「気を楽にして自分の力を発揮するように」と激励した。

受験が終わり、担任から父親の死を告げられた戴騁は母親の腕の中で激しく泣いたが、2時間後にはすべてを悟り、泣くのを止め、すっかり弱り切った母親を慰め始めたという。(翻訳・編集/汪葉月)


                                                              記事はこちら。    






母親は。
どんなに泣きたかったろうね………。

娘と一緒に抱き合って泣いたら、もっと早くに元気になれたかもしれない。

でも、自分よりも娘のことを想った。
そして、自分の夫が娘に対しての思いもちゃんと感じていた。


娘は。
そんな母の想いと、父の自分への想いをちゃんと受け取った。


父の存在がこの世から消えてしまったけど。
でも、この家族はずっと家族なんだ。




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崩壊している国、日本
[2008/06/13 11:09] ひとりごと
秋葉原の事件。
点滴での事故。

マスコミの報道。あくまでも「よその国の出来事」的な描き方。

高齢者問題。
低所得者に優しくない社会。

少子化だと騒ぐ割には、産科の閉鎖が続く国。

かつては「鎖国」で大々的な交流がなくても、
自分たちの足でちゃんと立っていた国、日本。

時代が違うし、鎖国がいいとは思わないから、
それがすべてとは思わないけど、
少なくとも「自分の足で立っている国」というイメージはいま、全くない。

国の人間が食べるものさえ、自分たちでまかなえない。
工場で作る物さえ、よその国の安い労働力に頼る。

本当にいい物を作ろうと思っても、金も手間もかかってしまうから
長く使えるものよりも、使い捨てして新しいもの買った方が安いから

すべてが流れ作業になって、
原材料から出来上がったものの表情までが一貫して見えなくなった。

ベルトコンベアーの最初と最後で、
一体何がどうなっていくのか、
それぞれの場所を担当している人間は知るよしもない。

だから、みんな、人のせいで。
自分の部署には関係ない。

学校で行われている教育も、流れ作業。
病院で行われている治療も、流れ作業。
家庭の食卓での食事さえ、流れ作業。
国会で国の明暗を決める、会議だって流れ作業。

子どもが大人になっていく、その大切な過程もみんな、流れ作業。


一生もののおつきあいがどんどんなくなっていく。
目の前を通り過ぎたら、もう関わりないものになっていく。

そんないまの世の中。



大量生産は、もうやめないと。
昔のように、一生ものを作り上げる職人にならないと。

日本の国中の人間が、
生きることに対して職人としての誇りを持たないと。

気が付いている人は、たくさんいて。
何とかしようと動いている人もたくさんいる。
だから日本はまだ死なない。

でも、早くしないと、手遅れになる。。
気が付いている人たちをきちんと支え、応援する、そんな日本にならないと。

日本は本当に、だめになる。
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みんな、人のせいなんだから。
[2008/06/11 11:07] 教育・学校
親が悪い。
学校が悪い。
会社が悪い。
自分を認めてくれない社会が悪い。

先日の事件に関わる記事を読んでいると、そういう考え方があちこちから見えてくる。

そういう者にとって「誰でもよかった」ということはつまり。

自分の哀しみや苦しみも、結局みんな人のせいで。
でも、いろいろ重なって、一体どの哀しみが誰のせいだかもわからなくなって。
だから、その原因を誰に求めていいのかもわからなくて。

それでも、自分がこうなっちゃったのは、きっと誰かの、何かのせいなんだから……。
だから、誰でもいい、自分の苦しみの「責任」を負ってくれ……。

そんな思いが流れているような気がしてならない。


そして、この事件において、おおかたの報道も世間の反応も。
事件を起こした犯人が悪い、となるのは当然の話。

むろん、わたしだって、なにも関係のない人の命を奪うこの行為は許せない。
彼の責任は厳しく追及されるべきで。
もっというのなら、「自分の起こしたことを、今度は人のせいにせずに、きちんと自分の行為として自分で責任とりなさい」という気持ちはある。

命を奪うことは、人が人の命を奪うことは、許されることではない。
同じだけの苦しみを、きちんと自分で背負うことは、犯人にとっては絶対に必要なことだと思う。


だけれども。
この事件はこの事件として切り離して考えていたら。
今後、また同様な事件が起こらないという保証は全くない。

なぜなら………
「人のせい」と原因や責任を自分でないほかのものに求める風潮は、これは今の日本の社会でごく身近に起こっている思考の道筋だから。


何回か、わたしは教育問題に関わってこのブログにも書いている。

いじめ問題。
不登校の問題。
「ゆとり教育」と呼ばれた教育に対しての糾弾の問題。

そのたびに思うこと。

「みんな、人ごとだと思っている……だから、この問題、なくなりっこないよね。」

学校はいう。
社会が変わってしまった。
親の家庭教育力をなくしている。
忙しいのは上からの押しつけのせいだ。

親はいう。
学校の教育力が低下しているせいだ。
学校、もっとしっかりしてよ。

社会もいう。
学校がちゃんとしていない。
親もちゃんとしていない。
文科省もしっかりしろ。

………みんな、人のせいなんだよね。

それじゃあ。
それぞれの者たちはお互いまったく関係ないのだろうか?

そうじゃないと、わたしは思う。

子どもを育てるのは誰だろう?
まずは、家庭。
でも、その家庭を育てるのは誰だろう。
それは、地域や社会。
学校を見守って支えるのは誰だろう?
子どもを出している親と、その学校を取り囲む地域のみんな。

そして、そのすべては日本という社会のひとつの構成要素だから。

どれも切り離せない要素であり。
どれも大切な要素であり。
どれをなくしても成立しない。

だから、学校で起こっていることは、家庭にも関係あり、地域にも関係あり、まして社会には大きな影響があるはずなのに。
そして、その方向の逆のルートもまたあり得ることで。

どれかひとつに原因を求め、そのせいにして追求しても、一番の元凶は、なくなりはしない。


人のせいにする。
それは、自分には関係ないという無意識の責任回避。
その出来事は、あくまでもひとごとで、自分に関わりない世界の出来事。

だから、自分自身は動かないし、変わらなくてもかまわない………。

突き詰めると、そうなっていってしまうのだ。


秋葉原の話を聞いたとき。
わたしは池袋の雑踏を歩いていた。

今、この瞬間に、ここで同じ事件が起きる可能性だって十分にあること。
そう思って背中がぞくっとしてしまった。

実際に、たぶんまだまだ同じ根っこはあっちこっちにはびこっているはずで。
もしかしたら、今、自分が対している周りの人間にだって、そういう思いがないとは限らない。

けれども逆に考えたら、どうだろう?
もし、自分の周りにいる人たちの中にそういう物があったとしても。
自分1人でもいいから、「これは人ごとではない。これは、自分たちが何とかしなくてはならないこと。自分の関わりで、何かは変わるかもしれない」と、そう思って動いたとしたら。

そういう気持ちで周りを見て、声がけや行動を続けたら。

そういう「1人」があっちにもこっちにも、自分の周りにいてくれたら。。

「これから起こる可能性」は少しでも薄まるのじゃないか。


「自分に関係ない」
「みんな人が悪いんだ」
この思いは、多かれ少なかれわたしの中にもある。
周りの人も、人間だったらたぶんみんなが持っている気持ち。
なにも、あの犯人だけの思いじゃない。

だからこそ、あの事件はどこか遠いところの人の事件ではなく。
自分の周りで当たり前に起こるかもしれない事件だとみんな受け止めるべきじゃないのか。

そうして、その受け止めができれば
「何とかしなくっちゃ」
「自分たちが何かできる」
「自分たちで防ぐことができる」
そう思う人がすこしでも増えていくに違いない………

それが、二度とあんな悲しい事件を起こさないための一番の近道なんじゃないか。
わたしは、そう思う。



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やっぱり…il||li _| ̄|○ il||l
[2008/06/04 21:21] ひとりごと
iPhone、ソフトバンクにとられたか………。il||li _| ̄|○ il||l

docomoにがんばって欲しかったな………。。・゚・(*/□\*)・゚・。 ウワァーン!!


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また、値上げ………>ガソリン価格
[2008/06/01 11:01] ひとりごと
一体、どこまで行くのでしょうね……ガソリンの価格。

昨日、ちょっと遠出をしたので車のガソリンがほぼ終わりになった。
入れようと思ってスタンド目にしたときに、行列………。

思い出した……6月から、また、値上げだ………。

ちょうど給油の必要があったし、スタンドに飛び込んで給油した。
夜8時。
間に合って、よかった………。

それでも、満タンにしたら8000円近くのお金が飛んでいった。


ここのところ、いろいろな土地を飛び回る機会が多くて、そのたびにガソリンの価格が目にはいる。

先日、東京を走っていたら、軒並み150円台だった。
なんでこんなに価格が違うんだ?
私の今、住んでいるあたりのレギュラーの標準価格。。東京のハイオクの値段なんだけど………。
それも、セルフのスタンドなのに………。

どうも、私の住んでいる県ではめちゃくちゃガソリン価格が高い。
山に囲まれて交通の便がむちゃくちゃ悪いから、どこに行くにも車は必需品なのに。
一家に2台が平均のこの県で、必需品のガソリン価格が東京よりもリッター10円高い。

なのに、ここにさらに10円プラスになるのか???今日からは………。

どうにかして欲しい。
公共交通、あんなに便利がよくて車のいらない東京でガソリン安いのに。
先日、地下鉄で移動したら、車でガソリン2000円分の距離をたった190円で移動しちゃった。

こんなところにも、地域格差があるのにね。
そういうところには、政治家の人は誰も注目してくれない。

地方では、交通網が脆弱だから、当然利用者も少なくて。
だから、当然交通費もめちゃくちゃ高い。

私が都内190円で移動した距離を、地元の私鉄で移動したら、1000円近くかかるのよ。

こういうところにも、誰も注目をしてくれない。


あまりのガソリン高沸にたまらず、先日バイクの免許を取って近場はバイクに切り替えた。

免許取るお金、バイク買うお金。
これも馬鹿にならないけど、これから長い目で見たときに、たぶん今、切り替えた方がいいのだろうと苦肉の策だった。

この「地域格差」を助長するガソリンの値上げ。。
一体これから、どこまで行くのだろう?
ガソリンの安値を競って「99円」なんて看板を見たあの頃が、遠い夢物語に思える………。


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