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この記事を、どう見るか。[2008/05/07 07:36] 教育・学校
どうなる学校 公立が塾と連携(下) 塾講師に“教え方”学ぶ
2008年5月6日中日新聞 学校と塾の連携は今や受験指導や授業のさらに先を行く。塾は、教員の“武器”である「教える技術」を指導するなど、教員の“先生”に立場が逆転している。「教育をする人」が塾に教えられる関係に、戸惑う声もある。 (井上圭子) 「教師は魅せて伝える仕事。情報伝達の要素は7%が内容、93%が表現力。ジェスチャーや表情を磨きましょう」「まずは発声練習から。起立! 口を大きく開けて。あ・い・う・え・お!」 ある土曜日の午後。東京都新宿区の早稲田アカデミーで開かれた「教師力養成塾」。初回テーマは「表現力」。受講生は全員が現役教員だ。 ビデオを使った自己紹介実習では、講師から鋭いアドバイスが飛ぶ。「一番近くの生徒を見てない」「線が細くて頼りない印象。手を横に広げて話すと堂々と見えるよ」「猫背を生かして、前傾姿勢でもっと手を使うとやる気が伝わる」「話の句読点で相手の目を見て。滑舌を良くするには口の形を意識的に作って」 受講した教員らは「同僚同士ではここまで本音を出さないし、互いに高め合う余裕もない」「保護者や校長の評価が厳しい今、自分の学校では弱みを見せられない」などと、学校では“技”を磨きにくい現状を口にする。 同塾統括責任者の大矢純さんは「われわれが伝授するのは『学習する空間づくり』。そのノウハウが学校現場で役立ち、弊社にも新しいビジネスチャンスになれば一石二鳥」と話す。全国の学校から呼ばれ、大矢さんは連日飛び回る。都内でも足立区などいくつかの自治体が昨年度、教員研修の一環として同塾講師を招いた。 塾の膨張は続く。教員養成の大学院経営に参入した企業もある。学習塾の栄光ゼミナールなどを展開する「栄光」は二年前、千代田区に社会人対象の日本教育大学院大学を開校。現職や「教員の卵」七十数人が学ぶ。梶原宣俊事務局長は「国の教育改革には期待できない。ならばわれわれが先生を変えようと。文部科学省もわれわれの存在を認めた。塾はもう日陰者ではない」と胸を張る。 「教える技術」という教員の本業にまで食い込む塾。公立校はその“軍門”に下ったように見える。 昨年、初任者研修に教師力養成塾の講師を招いた多摩地区のある市教委は「従来の研修は授業の組み立てや教材研究が中心で、発声法や板書法など表現方法までは触れなかった。違う視点からの指摘は新鮮で役立った」と認める。だが、こうした「逆転の関係」への負い目からか「将来も継続して協力を求めようというわけではない。自治体名は伏せてほしい」とも話す。 元公立高教員で「プロ教師の会」の諏訪哲二代表(66)は「学校教員の仕事の八割は人間づくり、二割が学習指導。技術だけでは生きられない世界。塾の売れっ子講師が学校でも有能とは限らない」と塾依存に懐疑的だ。 その上で本来の公教育のあり方を「社会を形成していく自立した個人を育てるのが学校の役割」と指摘、「『学力重視』の風潮にバカな教委や校長が流され、自己革新力のない教員が振り回されている。人間づくりを真剣に考えている教員は困っている」と批判する。 受験実績や学力重視に公立校が走り、一方で塾は「日本の教育改革」を旗印に掲げて成長している。両者の境界が薄らぐ中、公教育の意義が問われている。 塾がどうの、公立学校がどうの。 軍門に下った、勝った、負けた。 こんな表現しているようでは、どっちもおしまいだと、私は思う。 だって……この表現の中に、本来教育の主人公である「生徒」の姿が見つけられないから。 何のために、教育をするのか? それは、生徒のためでしょ? 子供たちに生きる力を付けるために。 子供たちが自ら考え、自らの柱を一本しっかり真ん中に据えて、1人の大人として、社会の一員になっていくことが出来るように。 それをするのが「教育」の目標でしょ? その視点が全くないんだよね………。どこ読んでも。 私はその方が怖い、と思う。。 記事の最後の方に、ちょっとだけそこに触れている。 重要視されるべきなのは、この視点だと思う。 塾は、塾だ。 経営向上させるために、企業努力をものすごくしている、と思う。 分析や生徒の心をつかむための努力はものすごい。 でも、それはあくまで「利害追求」という視点。 そこは混同したら、まずい。 学校にしかできないこと。 それは、利害は関係なく、子供たちを育てることが出来る場所だ、ということ。 正直言って、教員の評価制度はそれを阻害すると、私は思っている。 逆に言うと、評価しなくては「だめ」な教員しかやとうことの出来ない教育委員会の責任を、現場に押しつている。 昔は評価なんかしなくても、それぞれがしっかり思いを持って生徒育てていたよ? 教育や、教師がおかしくなったのは、周りからの学校への期待が過度になって、評価に左右されるようになって…要するに、「周りの監視」におびえながらの教育活動になってきた頃から。 そんなものにおびえながら教育していたら、人からの思惑に左右されながら教育していたら、芯の通った教育なんか出来るはずないじゃないですか。 先生たちが「生き生きして」いた時代。 わざわざ指導なんかされなくても、先生たちはちゃんと生徒たちの心、つかんでいたように思うよ。 自分たちの「教えるテクニック」なんかね。 まなばなくっても、生徒たちとのやりとりの中で、先生たちもちゃんと身につけられていたんだよ。 先輩の先生たちからも、ちゃんと学び取っていたんだよ。 外に学びに行くくらいだったら。 もっと生徒たちと向き合えばいいのに。 一番の先生は、「生徒たち」だよ。 子供の顔見て。 子供の言葉を聞いて。 そしたら、彼らだってちゃんと反応してくれるはず、なのに。 生徒と向き合う時間を、こういう「研修」に当てるのね。 だけど、そういう先生だけを責められないの。 だって、周りがそれを求めるんだから。 こうやって、どんどん生徒と先生とは、かけ離れた存在になっていく。 これこそが今、教育現場にすでに深く根ざしている「一番の問題」だと思うのだけど。。。 無駄な研修。 余計な事務処理。 こういうことから教師を離して、もっと生徒と向き合う時間を確保しなくちゃ。。 塾じゃ、出来ないこと。 学力重視じゃ、出来ないこと。 学校にしか、出来ないこと。 すでにもう、手遅れではあるけれど。 1人でも多くの人が気が付いて、1人でも多くの現場の人間がブレーキかけて。 一刻も早く方向転換しなくっちゃ。 日本の教育、もうおしまいだよ。。。 |
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