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  2007年11月  

             
「戦争」には「意義」はない。
[2007/11/12 19:02] ひとりごと
 戦没米兵は「犬死にさせぬ」
        =イラク戦の意義強調-ブッシュ大統領
         (時事通信社 - 11月12日 11:10)

【ワシントン11日時事】ブッシュ米大統領は11日、ベテランズデー(退役軍人の日)に合わせてテキサス州の退役軍人会が主催したイラク戦没米兵の追悼集会に参加し、「最高司令官として約束する。彼らの犠牲を犬死にはさせない」と述べ、イラク戦争の意義を訴えた。

 大統領は、戦没米兵は「(自由という)善であり、崇高な大義に尽くした」と強調。「最愛の同志たちが倒れた時、彼らが引き受けた責務、戦い抜く決意、任務を完遂する決意を多くの人々は思い起こすだろう」と語り、治安が安定するまで撤退しない決意を改めて表明した。 




どんな大義名分を持ってしても、戦争はあくまでも「人殺し」なんだ…。
私は、そう思う。

こちら側の「正義」を貫くために、相手側の「正義」を力で押さえ込むこと、それも、戦争という武器を持ち、血を流すことによって強い方が弱い方を力で押さえ込むこと…。
それは、どんな理由があったとしても、「意義あること」とは思えない。

どちらが正義、どちらが悪者。
誰がその審判をするのだろう。誰が、それを裁くことが出来るのだろう。

きれい事を言っていると言われてもいい。
でも、私は人が人を裁くことなんて、できっこないと思う。

まして、人の命を奪うことによって成り立つ自由は、自由ではない。
そこには必ず、ゆがみが生じる。
力で成り立つ関係は、力で簡単に崩れ去る。

崩れたものを戻すのに、また力を使おうとしたら…その悪連鎖はどこまでも切れることはない。

せっかく「言葉」というコミュニケーション手段を与えられながら、人はそれを使いこなせていない。言葉だけでなく、体で、気持ちで、文で、音で…せっかく「表現」という力を与えられていながら…それを生かそうとしていない。

「暴力」は「表現」ではない…。

それだけは言えると思う。
だから、どんな大義名分をくっつけても、戦争には「意義」などない。

亡くなった人の命を「犬死に」にしないのだったら、一刻も早くこれ以上の犠牲を防ぎ、「表現」によって伝え会う方策を探るべきじゃないのだろうか?

そう思う私の考えは、甘いのだろうか?
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