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  2007年07月  

             
何が出来るのかなぁ…>中越地震に思う
[2007/07/23 11:04] 生活・自然
ぐらっと揺れて、まるで船に乗っているような気分になって、「これは大きい!」と思ったあの中越地震。

あの時は、まず家族や周りの人間の安全確認としばらくの間の警戒と、それまでも防災意識の再確認をした。

幸い、自分と自分の身の回りには直接の被害がなかったから、こんどは友達の家族…実家が新潟にある人達の心配などもしたり、できることがあれば、と義援金を送ったりもした。

あれから一週間。

直接の被害がなかったのですっかり身の回りは普通の生活で流れている。被災された方々への思いや祈りも薄れかけている。

だけど、先日人づてで聞いた。

実家が新潟にある友達は、休みごとに通ってそのお手伝いをしていること…。




中越地震に関しての記事をいくつか集めてみた。

<中越沖地震>避難所でエコノミー症候群 16人に血栓

                          (毎日新聞 - 07月23日 03:11)

 新潟県中越沖地震で、避難所にいる被災者の間に「静脈血栓塞栓(そくせん)症(エコノミークラス症候群)」の症状が出ていることが、新潟大医学部や国立新潟病院の医師らのグループの調査で分かった。同地震で症状が確認されたのは初めて。調査した医師らは「車中泊だけではなく、避難所生活でも起こりうることで、今後も増えることが予想される」として、緊急対策の必要性を訴えている。

 同症は長時間、同じ姿勢でいた時などにできる血栓が血管を詰まらせる疾患で、重度になれば死亡することもある。04年10月の中越地震では、同症が原因とみられる疾病で少なくとも3人が死亡している。

 調査は同県柏崎市で実施。避難所にいる被災者を超音波検査で調べたところ、21日までに286人中16人から血栓が見つかった。今のところ、心筋梗塞(こうそく)などの症状は確認されていない。

 同市は人口9万3518人(6月末現在)のうち、4分の1を超える2万4531人が65歳以上で、「避難所にいる高齢者はかなり多い」(市市民課)という。グループの中心となって活動している榛沢和彦医師(45)は「限られたスペースで寝起きしなければならない避難所では症状が起きる可能性は少なくない。特に高齢者はトイレを我慢するために水分をあまり取らないで済まそうとする傾向があり注意が必要」と指摘している。

 県は中越地震の経験から昨年9月、県医師会とともに同症を予防するためのガイドラインをつくり、県内の医師に周知を図っている。今回、血流をよくするための方法などを記した2万部以上のチラシを被災地で配布しており、近く、県医師会と新潟大医学部、県内の専門家らによる対策会議を設置し、避難所での検診態勢などを決める方針。榛沢医師は予防方法について「水分補給と適度な運動をすること」と話している。

 一方、県警は被災地のパトロールで21日までに11人が車中泊しているのを確認している。【松本信太郎、光田宗義】


長引く避難所生活、「プライバシーほしい」の声広がる
                           (読売新聞 - 07月22日 10:15)

 新潟県中越沖地震による避難所生活が長引く中、プライバシーの確保が課題になってきた。

 「人目を気にせず着替えを」「家族水入らずで過ごしたい」といった要望が増えており、行政やボランティア団体などが“個室”づくりに乗り出している。「エコノミークラス症候群」=肺塞栓(はいそくせん)症=の引き金になりかねない車中泊を選択する理由も、多くはプライバシー。個室の提供で、関連死を防止する効果にも期待が集まっている。

 21日時点の避難所数は70か所。120か所、1万2000人を超えたピーク時より大幅に減ったものの、なお3054人が避難している。避難所生活が長引くにつれ、意識され始めたのは共同生活の不自由さ。特に、「人の視線を気にせずに過ごしたい」(70歳代女性)、「着替えのためについたてのようなものがあれば」(小6女児)、「仮設トイレの中で着替えをしているが、狭くて大変」(70歳代女性)といったプライバシーを気にする声が多い。


<中越沖地震>原発の水漏れプール写真公表 社民党視察団

                           (毎日新聞 - 07月22日 21:11)

 中越沖地震で放射性物質を含む水が漏れた東京電力柏崎刈羽原発6号機の使用済み燃料プール周辺の写真を、視察した社民党調査団が22日、公表した。プール脇には今も大量の水が残り、損傷の修復が進んでいないことを示している。

 国会議員や弁護士らでつくる調査団は、3号機変圧器の火災現場や6号機4階の使用済み燃料プールをガラス越しに視察した。調査団の海渡雄一弁護士は「(原子炉の入った)建屋内の壁に亀裂が入っていた。原子炉の被災状況を速やかに公表すべきだ」と語った。【関東晋慈】




エコノミー症候群については、地震発生の折にテレビでもラジオでもアナウンスしていたが、すでに翌日からアナウンスはなくなっていた。

でも、怖いのはこれからなんだよね…。
避難所生活はまだ続いていて、いつ戻れるかもわからない人達がまだたくさんいるんだ…。

「水分とって」と言われても、トイレの近い人はどうしても避ける。
その気持ち、よくわかる。
自分だってきっとそうすると思う。

おまけに着替えるにも遮るもののないみんなごちゃ混ぜのなかで、汗かいたら着替えるからあまり動きたくもないだろうし、動きもとりようがないだろう。
まわりにも気兼ねがあるだろう…動きようがないに違いない。

わたしだったらやっぱり車中泊にしてしまうだろうな…。まわりにいつも人がいる環境はとても苦しいから。

せめて、家族単位で過ごせるようにはならないのだろうか…。この状態を何とか出来ないものか…。自宅を失って、さらにこう言う過酷な条件に置かれなければならない被災された方の心痛…。失ったもの以上に、これ以上の打撃を少なくする方法を…と願いつつも、出来ることが何かわからないのでただ祈るしかできない。

その一方で、地震時に火災を起こし、消火の不手際をさらけ出したあの原発。

損傷の修復が出来ていないというこの記事には、さらに不安をあおられる。

火事、地震…そういうものにこんなにもろくてよいのだろうか…「原発」は。
そして、そういう災害時の不安をさらにあおるような存在であっていいのか…「原発」は。

一刻も早く不安要素から切り取って欲しいものだ…。


私達には、時間を戻すことが出来ないから、この地震やそれに関わって起こった被害、失ったものを「無かったこと」にすることは出来ない。

そうしたら、わたしたちにできることはなにか?

「次につなぐ活動をする」事なのだ。

同じような事故をもう起こさないように気をつけること、今回の事例から学んで次に生かしていくこと、そして「生きている」人達のためには一刻も早く「明日」を楽しみに出来る環境に整えていくこと…明日に向かって歩き出せるエネルギーを送っていくことが大切だと思う…。

何も出来ない自分だけど、何も出来ないと嘆く前にせめてこうやってブログの小さな記事で地震と戦う人達の様子を伝えて読んでくれた人と一緒に祈りたい。
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選挙の争点はどこに?
[2007/07/21 01:24] 生活・自然
「選挙戦中盤、党首クラス続々来援 …参院選福岡選挙区」

ネットで選挙について検索していて最初にひっかかった記事を見たら、見出しはこうだった。

わたしは選挙「戦」という言葉自体がもう、国民から政治が切り離れているんだなぁ‥と思ってしまう。

新聞の記事を読んでいても、ニュースを見ていても、各党首の言葉だの候補者の言葉だのに出てくるのは「力を貸して欲しい」「最後まで戦い抜く」「阿部政権に立ち向かう」…‥確かにね、みんな「戦って」いるんだよね。

だけどさ、選挙って何のためなの?
そして、誰のために戦うの?

かんじんの「争点」や「公約」なんか、ほとんど出てきやしない。
一体、この人に入れたら何がどう変わるのかもわからない。
この党に入れたら、明日から何か変わるの?

選挙カーも名前の連呼しかしないしね。(^◇^;)

かんじんの何をしたいから立候補して、何をするために立候補したのか‥全くわからない。


今日、お部屋にいたらチラシが入ってきた。
共産党のチラシだった。

わたしは、ほかのチラシはほとんど目を通さずに捨てるが、共産党のだけはちゃんと読む。

あ‥言っておきますが、わたしは共産党のまわし者ではありません。(笑)


なぜ共産党のチラシを読むか、と言うと、一番「今の問題点がはっきり」しているから。

ほかのチラシは

「自分の党だったら、こんな素晴らしい未来が待ってるよ~入れてね~♪」

ってことしか書いてないんだな、これが。(笑)

だからどうなんだよ!(#゚Д゚)ゴルァ!!

…と、読んでいてそういいたくなるんだけど、共産党のチラシは、現政府の問題点について指摘してあって、何がどう生活に関わってくるのかが実によく書いてあるのだ。

あの「定率減税廃止」によって大幅に増えた住民税。
それについても事細かく教えてくれたのが共産党のチラシ。

一番まともだ、と読んでいて思う。

そのチラシを読んでいて、それを参考に候補者誰にするか、を考えてみたらとても良く見えてくるんだ。

だんなともよく話す。

「共産党って、党の名前変えたらさ、もっと票はいるかもね。」って。

多分、今、一番「政権担当党」に対してはっきり物を言っているの共産党だけだよな‥。
イメージで損しているな‥そんな思いが否めない。

だから共産党に入れる、じゃないけどね。
そしてだから共産党に入れてね、でもないよ。

あくまでもチラシは自分の今の政治の動向を知る材料に過ぎない。
後は自分の得た情報総動員して、誰に入れるのかをしっかりと決めたいと思う。




選挙戦はもうすぐ後半に入るんだ‥。へぇ~…‥。

そんな感じで、わたしのまわりには選挙カー1台も来ないよ。(笑)
こんな田舎はどうだっていいんだろうねぇ。

選挙カー来たら来たでうるさいけどさ、でも全く何も来ないってのも変だよね~。
選挙演説の声も聞こえやしない。

誰のための、何のための政治なのかなぁ。
何のための選挙なのかな。

「負けたら責任とって‥」なんて話を聞くこともあるけど、ばっかじゃない?って感じ。

選挙が結果じゃなくて、選挙が「始まり」なんだよ!(#゚Д゚)ゴルァ!!
その意識自体がもう、国民ばかにしてるよね。

結果が出たらもうあとは好き放題‥だって国民に認められたんだもん♡
釣った魚には餌やらんよ~。‥って政治家の声が聞こえてきそうで腹が立つ。

選挙「戦」という言葉はそういう意識。
「勝つ」「負ける」という言葉が出るのもそういう意識。

かんじんの政策方針、全く見えてこない。
何のための選挙か、何を持って選べばいいのか、煙りにまいたままで迎えた中盤「戦」‥。


今日来たチラシ読んで、しっかり勉強して、自分の一票は絶対に効果的になるように入れてやるんだから!ヽ(`⌒´)ノむっき~

来週29日には選挙に行くの忙しいから、来週の前半で事前の投票してこようと思う。
それまでには自分の目と耳で感じたままに、自分の一票を託せる人を、捜していこうと思う。
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失言ではなく本心でしょ?
[2007/07/20 23:22] 生活・自然
[麻生外相]「アルツハイマーでも分かる」 講演で発言

 麻生太郎外相が19日、富山県高岡市での講演で国内外の農産物の価格差について触れ「7万8000円と1万6000円はどっちが高いか。アルツハイマーの人でも分かる」などと発言した。

 参院選富山選挙区(改選数1)に立候補している自民現職の決起集会で、日本の農産物が高価格だとされることに対し、1俵1万6000円の日本の米が中国では7万8000円で売られているとして、「アルツハイマー」を引き合いに出した。

 決起集会には高齢の支持者もいたが、麻生外相は年金問題について「この問題は30年後の話。今払っているやつが心配するのは分かるが、おたくらは関係ないんだ」と語った。





ふざけんなっ!!

あんたら政治家に、アルツハイマーの何がわかるんだ!


新聞を開いたときに目に飛び込んできたこの記事を見て、もう政治家というのは一般人と意識が全くかけ離れていること、人としての心の痛みなんか無いんだってことを再認識したけど…

何よりどうしてこういうことを平気で言えるんだ!!

アルツハイマーという病気の悲しさ、辛さを身近に感じて嘆いている人の心をえぐり出すようなこの発言…許せない!


正直いって、もう政治家は人種が違っているとしかわたしは考えていない。

いや、同じ人間だと思いたくもない。

繰り返し繰り返し話題にされる「失言」と呼ばれている物の数々を見ても、わたしは「失言だ」とは思っていない。

彼らの「本音」がでたんだろう?

たったそれだけのことさ。

一般の人の生きている世界とは違う。
言葉に対しての重さ、痛み、与えるダメージをいつもちゃんと感じている人は、絶対に「言うことの出来るはず無い」言葉の数々が平気ででてくる…無意識に。

それは「いつも心の奥ではこう思っている」という何よりの証拠じゃないか。


「失言でした」と謝る必要はないよ、あなたたちの考え方はもうそうなんでしょう。

謝るくらいだったら、この大臣だって一回、一週間くらいアルツハイマーの人達や、それを取り巻く施設の人達、家族がどんなに嘆き悲しんでいるのか、施設に入って働いてきてみろよ!

そのくらいでも足りないくらいだよ…。この言葉の重さはね。


アルツハイマーで施設に入っている母の顔が、まぶたから消えない…。
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「干物女」のどこが悪い?
[2007/07/18 09:36] ドラマ・テレビ
最近「干物女」という言葉が流行っているとか。

独身の若い女性が恋愛も捨てて自宅でグーたらしている様子を「枯れている」ということから「干物」にたとえたらしいけど…。

これって、女性をばかにしてない?

何で自宅でひとりでいるときまで気を張ってきちんとしていなくちゃいけないの?
化粧なし、いいじゃない。
ぐーたら、いいじゃない。
その時につきあっている人がいなかったら、別にそれはそれで良いじゃない。

女性はいつも身だしなみをちゃんとして、自分の身の回りの整理整頓きちんとしておかなくちゃ、なんて大和撫子の考え方をいつまでも押しつけてるだけじゃない?

そもそも、わたしは女性の身だしなみのひとつが「化粧」というのが非常に気にくわない。

何で女性だけ、あんな皮膚呼吸を妨げる行為をしなくちゃいけないか。
実際、私は化粧をすると肌がだんだん悲鳴をあげてくるのを感じる。
化粧にかける時間、お金…そんなのあったら本一冊買って読んだ方がよっぽど自分のためになると思っている。
表面だけ飾っても、中身のない人間はいつかはがれるから…。

独身男性は部屋きたなくても「男は当たり前」のような感覚があって、何で女性だといけないのだ?

そもそも、何でこうなっていくのか。
女性だって今はかなりのストレスの中にいる。
社会の中に出ていって、男性と同じプレッシャーの中で生きている。

いや…いまだにはびこる女性蔑視の意識の中で、むしろ風当たりは強いのではないかと思う。

そんな中で生きていくために働いていたら、自分の部屋に帰ってぐうたらしたくなるの当たり前じゃない。部屋の中で何してたって、別にいいじゃない。

ドラマでは、どうせ「干物女」と呼ばれるヒロインが恋愛かなんかしてきれいになっていくのを描くのだろう。要するに「干物」は醜悪…なのだ。

でも、人間誰しもいつでもきれいにして、いつでもきちんとして…なんて無理なのだ。

どこかにはぐうたらな自分がいて、どこかでそれを出さない限りはいつかパンクする。だからぐうたら大いに結構、だとわたしは思う…必要なときにさえ、きちんと出来たらね。

いやなのは…不快なのは、みんなにこうやって「完璧」を求め、みんな同じようにしっかりきれいにきちんとすることを要求すること…。「干物女」という言葉でそういう人間を見下すことで。

もう一ついやなのが、なぜ女性に「美しさ」を求めるのに女性が「干物」といわれる状態になるのかを見ないこと。

もともと、人は自分をきれいにしたい。人目も気になる。誰もが好んできたない部屋にいたい訳じゃない。なのに、なぜそれが「出来ない」状態になるのか…。
女性に美しさを求めるならば、女性が「美しくありたい」状況にすればいいのだ。
逆を返せば、「美しくいたい」と思うだけの余裕がない…というのが実情なのに、それを見ないでただ「枯れている」現象に目を向けてそれを「干物」と見下す。

美しくあって欲しかったら、それだけの余裕をもたらせばいい。
それが出来ない現状を、見直すべきなのだ。…これは単に「個人」の問題じゃない。

その辺がドラマに描かれればたいしたものだと見直しもするけど…。

女性も、男性も、余裕がない今の社会。
どこかで心が枯れていく人達の状態を、このままにして置いていいのだろうか?

それが一番大きな問題だと、わたしは思う。
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災害時の連絡網
[2007/07/16 14:06] 生活・自然
今日の朝、10:13に突然揺れが始まった。

最初は小さい揺れで、一瞬止まったが、その後今度はだんだん大きくなっていったので、その様子があの新潟中越地震とよく似ていたからなんとなく「あ…もしかしたら新潟かな?」と思いつつしばらく部屋の様子を観察しながら揺れの変化をみていた。

大きな横揺れが結構長く続いて、そしてだんだんおさまったので、すぐに携帯で自宅に電話した。

息子が出て「かなりすごくて、今もドキドキしている。」というので、だんながいるか確認したら「今、出かけている」といったので、すぐに妹の所に行くように伝えると、「母さんはテレビで情報観てね」と言うので「わかった」と電話を切った。

自宅には被害がなかったようなので、すぐにテレビをつけて地震の様子を確認したら、その時点でもう放送が始まっていた。

やはり震源地は新潟だった。

長野でも北部が震度6,という情報だったので、そのまま自宅に再度電話をしたら、今度は携帯が全くつながらなくなっていたけど、とりあえず無事がわかっていた事と、すぐに移動して何かあっても困るので、しばらく様子見を兼ねて今度は地元のSNSにアクセスした。

長野県のSNSと地元の市のSNS、そして友達関係のSNSと三つ入っているところの日記には現時点でのわかった情報を流して、引き続きテレビでニュースを確認。

しばらくすると地域の放送でも、市で災害対策本部を作ったことと、市の震度が4だったこと、などを放送してくれたので、居住の市の方の災害の程度もよくわかった。

この間、日記で情報流したところにコメントがどんどん付いていったけど、一番早く、身近な情報を獲得できたのはやはりSNSだった。

携帯で友人知人を心配してかけようと思っても、こちらは全く使い物にはならなかった。
電話だけでなく、メッセージも送れなかった。
こういうときには携帯は全く役に立たないことがよくわかる。

そういえば、もう20年以上前になるけど、日航機の御巣鷹山墜落の時にも、「佐久地方に墜落」と一方が流れてすぐに実家が心配で電話したとき、全然つながらなくてものすごく心配だったことを思い出す。

身近な連絡網だけど、こう言うときには電話は全く役に立たない。
あれ以来、感じて今に至るけど、これについては全く改善されていないのかな…。
災害伝言ダイヤルってのもあるけどね…。

今ひとつ、活用しようという気になれないのは、お互いの間の打ち合わせができていないから…なのか、使ったことがないので使用法がわからないから、なのか、それともまだそこまでの必要性がないから…なのか?

この間もSNSではどんどんコメントが重なって、友達の安否確認は確実に出来てきた。

ネットの力はすごい…。
でも、これもつながっている人だけだからな…。
それにしても、電話よりはよっぽど使い勝手がある、というのが実感。

ただし…これが携帯並みに普及したとしたら…その時にはどうなるかはわからないけど。

でも、ネットを使ったこういうときの連絡網を整備しておくことは有効な対策になるんじゃないのかな。
ほんとうの緊急性のある人のみが携帯などの電話が使えるようにあけておくためにも。

テレビの情報は、最初は大まかな情報のみだから、一番知りたい身近な人の情報が入らない。自分の行動を振り返ってみても、まずは自分、そして次は家族。

自分のまわりからだんだん外に目が向いていくけど、テレビのニュースやラジオはその逆。

そして、正確な情報が入らないと、ニュースの大きな被害を聞いているだけでは、かえって不安があおられるだけだ。

人のパニックによる二時災害を減らすには、まずは身近なところの正確な情報を少しでも早く地域に届けること、伝えること。

その点で、地域の市役所からの放送はとても有効だし、続いて連絡網という面ではネット…特に知り合いが集まっている「SNS」の力はすごく大きいな、ということを感じた。

家族同士の連絡にも、ネットで今チャットや通話が出来る無料サービスがあるから、家族でこういうときには活用することを打ち合わせておくことも必要だと思う。

電話のサービスでも、こういうサービスをどんどん宣伝して、自分たちのサービスでまかなえない部分はほかの連絡ルートの開発も進めていく必要があるのではないだろうか。

ライフラインの確保のひとつ、「連絡網」という点は、なかなか目がつけられにくいけど、ここまでいろんな連絡方法が確立している今、もっとこの点についても整備して注目していく必要を感じた。
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ほんとうの意味で改革したいなら…
[2007/07/10 00:17] 教育・学校



「07参院選 教育の行方を左右する」  7月9日(月)信濃毎日新聞社説より

 統一の学力テストを行う。学校の評価やテスト結果を参考に、親が学校を選ぶ。学校を評価、指導する行政機関を設ける。こうした学校間の競争で教育に活力を生み、子どもたちの学力を向上させる-。

 1988年に始まったイギリスの教育改革の話だ。サッチャー首相は国際的な競争力を高めようと、改革に乗り出した。先ごろ退陣したブレア政権も受け継いだ。

 その功罪は、英国で子どもを育てるジャーナリスト、阿部奈穂子さんの「イギリス『教育改革』の教訓」(岩波ブックレット)に詳しい。

 英国ではかつて、授業内容などは学校や先生の裁量の範囲が大きかった。全国共通のカリキュラムを作ったことで、教えるべき内容が標準化し、目指す学力水準が明らかになったという評価がある。

 その一方、競争や国の査察によって学校に優劣を付けた結果、学校が「勝ち組」と「負け組」に分かれ、格差が広がった。成績優秀校の近くの不動産価格が高騰し、裕福な家庭しか通えなくなったケースもあるという。

   <猛スピードの改革>

 安倍政権が始まって9カ月余り。「すべての子どもに高い学力と規範意識を身に付ける機会を保障する」と“教育再生”を猛スピードで進めてきた。そのモデルはイギリスの教育改革である。

 昨年12月には、戦後教育の根幹である教育基本法を全面的に改定した。公共の精神、愛国心といった教育の目標を盛り込み、個人よりも公を重んじる意味合いが強まった。

 官邸直結の「教育再生会議」も発足させている。第一次、第二次の報告は思い付く限りの提言を盛り込んだといってもいい内容だ。

 その中から今国会で決まったのは、教員免許の更新制など教育関連三法の改正である。文部科学大臣に教育委員会に是正を求める権限を持たせる。学校には新たな管理職を置けるようになる。

 今後は「ゆとり教育」の見直しによる授業時間の一割増、土曜授業の復活、大学・大学院の改革、などが具体的な検討課題となる。教員の給与にも、指導力などの評価を踏まえて差をつける方針だ。

 矢継ぎ早に見直しを急ぐ安倍政権の考え方の基本は、教育の場で競争を強めることだ。学校や教員を競わせ、評価することで、学校の質を高めようとしている。

 学校の現状を見れば、「こんな人には教えてもらいたくない」という教員はいる。子どもに理由のないレッテルを張ったり、わいせつな写真を集めたり、盗撮するなどは教員として論外だ。いじめや不登校などにきちんと対応できない学校が、このままでいいわけがない。

 一方で、うつ病など精神的な疾患で休まざるを得ない教員が増えている。保護者や地域住民の考え方、価値観が多様化し、増え続ける仕事をこなすだけで精いっぱいという先生が多いのも現実である。

 親の所得や私学のあるなしで、教育格差が広がっているとの指摘もある。いまの学校をなんとかしたいという思いは多くの人にある。

   <競わせるだけでは>

 ただ、企業社会のように学校に競争原理を入れ、国の管理を強める方がいいのか。安倍政権の教育改革路線の是非を考えるのが、参院選のポイントの一つになる。

 教育関連三法の論議などを通じて気になるのは、学校に過剰な競争や管理を持ち込むと、先生が子どもたちに向き合うゆとりがなくなるのではという心配だ。政府は、教育予算や教員の定員を増やすどころか、削減していく方向だ。

 各党の公約を読み比べると、教員の数をどうするか、学校の権限をどこまで広げるかなど、これからの教育の在り方を左右するポイントが見えてくる。

 自民党は新憲法の制定に続いて、教育の再生を掲げる。教員の資質・能力の向上、高等教育の国際競争力の向上、規範意識の育成、など9項目が並ぶ。

 公明党は、少人数教育システムや地域・学校に権限を移すことなどをうたっている。

 野党の民主党は教員養成を6年に引き上げるなど、教員の質と数の充実を図ると訴える。高校の無償化も一つの柱だ。

 少人数学級の実現を掲げるのは共産党と社民党である。国民新党はゆとり教育を見直し、教員を増やすと訴える。新党日本は、30人学級の導入、教員採用試験の年齢制限撤廃などに触れている。

   <進むべき方向は>

 教育にかかわる公約は、聞こえのいい内容が並びがちだ。一つひとつの是非も大事だが、各党は教育全体がこれから進むべき方向について、明確に語ってほしい。

 イギリス方式で、子どもも学校も競わせるのか。「ゆとり教育」を転換し、土曜日の授業を復活させるのか。規範意識を高めるために「徳育」を教科にするのか-。

 とりわけ、先進国では最低水準の日本の公的な教育費を、今後どうするかは重要な問題だ。

 自分の子どもには、こんな教育を受けさせたい、学校はこうあってほしい、といった願いを1票に託すのが大事になる。





最近、教育関係のニュースをチェックしたいと思ってGOOGLEのアラートに「教育」と登録したら、今日はこんな記事がひっかかった。

地元の信濃毎日新聞の社説の文だ。

読みながら…う~ん、社説ってこんな感じでいいのかな、とか思ってしまった。
かんじんの「論点」はどこにあるんだろう?
今回の選挙において、教育問題にも意識を置いて投票しましょう、ということなのかな。

読んだ後に今ひとつもやもやの残る内容だった。

でも、こうやって新聞の社説で教育問題についてまとめてくれるのはありがたい。
もっともっと、こういう記事で取り合えてもらえると嬉しいのだけどな…それももっと焦点的に。


まずひとつ。

「競争」を教育の場に取り入れるのは悪いことではない。
ただ、問題となるのはその「規準」。

今のように紙のテストだけに教育の善し悪しを頼っている状態だったら「誤った競争」に走る可能性が大きい。
それは、学校の競争も、教師の競争も。
そして、走り出したら加速が付いてなかなか止まらない…暴走に向けて。

まずは、「規準」の見直しをしてから…だ。競争理論を持ち込むのは。


もうひとつ。

日本の教育は、いいかげん「政治」から切り離すべき、だ。
行政の介入などもってのほか。
政治の思惑通りに動く子供たちを作っても意味がない。
その「思惑」がどこにあるのか見えないから…今の政治は…だから、なおさらだ。

こういう監視的なものを作るよりも、もっと学校独自の取り組みを育てられる環境が今の学校には必要だ。

学校の監視の目だったら今だって山ほどある。

家庭…地域…マスコミ…政府…。
そして時には、同じ学校内の教師同士で…。

これらの監視の「視点」がみんなバラバラで統一されていないから、それぞれの監視から出る指令に振り回されているのが今の学校…。

そういうものから一度、解きはなってみて欲しいものだ。
学校自体のもつ自浄作用をもっと信じてみる人はいないものか…。


そして一番は…。

口は出すけど金ださない。

そういう政治や行政を何とかして欲しい。
そういうものに左右されるから、金の出し場所もめちゃくちゃだ。
もっと必要な場所に使って、いらないところから削ればいいのだ。

教員には時間が欲しい。
生徒自身と向き合う時間が。

そのためには教師の増員は必要だ。
余裕がないから教師も疲れ果てて自分のことしか目が向かなくなる。
教師の質を上げたかったら、教師が自分で勉強する、学んでいく環境にするべきなのに、そういう時間も余裕も与えず、「質の向上」と言っては規制でがんじがらめにして、逆効果だと言うことにいいかげん気がついて欲しい。

本来、勉強が好きな人種だと思う…教師って。
自分の向上には余念がない人間なはずだと思う…教師って。

そういう人間を、そう出来なくしているのは今の現状であり、今の環境であることに気がつかなければいつまでも改革なんて無理だと思う。

そう、根本的に…「人間として」教育を見直さねば…人が人を育てること、生徒は教師から人を学び、教師も生徒の中に人の純粋さを見る。
そういう人と人との関係の無くなった現在の教育現場には、なにをしても火に油…。

そこに気がつくことから初めて、「教育の再生」が始まるのだと思う。

選挙に勝った負けたの材料としてしか語られないのは…何ともさびしいことだ。

政党のせい、政治のせい、人のせい…そういう思いから抜け出さなければ、教育の再生も無理なのだ。


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終わった・・・
[2007/07/06 15:41] ひとりごと
たったいま、自分のうつの記録ブログ「うつのくれた贈り物」の第2部「ただいまうつと同棲中」の最終節をアップし終えました。→ブログ「うつのくれた贈り物」

書き終わっていた文章をだんだんアップし続けていくだけの話なんだけど、ここのところ、今ひとつ気持ちが定まらずに更新が滞りがちでした。

で、アップしたりしなかったり、気まぐれ更新していて、つい最近もまた6月の半ばにアップして止まっていたのを「いかんいかん。」と思って今日更新したら…最後の章だったというわけで。(^◇^;)

ここまで来ていたんだったらとっととアップしちゃえばよかった…。(笑)


って訳で、今までアップしてきた記録ブログも第2部で終了しました。

これからは、しばらくの間、今までまとめたこのブロクの文章を推敲して、そして「出版化」に向けて本格的に動き出そうかと思っています。

とはいえ、金なし、つてなし、コネなし。(笑)
なにが出来るのか、どこまで出来るのかもわからないんですけど、それも自分のブログの最後に書いた文章読み直して、「うん、出来ることを出来る範囲で少しずつやっていけばいいじゃん?」って思い直してぼちぼちやっていこうと思います。

第1部ではとにかく、世の中にある「うつ病」に対しての不理解や誤解を何とかしたくて、そこに絡んできた不登校の生徒達の実態や、自分の息子の不登校から得た学びや、そんなものを描いていったらとてつもなく長い文章になってしまいました。

不登校を描くことで、また自身のうつを描くことで、学校教育の問題点もいくつか浮き彫りになってきていますし、描いた範囲が広すぎた気もします…。

でも、かといって、どこを削っても削れない文章…みんな絡んできていますから。

なので、これはこれでもう良いのかとも思っています。

第2部で描いたのは、2回目にうつ病になって仕事を休み、その中で病気を治し自分をたて直そうと「一人暮らし」をはじめたそれをきっかけにしてここまでの実態を描いてみました。

でも、むずかしかったのは、自分のうつの実態とその治療の様子だけでなく、元気になるにはやはり避けて通れなかった「学校教育の問題点」…そして、「家庭のあり方・家族のあり方」まで話が及んでしまったこと。

一人暮らしに焦点を絞り込めなくてちょっとぼけたかも…という気もします。


まあ、これから読み直して、そこは直せたらなおしていこうと思います。

もし、ブログお読みになって、何か感じられたことあったら是非とも感想やご意見、それに「ここをこうなおしたら焦点化するよ」なんて言うアドバイスもいただけたらすごく嬉しいです。


さて…わたしの現状は、今、「教職復帰」に向かってのプログラム…教育委員会から指定された復帰プログラムに乗り始めたところです。

ところがこのプログラムからも矛盾のにおいがプンプン。
いまだに変わらない学校教育のあり方を間近に感じる結果になっています。

良いのか悪いのかはわかりませんが…「教育関連」についてのネタはまだまだ尽きそうにないので…いずれは「第3部」が登場することになりそうです。(笑)

新しい文章に手が付くのはいつの事やらわかりませんが…また連載開始したら、どうぞお読みくださいませ。よろしくお願いいたします。m(__)m
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