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  2005年10月  

             
ある一教師の1日
[2005/10/27 22:44] 教育・学校
いったい、教員の給料は高いのか安いのか。
わからないので、仕事の内容を書き出してみることにした。

設定・音楽会の近い音楽科の教師の1日

5:30 起床 メールチェック、朝食準備。
6:00 部活に行く子供たちを起こし、食事を立ってすませる。
6:30 合唱部の朝練のため、出勤
7:10 学校着。音楽室を開け、生徒の来るのを待つ。
7:15 合唱部朝練。
     しかし、生徒はなかなか揃わない。遅刻は当たり前。無断欠席も罪の意識無し。そこまで指導しきれず。
8:10 練習終了。結局部員の三分の二しか揃わず。すぐに片づけ。
8:25 職員朝会。ここからが本来の勤務時間。
8:40 音楽集会のため、体育館に生徒集合。その前に部員をステージに整列させ、OHPやピアノなどの準備。(全部自前)
8:55 音楽集会終了。ちょっとでも時間が延びると、他の先生から怒られるのでどんなにのってきても正確に終わり。
9:00 体育館に生徒がいなくなったら急いで後片づけ。そのまま一時間目の授業へ。
9:00~10:10
     授業、一,二時間目。合唱ならまだいいものの、合奏になるともう大変。違う楽器の指導に周り、出来ない子にも目をかけ、出来る子は励まし、そしてまとめの合奏。でも、みんな楽器の音をがんがん出すので指導は常に怒鳴り声。汗だくになる。道具の扱いはひどく、注意してもしょっちゅう壊れる。片づけも目を光らせていないと悲惨。
10:10~10:50
     休み時間。だけど、出来なくて困っている子に指導。声がかれて水を飲みたいけど飲めず。
10:50~12:25
     三,四時間目。同じく音楽指導に明け暮れる。ひとりひとりの学習カードにチェックを入れ、次の課題を決める。ちなみに、意欲向上のためのご褒美シールは自前。
12:25~給食。給食のコンテナ室の管理のために給食室へ飛んでいく。見ていないともし何か給食に異物でも入っていたりしたら大変なので休めない。その間、給食当番の指導も。並んで来なかったり、給食着着てこなかったりという子にいちいち指導。(と決まっているので。)
     最終のクラスが取りに来てようやく食事。すでに時間は12:50。急いでかき込んで1:00には音楽室へ。昼休みの音楽指導。ステージ練習など。
1:30 練習後、掃除になるので給食室へ。給食室の食器の返し方をみる。ちゃんと残り物の分別がしていなかったり、食器の返し方が違っているとチェックしてすべて直す。(ちゃんとやっていないと、給食センターからおしかりが来る。)その後、音楽室などの担当の掃除場所をまわって掃除の指導。言っちゃ悪いけど、子供の掃除は下手。自分でやった方が早いなあ、と思いつつ、「ここ、きれいかなぁ?」などと声をかけて一緒に掃除。時間内に終わらない分はこっそり後でやっておく。ひどいクラスは後始末も出来ず。バケツの水捨て、ゴミ箱のゴミ捨てもやることあり。
1:50 5,6時間目の授業。5時間目に空き時間があったはずなのに、具合が悪くて欠席する先生のクラスに補習にはいる。やろうと思っていた仕事が出来ず。
3:25 授業終了。後片づけ。へとへとだけどこの後また部活があるのでその準備。
3:30~部活。相変わらず子供の集まりが悪い。子供だけの責任ではない。各クラスでの帰りの会が長引いたり、授業の個人指導などがあるせいで、文句も言えない。
4:20 部活終了。結局全員揃わず。塾があったり、家の都合があったり、まあ事情があるんだからなぁ…そうは思っても、出席率のいい子は「先生、このままじゃ困るよ。」と必死に訴えてくるのでどうしたらいいのかをいっしょに考える。
4:30 会議開始。部活の子供を完全に帰さないといけないので大急ぎで追い出す。本当はもっと話したそうな子供たちはなかなかかえらず。廊下を走って会議の部屋へ。
5:15 本当は終わるはずの時間だけど、会議は白熱してまだまだかかりそうだ。外はもうすっかり暗い。この間、「子供がまだ帰ってこないのですが」とか「どこそこで生徒がいたずらをして何か物を壊した」とかいう電話が入ると会議は中断。解決してからようやく再開。
6:00 「そろそろ終わりにしなくちゃ」という感じで会議終了。ここからようやく自分の仕事の時間…だけど携帯には「お母さん、お腹すいた」の自分の家からの帰れコール。出来なかった山ほどの仕事をまとめてカバンに突っ込み帰宅。
7:30 買い物して家に着く。座る間もなく食事の用意。やっと出来た食事を食べ終わるのは9時。(健康のために早く食べなくちゃいけないとはわかっているものの…)子供たちは山ほどある宿題に汗だく。同じ教員のだんなはこのころ帰宅。疲れて食事をとる気にもならないようでそのまま床でうたた寝。
12:00 食事の後始末、子供の学校に持っていくものの準備、洗濯、入浴。わからない宿題にヒントを出しながら仕事。そしてこの時間にやっと中学生の子供たちが眠りにつく。ここからがようやく自分の時間だ。と言っても、結局やるのは仕事。上手く演奏できない生徒のために楽譜の編曲をしたり、教材を作ったりする。楽曲理解のためにレコード、CD、DVD、LDなど総動員して参考テープやビデオの編集。学習カードを作るためにパソコンを駆使。原稿をプリントアウトしてレイアウト確認し修正。自分でカットを入れて楽しく勉強できるように工夫。(もちろんすべて自前の資料。家にある視聴覚機器や楽譜、ソフトはすべて学校の教材作りのためにそろえたも同然。)集めた子供の学習カードに赤ペンを入れて出来なくて悩んでいるところがないかチェック。ひとりひとりの顔を思い浮かべながら次の手だてを考える。
2:00ころ 就寝。体はぎしぎしいってるけど、この教材で生徒がやる気になればしめたものだと生徒の顔を思い浮かべながら眠る。けど、思うとおりに行っていないクラスでもあれば眠れない。夢の中まで音楽が鳴り響くのだ…エンドレスで。
5:30 起床 そしてまた朝が来る…。

これ、事実です。まだ何もない日はこれで上手く動くんだけど、その他にもまだやることが一杯。

たとえば、私、パソコンに強く、機械類に強い。どうしてそうなったかっていえば、機械が好きなこともあるけど、それよりも必要に迫られて。

楽器の修理なんてしょっちゅうだから、あらゆる楽器に精通して置かないとそのたびに楽器屋さんに来てもらうわけに行かない。学校の楽器は、そうしょっちゅう買ってもらうわけに行かないので昭和20年代とか30年代の楽器まで総動員してだましだまし使う。だから当然壊れやすい。でも、壊れると修理代が高いから事務からお小言もらう。(壊したのは私じゃないし、口を酸っぱくして楽器の大切さを説明しても、子供だから仕方ないなんて間違っても口に出せない。)だから自分で修理する。子供のいない、会議の終わったくらい教室でひとり修理する。修理代も、残業代も出ないけど、生徒が授業を順調にするためには…。

音楽室にはプレイヤーやCDなどの機械がたくさん。でも、これだってなかなか新しくしてもらえないからやっぱり壊れたら自分で直す。以前はレコードのお皿をはずして中のゴムを付け替えたりもした。機械は時代と共に高性能になる代わりにちょっとしたことですぐ壊れる。おまけに、音の出る機械は子供の興味の対象。すぐにいじりたがる。だから壊れやすい。ゆえにこっそりひとりで修理。やっぱり手間賃なんて出ない。

まだ教育現場のパソコンの普及率が低かった頃から、その便利さと活用性に目をつけて自学でパソコンを使うようになっていたら、パソコン教育が叫ばれ出して、「パソコンを仕える教師」だということで「視聴覚主任」にもなった。主任と言ったら聞こえはいいけど、結局機械の設置と操作と片づけ。それも「視聴覚」とひとくくりにされていたので、放送機器も含めての主任。(要するに雑用)放送の機械のすべてを任され、何か行事のたびに機械を抱えて飛び回り、「調子が悪い」「操作がわからない」といわれてはかり出された。当然、修理も…。
肝心のパソコンだって、私はMac使いだけど、学校はWinだから、Winのパソコンまで自費で買って操作を覚えた。MacもWinも使いこなすためにソフトや本を買って勉強。みんな自腹。

で、使えるようになったらなったで、操作のわからない先生からSOSが来ればまたかり出される。動かないと文句を言われる。厳重なパソコン室の管理を任されて放課後鍵をかけるまではヒヤヒヤの毎日。

プリンターのインクや紙がないと言われれば、事務室に備品購入請求を出しに行くのも係の役目。そしてまた「予算がねぇ…」とぼやきを聞かされる。

パソコン、放送機器、楽器の数々。予算のかかる係になったのは私のせいじゃないのに、なんで私が文句言われるのかなぁ…。そう思いつつも、少ない予算を子供たちの環境整備のためになるべくたくさんまわしてもらおうと四苦八苦する。予算と言われると何も言えないので、請求せずに済むんだったらと自費で購入する分が増える。家の中は、仕事に使うものであふれかえっている。

学校にはまだまだ仕事がたくさんある。給食の係、教科書の係、図書の係、生徒指導係、保健、安全の指導も学校の役目。それぞれどの係になっても文句は言えない。私のだんなは学校の園芸係になって一年中学校の草花の管理に気をもんだ。苗の購入、注文、手配、植栽計画、みんなだんなが計画し、手配するから生徒のことだけでなく植物にも振り回された。その頃は、家に園芸関係の本がたくさん並んだ。

自慢じゃないが、一通りのことは出来ると思う。機械類いじり、パソコンの扱い、植物の扱い、音楽、スポーツ、美術、応急手当と救急活動、英語、その他すべての教科。カウンセリング、障害児指導、心理学の研究。小動物の飼い方、残飯の整理、掃除の仕方。音楽1つとっても、歌唱法、合唱指導法、楽器の扱い、吹奏楽や管楽合奏。鑑賞指導に楽譜の読み方。指揮法に編曲法などなど。

遠くの研修には自費で行くので、いかに安くあげるかで時刻表とビジネスホテルガイド、地図まで買って研究。修学旅行の下見の下見にも行ったこともある。限られた予算と時間内での下見じゃ足りないから。ガイドブックも買いそろえたからガイドさんだって出来るかも。

本当のことを言ったら音楽のことだけに集中したいのが本音。だけど、音楽を教えるためにはその音楽の生まれた背景、社会、時代、気候、などについて知らなくてはならない。それを生徒にわかりやすく楽しく知ってもらうためにはイラストを描いたリプリントを作ったり、ビデオや写真を撮ったりしなくてはならない。楽器の扱いや音の出し方を熟知して、いかにその違いを子供に感じさせるか工夫しなくてはならない。そして、自らの技能が落ちることなく自分の研修もしなくてはならない。

ここまでやってようやく授業が成り立つ。でも、悲しいかな、学校にある機材や最良ではとてもじゃないけどまかなえない。結果、自分で買いそろえる。学校請求して買ってもらっても、転任したらまた新しい学校で買ってもらわなくちゃならないし、自分で使うためにはそうするしかないのだ。

音楽会を前に、たくさんのクラス用にたくさんの選曲をする。でも、クラスの子の心情にあった曲を、クラスの子の実力にあった曲を、と探すと合唱曲集1冊で1曲使えるかというところ。そんなもの予算で買ってもらうわけにいかない。結果、8クラスの音楽を選ぶためには8冊以上の合唱曲集がいる。その他にCD。これだけでも資料代を推し量ってみて欲しい。楽譜は大抵1冊1000~3000円。CD1枚2000円。「コピー厳禁」なので、パソコンなどで子供用に打ち直す。そのためのソフトが2~3万。そしてかかる膨大な時間は皆、家庭生活を削る。

ちなみに、給料の額面から手元に振り込まれる金額は約10万減る。夫婦二人でようやくだんなの同期の会社員のひとり分が稼げる。これで給料が減って、でも学校予算が増えなくてそのままで、教職員が減って持ち分の仕事が増えたら…おまけに消費税が増え、老後の年金も心配だから貯金もして…なんて、そこまでお金、まわらない。

こんな生活で、当然健康も損なう。私は今、うつで療養中。毎月の薬代や医療費もかさむ。でも入院じゃないから保険料は出ない。これで医療費が加算されたら…。もう、生きていちゃいけないって言われているみたい。

そんなになっても、「生徒の笑顔」があればこの仕事やってて良かった、って思えるんだけど…生徒との語り合いの時間もないしね。

あ…それから、私の自宅には決して遊びに来ないでください。お掃除もする暇がないので、ぐちゃぐちゃですから…。


…だれか、この仕事内容で給料の試算、してみてくれませんか?
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考えること・生きること
[2005/10/27 11:08] 教育・学校
ほんとに久しぶりです。ブログに書き込むの。

あんまり考えることが多すぎて、何書こうか考えてるうちに、時間は流れるし次から次へとネタは出てくるし…。でも、正直あまり楽しいネタじゃないんだよねぇ。

「女王の教室に思う」シリーズは、まだまだ続くんですけど、正直言ってこうやって訴えていること自体がむなしくなってしまう今日この頃なんですね。


新聞を毎日読んでいると、とんでもないニュースが次から次へと目に入ってくる。かと思うと、大騒ぎした割にはあまりにあっけない取り扱いなニュースも。

郵政民営化の可決なんかその最たるものですよね。
解散までして、大騒ぎしての結果があのあっけない結末。

小泉首相の靖国参拝。新聞では賛否両論だけど、肝心の政治家たちの声が聞こえてこない。中国の声、韓国の声、もっと聞きたい。

そんな毎日の中、ふと目に入ったのが、「教員の給料は優遇されている」の記事。それから、「国語の力の低下」の記事。「教員は多すぎるから少子化に合わせて減らすべき」の記事。それから「消費税増額の答申」の記事。

はあ~、やっぱりね。…というのがまず感じたこと。
そして、この国が本気で少子化を食い止める気のないこと、本気で子供のために力を入れる気のないこと、を感じた。

これらの記事にどう関連性があるのか?って思う人もいるでしょう。

でも、日頃教育現場を身近に感じている身としては、当然感じていたことではないかな。

「教員の給料削減」…別に、給料は減らされてもいいです。子供たちのために必要なお金がまわってくるのだったらね。でも、記事を読んで感じたのが、「一般行政職と比べて」って一言のおかしさ。

何をもって一般行政職と教育職と比較するのか?それがおかしい。本当に、教育を「見て、知って」いるならば、そんな比較なんか出来るはず無いんだよね。

先生達はめいっぱい。与えられたノルマをこなすことや、時間の使い方に。自分自身の研修にも時間を割けないくらいに。

1日の生活を見ても、朝や放課後の仕事の延期は当然のごとく。「休憩時間」と決められているはずの時間も、ゆっくりお茶飲んでたら冷たい目で見られる。そう、当然のごとくに生徒指導や授業の準備。昼の時間だって、給食費払って、メニューの選べない給食を子供と食べ、「昼休み」であるべき時間に「食事指導」。給食当番のしつけから、後片づけのしつけまで。掃除は子供と一緒にやる。部活指導はボランティア。自分の得意なことじゃない部活を担当したら、指導できるように必死で勉強。でも時間外手当なんて出ないも同然。

家に帰っても明日の授業の準備。教育機器は学校にはなかなか予算が来ないから、必要な分は自分で購入。無論、パソコンも。学校ではプリンターの数が足りないから家で自分の家の紙を使って、自分の家のプリンターに、家のインクを入れて何部も印刷。

教材のための参考書や問題集、楽譜や写真、CD・MD・ビデオ。みんな学校で買ってもらう余裕がないから自費購入。生徒のために必要な研修も、自分の専門性を深めたいといっても必ずしも費用が出るわけでない。行きたい研修があっても、遠くだったり、日数がかさんだり、高額だったりしたらみんな自費。…でも、生徒のために勉強したいから運賃も宿泊費も研修費も、資料代も、みんな自分で払って勉強に行く。

教育なんてどうでもいいと思ってやったら、確かに恵まれている職業かもしれない。保障も厚い。でも、なんで教員は皆貧乏か。みんな教育に熱心だから…、じゃないですかねぇ。

だけど、そういう実態は見てもらえないことが多い。「夏休み」があっていいな…ですか?夏休みもちゃんと仕事してます。それどころか、家庭の保護能力が弱くなっている現代、かえって生徒のことが頭を離れない。人間を育てる職業には、休みなんて無い。

でも、こういう事実を知らずに単に「教育職の優遇」だけを新聞で述べたら、人の目はそこに行くもの。実際、長野県ではいかに教員の給料を下げるかで知事のメールに投書が頻繁で、結局長野県の教員の給料は全国で最低レベル。でも、それに対して賞賛の声はあれ、同情の声はないんですね。

表面だけを見て判断すること、目先の得に従ってうごくこと。

この動きは、前回の選挙の時の「小泉劇場」と仕組みが同じかも、と思いません?

小泉さんの「郵政民営化」に絞った選挙で、たくさんの人が自民党に荷担しました。その結果、あっけなく民営化が決まり、じゃあ、その後は何するんですか?あれだけのお金を動かして選挙をした代償は、ちゃんととれるんでしょうか…無駄遣いだと思いません?これ。

そして昨日のニュース。「消費税の増額」。
街頭の人がマイクを向けられて「ずるい。選挙中にちゃんと言って欲しい、言うべきだ」と答えたけど、こんなことは予想された「想定内」のこと。自民党の大勝からは予想されるじゃないですか。その先まで考えずに自民党に入れたあなたにも責任ありません?

常に目先のことしか考えられない。小泉劇場で生まれた小泉チルドレンと呼ばれる議員が、軽はずみな発言で謝罪したり非難されたりしてるけど、じゃ、そういう人を選んだ人には非がないですか?そういう発言をさせちゃう政治家の先輩には非がないですか?そういう日本にした環境には、問題がありませんか?たったひとりが怒られて、反省したような顔で謝って済む問題じゃなく、もっと根っこにある問題は隠されちゃうんですよね。

「あんなこと、みんなの前で言うんじゃない」って怒られたら、「じゃあ、黙っていればやって良い」…ってなっちゃいませんかねぇ。表面で謝っても、心の中ではどうだかわかりません。そうやって今までぬくぬくしてきた政治家が、今の日本を作っているんじゃないかなぁ。

そう…その原因が「国語力の低下」なんですよ。

つまり、物事の奥底まで考える力、物事の根元まで見抜く力。先を予測して見通す力。つまりこれらは皆、テストの点では測れない、「行間を読む力」がないと育たない。

新聞やニュースを見たり聞いたりして、その表面だけに一喜一憂していたら、メディアや口先の上手い政治家に引っかかって「こんなはずじゃなかった」ってなるばかり。その根っこにまで考えを張り巡らせることが出来なかったら、削れるところから削って国民のご機嫌をとり、そうして肝心の部分は隠しておいてあとで幕が落ちた時にとんでもない事実が表面化する…そんな結末を導いてしまう。

「なぜ?どうして?」を、目先の利益にとらわれることなく追求して行かなくては。そのために必要なのが、「国語」の力なんですよ。

ここまで書いて、すごく怖い考えに思い至ってしまった。

もしかして、ここまで「ペーパーテスト」にこだわって教育の質を下げ、少子化をまねきだし、国民の国語力を低下させたのは、ずっと昔からの日本の指導者たちの思惑であって、自分の意のままに出来る人間を増やし、考えることのできない便利な「民衆」を作り上げるためなんじゃないかって…。

昨今の教育事情を見るに、それを完全に否定できないのが怖い…。

ことはね、教員の給料下げるだけじゃおさまらないところまで来ているんですよ…。

「いいかげん、めざめなさい」

この言葉、誰に対して言うのが一番良いんでしょうね…この時代。
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