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  2005年10月  

             
ある一教師の1日
[2005/10/27 22:44] 教育・学校
いったい、教員の給料は高いのか安いのか。
わからないので、仕事の内容を書き出してみることにした。

設定・音楽会の近い音楽科の教師の1日

5:30 起床 メールチェック、朝食準備。
6:00 部活に行く子供たちを起こし、食事を立ってすませる。
6:30 合唱部の朝練のため、出勤
7:10 学校着。音楽室を開け、生徒の来るのを待つ。
7:15 合唱部朝練。
     しかし、生徒はなかなか揃わない。遅刻は当たり前。無断欠席も罪の意識無し。そこまで指導しきれず。
8:10 練習終了。結局部員の三分の二しか揃わず。すぐに片づけ。
8:25 職員朝会。ここからが本来の勤務時間。
8:40 音楽集会のため、体育館に生徒集合。その前に部員をステージに整列させ、OHPやピアノなどの準備。(全部自前)
8:55 音楽集会終了。ちょっとでも時間が延びると、他の先生から怒られるのでどんなにのってきても正確に終わり。
9:00 体育館に生徒がいなくなったら急いで後片づけ。そのまま一時間目の授業へ。
9:00~10:10
     授業、一,二時間目。合唱ならまだいいものの、合奏になるともう大変。違う楽器の指導に周り、出来ない子にも目をかけ、出来る子は励まし、そしてまとめの合奏。でも、みんな楽器の音をがんがん出すので指導は常に怒鳴り声。汗だくになる。道具の扱いはひどく、注意してもしょっちゅう壊れる。片づけも目を光らせていないと悲惨。
10:10~10:50
     休み時間。だけど、出来なくて困っている子に指導。声がかれて水を飲みたいけど飲めず。
10:50~12:25
     三,四時間目。同じく音楽指導に明け暮れる。ひとりひとりの学習カードにチェックを入れ、次の課題を決める。ちなみに、意欲向上のためのご褒美シールは自前。
12:25~給食。給食のコンテナ室の管理のために給食室へ飛んでいく。見ていないともし何か給食に異物でも入っていたりしたら大変なので休めない。その間、給食当番の指導も。並んで来なかったり、給食着着てこなかったりという子にいちいち指導。(と決まっているので。)
     最終のクラスが取りに来てようやく食事。すでに時間は12:50。急いでかき込んで1:00には音楽室へ。昼休みの音楽指導。ステージ練習など。
1:30 練習後、掃除になるので給食室へ。給食室の食器の返し方をみる。ちゃんと残り物の分別がしていなかったり、食器の返し方が違っているとチェックしてすべて直す。(ちゃんとやっていないと、給食センターからおしかりが来る。)その後、音楽室などの担当の掃除場所をまわって掃除の指導。言っちゃ悪いけど、子供の掃除は下手。自分でやった方が早いなあ、と思いつつ、「ここ、きれいかなぁ?」などと声をかけて一緒に掃除。時間内に終わらない分はこっそり後でやっておく。ひどいクラスは後始末も出来ず。バケツの水捨て、ゴミ箱のゴミ捨てもやることあり。
1:50 5,6時間目の授業。5時間目に空き時間があったはずなのに、具合が悪くて欠席する先生のクラスに補習にはいる。やろうと思っていた仕事が出来ず。
3:25 授業終了。後片づけ。へとへとだけどこの後また部活があるのでその準備。
3:30~部活。相変わらず子供の集まりが悪い。子供だけの責任ではない。各クラスでの帰りの会が長引いたり、授業の個人指導などがあるせいで、文句も言えない。
4:20 部活終了。結局全員揃わず。塾があったり、家の都合があったり、まあ事情があるんだからなぁ…そうは思っても、出席率のいい子は「先生、このままじゃ困るよ。」と必死に訴えてくるのでどうしたらいいのかをいっしょに考える。
4:30 会議開始。部活の子供を完全に帰さないといけないので大急ぎで追い出す。本当はもっと話したそうな子供たちはなかなかかえらず。廊下を走って会議の部屋へ。
5:15 本当は終わるはずの時間だけど、会議は白熱してまだまだかかりそうだ。外はもうすっかり暗い。この間、「子供がまだ帰ってこないのですが」とか「どこそこで生徒がいたずらをして何か物を壊した」とかいう電話が入ると会議は中断。解決してからようやく再開。
6:00 「そろそろ終わりにしなくちゃ」という感じで会議終了。ここからようやく自分の仕事の時間…だけど携帯には「お母さん、お腹すいた」の自分の家からの帰れコール。出来なかった山ほどの仕事をまとめてカバンに突っ込み帰宅。
7:30 買い物して家に着く。座る間もなく食事の用意。やっと出来た食事を食べ終わるのは9時。(健康のために早く食べなくちゃいけないとはわかっているものの…)子供たちは山ほどある宿題に汗だく。同じ教員のだんなはこのころ帰宅。疲れて食事をとる気にもならないようでそのまま床でうたた寝。
12:00 食事の後始末、子供の学校に持っていくものの準備、洗濯、入浴。わからない宿題にヒントを出しながら仕事。そしてこの時間にやっと中学生の子供たちが眠りにつく。ここからがようやく自分の時間だ。と言っても、結局やるのは仕事。上手く演奏できない生徒のために楽譜の編曲をしたり、教材を作ったりする。楽曲理解のためにレコード、CD、DVD、LDなど総動員して参考テープやビデオの編集。学習カードを作るためにパソコンを駆使。原稿をプリントアウトしてレイアウト確認し修正。自分でカットを入れて楽しく勉強できるように工夫。(もちろんすべて自前の資料。家にある視聴覚機器や楽譜、ソフトはすべて学校の教材作りのためにそろえたも同然。)集めた子供の学習カードに赤ペンを入れて出来なくて悩んでいるところがないかチェック。ひとりひとりの顔を思い浮かべながら次の手だてを考える。
2:00ころ 就寝。体はぎしぎしいってるけど、この教材で生徒がやる気になればしめたものだと生徒の顔を思い浮かべながら眠る。けど、思うとおりに行っていないクラスでもあれば眠れない。夢の中まで音楽が鳴り響くのだ…エンドレスで。
5:30 起床 そしてまた朝が来る…。

これ、事実です。まだ何もない日はこれで上手く動くんだけど、その他にもまだやることが一杯。

たとえば、私、パソコンに強く、機械類に強い。どうしてそうなったかっていえば、機械が好きなこともあるけど、それよりも必要に迫られて。

楽器の修理なんてしょっちゅうだから、あらゆる楽器に精通して置かないとそのたびに楽器屋さんに来てもらうわけに行かない。学校の楽器は、そうしょっちゅう買ってもらうわけに行かないので昭和20年代とか30年代の楽器まで総動員してだましだまし使う。だから当然壊れやすい。でも、壊れると修理代が高いから事務からお小言もらう。(壊したのは私じゃないし、口を酸っぱくして楽器の大切さを説明しても、子供だから仕方ないなんて間違っても口に出せない。)だから自分で修理する。子供のいない、会議の終わったくらい教室でひとり修理する。修理代も、残業代も出ないけど、生徒が授業を順調にするためには…。

音楽室にはプレイヤーやCDなどの機械がたくさん。でも、これだってなかなか新しくしてもらえないからやっぱり壊れたら自分で直す。以前はレコードのお皿をはずして中のゴムを付け替えたりもした。機械は時代と共に高性能になる代わりにちょっとしたことですぐ壊れる。おまけに、音の出る機械は子供の興味の対象。すぐにいじりたがる。だから壊れやすい。ゆえにこっそりひとりで修理。やっぱり手間賃なんて出ない。

まだ教育現場のパソコンの普及率が低かった頃から、その便利さと活用性に目をつけて自学でパソコンを使うようになっていたら、パソコン教育が叫ばれ出して、「パソコンを仕える教師」だということで「視聴覚主任」にもなった。主任と言ったら聞こえはいいけど、結局機械の設置と操作と片づけ。それも「視聴覚」とひとくくりにされていたので、放送機器も含めての主任。(要するに雑用)放送の機械のすべてを任され、何か行事のたびに機械を抱えて飛び回り、「調子が悪い」「操作がわからない」といわれてはかり出された。当然、修理も…。
肝心のパソコンだって、私はMac使いだけど、学校はWinだから、Winのパソコンまで自費で買って操作を覚えた。MacもWinも使いこなすためにソフトや本を買って勉強。みんな自腹。

で、使えるようになったらなったで、操作のわからない先生からSOSが来ればまたかり出される。動かないと文句を言われる。厳重なパソコン室の管理を任されて放課後鍵をかけるまではヒヤヒヤの毎日。

プリンターのインクや紙がないと言われれば、事務室に備品購入請求を出しに行くのも係の役目。そしてまた「予算がねぇ…」とぼやきを聞かされる。

パソコン、放送機器、楽器の数々。予算のかかる係になったのは私のせいじゃないのに、なんで私が文句言われるのかなぁ…。そう思いつつも、少ない予算を子供たちの環境整備のためになるべくたくさんまわしてもらおうと四苦八苦する。予算と言われると何も言えないので、請求せずに済むんだったらと自費で購入する分が増える。家の中は、仕事に使うものであふれかえっている。

学校にはまだまだ仕事がたくさんある。給食の係、教科書の係、図書の係、生徒指導係、保健、安全の指導も学校の役目。それぞれどの係になっても文句は言えない。私のだんなは学校の園芸係になって一年中学校の草花の管理に気をもんだ。苗の購入、注文、手配、植栽計画、みんなだんなが計画し、手配するから生徒のことだけでなく植物にも振り回された。その頃は、家に園芸関係の本がたくさん並んだ。

自慢じゃないが、一通りのことは出来ると思う。機械類いじり、パソコンの扱い、植物の扱い、音楽、スポーツ、美術、応急手当と救急活動、英語、その他すべての教科。カウンセリング、障害児指導、心理学の研究。小動物の飼い方、残飯の整理、掃除の仕方。音楽1つとっても、歌唱法、合唱指導法、楽器の扱い、吹奏楽や管楽合奏。鑑賞指導に楽譜の読み方。指揮法に編曲法などなど。

遠くの研修には自費で行くので、いかに安くあげるかで時刻表とビジネスホテルガイド、地図まで買って研究。修学旅行の下見の下見にも行ったこともある。限られた予算と時間内での下見じゃ足りないから。ガイドブックも買いそろえたからガイドさんだって出来るかも。

本当のことを言ったら音楽のことだけに集中したいのが本音。だけど、音楽を教えるためにはその音楽の生まれた背景、社会、時代、気候、などについて知らなくてはならない。それを生徒にわかりやすく楽しく知ってもらうためにはイラストを描いたリプリントを作ったり、ビデオや写真を撮ったりしなくてはならない。楽器の扱いや音の出し方を熟知して、いかにその違いを子供に感じさせるか工夫しなくてはならない。そして、自らの技能が落ちることなく自分の研修もしなくてはならない。

ここまでやってようやく授業が成り立つ。でも、悲しいかな、学校にある機材や最良ではとてもじゃないけどまかなえない。結果、自分で買いそろえる。学校請求して買ってもらっても、転任したらまた新しい学校で買ってもらわなくちゃならないし、自分で使うためにはそうするしかないのだ。

音楽会を前に、たくさんのクラス用にたくさんの選曲をする。でも、クラスの子の心情にあった曲を、クラスの子の実力にあった曲を、と探すと合唱曲集1冊で1曲使えるかというところ。そんなもの予算で買ってもらうわけにいかない。結果、8クラスの音楽を選ぶためには8冊以上の合唱曲集がいる。その他にCD。これだけでも資料代を推し量ってみて欲しい。楽譜は大抵1冊1000~3000円。CD1枚2000円。「コピー厳禁」なので、パソコンなどで子供用に打ち直す。そのためのソフトが2~3万。そしてかかる膨大な時間は皆、家庭生活を削る。

ちなみに、給料の額面から手元に振り込まれる金額は約10万減る。夫婦二人でようやくだんなの同期の会社員のひとり分が稼げる。これで給料が減って、でも学校予算が増えなくてそのままで、教職員が減って持ち分の仕事が増えたら…おまけに消費税が増え、老後の年金も心配だから貯金もして…なんて、そこまでお金、まわらない。

こんな生活で、当然健康も損なう。私は今、うつで療養中。毎月の薬代や医療費もかさむ。でも入院じゃないから保険料は出ない。これで医療費が加算されたら…。もう、生きていちゃいけないって言われているみたい。

そんなになっても、「生徒の笑顔」があればこの仕事やってて良かった、って思えるんだけど…生徒との語り合いの時間もないしね。

あ…それから、私の自宅には決して遊びに来ないでください。お掃除もする暇がないので、ぐちゃぐちゃですから…。


…だれか、この仕事内容で給料の試算、してみてくれませんか?
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考えること・生きること
[2005/10/27 11:08] 教育・学校
ほんとに久しぶりです。ブログに書き込むの。

あんまり考えることが多すぎて、何書こうか考えてるうちに、時間は流れるし次から次へとネタは出てくるし…。でも、正直あまり楽しいネタじゃないんだよねぇ。

「女王の教室に思う」シリーズは、まだまだ続くんですけど、正直言ってこうやって訴えていること自体がむなしくなってしまう今日この頃なんですね。


新聞を毎日読んでいると、とんでもないニュースが次から次へと目に入ってくる。かと思うと、大騒ぎした割にはあまりにあっけない取り扱いなニュースも。

郵政民営化の可決なんかその最たるものですよね。
解散までして、大騒ぎしての結果があのあっけない結末。

小泉首相の靖国参拝。新聞では賛否両論だけど、肝心の政治家たちの声が聞こえてこない。中国の声、韓国の声、もっと聞きたい。

そんな毎日の中、ふと目に入ったのが、「教員の給料は優遇されている」の記事。それから、「国語の力の低下」の記事。「教員は多すぎるから少子化に合わせて減らすべき」の記事。それから「消費税増額の答申」の記事。

はあ~、やっぱりね。…というのがまず感じたこと。
そして、この国が本気で少子化を食い止める気のないこと、本気で子供のために力を入れる気のないこと、を感じた。

これらの記事にどう関連性があるのか?って思う人もいるでしょう。

でも、日頃教育現場を身近に感じている身としては、当然感じていたことではないかな。

「教員の給料削減」…別に、給料は減らされてもいいです。子供たちのために必要なお金がまわってくるのだったらね。でも、記事を読んで感じたのが、「一般行政職と比べて」って一言のおかしさ。

何をもって一般行政職と教育職と比較するのか?それがおかしい。本当に、教育を「見て、知って」いるならば、そんな比較なんか出来るはず無いんだよね。

先生達はめいっぱい。与えられたノルマをこなすことや、時間の使い方に。自分自身の研修にも時間を割けないくらいに。

1日の生活を見ても、朝や放課後の仕事の延期は当然のごとく。「休憩時間」と決められているはずの時間も、ゆっくりお茶飲んでたら冷たい目で見られる。そう、当然のごとくに生徒指導や授業の準備。昼の時間だって、給食費払って、メニューの選べない給食を子供と食べ、「昼休み」であるべき時間に「食事指導」。給食当番のしつけから、後片づけのしつけまで。掃除は子供と一緒にやる。部活指導はボランティア。自分の得意なことじゃない部活を担当したら、指導できるように必死で勉強。でも時間外手当なんて出ないも同然。

家に帰っても明日の授業の準備。教育機器は学校にはなかなか予算が来ないから、必要な分は自分で購入。無論、パソコンも。学校ではプリンターの数が足りないから家で自分の家の紙を使って、自分の家のプリンターに、家のインクを入れて何部も印刷。

教材のための参考書や問題集、楽譜や写真、CD・MD・ビデオ。みんな学校で買ってもらう余裕がないから自費購入。生徒のために必要な研修も、自分の専門性を深めたいといっても必ずしも費用が出るわけでない。行きたい研修があっても、遠くだったり、日数がかさんだり、高額だったりしたらみんな自費。…でも、生徒のために勉強したいから運賃も宿泊費も研修費も、資料代も、みんな自分で払って勉強に行く。

教育なんてどうでもいいと思ってやったら、確かに恵まれている職業かもしれない。保障も厚い。でも、なんで教員は皆貧乏か。みんな教育に熱心だから…、じゃないですかねぇ。

だけど、そういう実態は見てもらえないことが多い。「夏休み」があっていいな…ですか?夏休みもちゃんと仕事してます。それどころか、家庭の保護能力が弱くなっている現代、かえって生徒のことが頭を離れない。人間を育てる職業には、休みなんて無い。

でも、こういう事実を知らずに単に「教育職の優遇」だけを新聞で述べたら、人の目はそこに行くもの。実際、長野県ではいかに教員の給料を下げるかで知事のメールに投書が頻繁で、結局長野県の教員の給料は全国で最低レベル。でも、それに対して賞賛の声はあれ、同情の声はないんですね。

表面だけを見て判断すること、目先の得に従ってうごくこと。

この動きは、前回の選挙の時の「小泉劇場」と仕組みが同じかも、と思いません?

小泉さんの「郵政民営化」に絞った選挙で、たくさんの人が自民党に荷担しました。その結果、あっけなく民営化が決まり、じゃあ、その後は何するんですか?あれだけのお金を動かして選挙をした代償は、ちゃんととれるんでしょうか…無駄遣いだと思いません?これ。

そして昨日のニュース。「消費税の増額」。
街頭の人がマイクを向けられて「ずるい。選挙中にちゃんと言って欲しい、言うべきだ」と答えたけど、こんなことは予想された「想定内」のこと。自民党の大勝からは予想されるじゃないですか。その先まで考えずに自民党に入れたあなたにも責任ありません?

常に目先のことしか考えられない。小泉劇場で生まれた小泉チルドレンと呼ばれる議員が、軽はずみな発言で謝罪したり非難されたりしてるけど、じゃ、そういう人を選んだ人には非がないですか?そういう発言をさせちゃう政治家の先輩には非がないですか?そういう日本にした環境には、問題がありませんか?たったひとりが怒られて、反省したような顔で謝って済む問題じゃなく、もっと根っこにある問題は隠されちゃうんですよね。

「あんなこと、みんなの前で言うんじゃない」って怒られたら、「じゃあ、黙っていればやって良い」…ってなっちゃいませんかねぇ。表面で謝っても、心の中ではどうだかわかりません。そうやって今までぬくぬくしてきた政治家が、今の日本を作っているんじゃないかなぁ。

そう…その原因が「国語力の低下」なんですよ。

つまり、物事の奥底まで考える力、物事の根元まで見抜く力。先を予測して見通す力。つまりこれらは皆、テストの点では測れない、「行間を読む力」がないと育たない。

新聞やニュースを見たり聞いたりして、その表面だけに一喜一憂していたら、メディアや口先の上手い政治家に引っかかって「こんなはずじゃなかった」ってなるばかり。その根っこにまで考えを張り巡らせることが出来なかったら、削れるところから削って国民のご機嫌をとり、そうして肝心の部分は隠しておいてあとで幕が落ちた時にとんでもない事実が表面化する…そんな結末を導いてしまう。

「なぜ?どうして?」を、目先の利益にとらわれることなく追求して行かなくては。そのために必要なのが、「国語」の力なんですよ。

ここまで書いて、すごく怖い考えに思い至ってしまった。

もしかして、ここまで「ペーパーテスト」にこだわって教育の質を下げ、少子化をまねきだし、国民の国語力を低下させたのは、ずっと昔からの日本の指導者たちの思惑であって、自分の意のままに出来る人間を増やし、考えることのできない便利な「民衆」を作り上げるためなんじゃないかって…。

昨今の教育事情を見るに、それを完全に否定できないのが怖い…。

ことはね、教員の給料下げるだけじゃおさまらないところまで来ているんですよ…。

「いいかげん、めざめなさい」

この言葉、誰に対して言うのが一番良いんでしょうね…この時代。
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女王の教室に思うー3-
[2005/10/08 17:47] 教育・学校
教師になって、新卒で養護学校に行きました。

体が不自由な生徒たちに音楽を教えました。正直言って、障害を持つ人たちにとっては、まだまだ世界が閉ざされています。社会に出て何とか認めてもらえる人は、ある程度からだが動いて、ある程度物がわかって、ある程度バックボーンが整って(恵まれて)いる人だけです。

けれども、学ぶ生徒たちはみんな一生懸命でした。何といっても「生きる」こと自体に喜びを感じ、いろいろな刺激を体中で受けることに喜びを感じていました。

暖かい日差しの中を、ゆっくり散歩する、それだけでもいい顔をしていました。わたしは、この学校でとてもたくさんのことを学びました。

歌えること、表現できることの喜び。音楽を聴くことの喜び。体が動かなくても、思うように音がとれなくても、この学校ではみんな精一杯の声で歌い、音を体で感じていました。みんな、本当にいい表情をしていました。

3年勤めて転勤になり、小学校の音楽教師として赴任しました。

ここで驚いたのは、子供たちの表情が本当に暗いことでした。歌う時は、蚊の泣くような声でぼそぼそ歌い、自由に動く指があるのにリコーダーは面倒くさがり、それ以前に授業中に無駄口、忘れ物、遅刻が当たり前。「うざい」「めんどくさい」「つまんない」…これが彼らの口癖でした。

せっかくちゃんと思うとおりに動くからだがあるのに、大きな声の出るのどと口を持っているのに、当たり前のことだから、その幸せに感謝することなくただ受け身で生きていました。何かあれば人のせい。都合が悪いとすぐ怒る。のどかな田舎の小学校でしたが、音楽に必要な情操も育っていませんでした。

でも、子供たちや周りの環境を見ていて気がつきました。

彼らは、「与えられる」ことが当たり前なのだと。「やらされる」ことばかりで自ら「こうしよう」と思ったことをやる機会が与えられなかったんだと。音楽は、ただとにかく大きな声で歌えば褒められ、小さな声だと活を入れられ、むずかしい指使いにとまどってもリコーダーに集中する時間が無く、そのすばらしさ、楽しさを知らないままただテクニックを要求される。

周りの先生も、親たちも、みんなそういう世界で育ってきたのだから、仕方ありませんよね。

よく、先生仲間で飲んでカラオケやる時なんかも聞いたことですが、「俺は昔、先生から音痴だから歌うなっていわれてたんだよ。」「そうそう、音譜なんか読めないからさぁ、音楽なんか大嫌いだった。」音楽教師の研究会では、「カラオケを歌える子ではなく、正しい発音で美しく歌える子を育てましょう。」…。

これじゃあ、子供たちは音楽の時間をどうでもいい時間だと思うに違いありません。忘れ物も、遅刻も、無駄口も、仕方ないんでしょうね。だってつまらないんだから。「与えられて」いるだけで、自ら楽しんでいるわけではないのだから。いくら「歌いなさい!」って怒ったって怒鳴ったって、絶対に無理でしょう。その場は怒られるから何とかやっても、大人になって音楽を楽しむ人はいなくなるでしょう。

わたしは、まずは「音楽は楽しい」ことを知らせようと思いました。人間の生まれ持った、いえ、ある面では世界中に通じる気持ち…。動物や植物とも接点を持つ魔法の言葉が音楽。

声なんか小さくてもいい。リコーダーの間違えをしたっていい。「自分らしい表現」が出来るようになって欲しい。音痴だって、カラオケを楽しめる人になって欲しい。音楽のあとに、「気持ちよかった~」って教室に帰れる子供になって欲しい。

そうすれば、子供は自ら音楽室に来るのが楽しみになるはず。リコーダーを忘れないはず。

初めは、周りには理解してもらえませんでした。一からやり直しになるのですから、子供の進歩はすぐには見られません。成果が出ないと、なんだかんだと言われるのがこの世界です。

でも、半年、一年、とたつうちに、音楽室での子供たちは変わってきました。全校音楽でも、声が出て揃ってきました。休み時間に、リコーダーを持って音楽室や職員室に、「先生、聞いて!」と駆け込んでくる子が増えてきました。教えあい、励まし合ってグループの合奏を仕上げられるようになりました。

4年目の年の音楽会では、希望者をつのってリコーダー合奏のステージを企画したところ、その頃一クラス45人だったクラスの人数よりもたくさんの子がステージに立ちました。「めんどくさい」「うざい」なんて言う子はいなくなりました。

もちろん、そこに行くまでには、本当に大変でした。成果が見えるまではまわりの理解を得るために走り回り、子供たちがわかりやすい教材を自作するために夜遅くまで仕事をし、笑顔を絶やさないようにし、朝から夜までのほとんどの時間を仕事のために費やしました。

体をこわしたことも何回もありました。ひとりで泣いたこともありました。でも、それを人に見せてもどうなるものでもありません。「子供が変わった」事実でしか、自分の指導が正しいかどうかなど人に示すことが出来ないからです。

幸いにして、周りの先生達が「わかってくれる」人たちであったこと、そしてわたしがまだ結婚はしていたものの子供がいない「半独身」状態であったこと、まだまだ、学校に対しての親の理解があったこと、などの背景に支えられて5年在籍したその学校では音楽室や教室から優しい音色が聞こえてくるようになりました。「あの小学校の音楽、いいね」と認めてもらえるまでになりました。

いろいろあったものの、時間と、理解と、余裕に支えられた努力が実ったのです。生徒たちが「先生、音楽って楽しいね」といって卒業していってからも音楽をそれぞれなりに生活の中に入れていてくれる様子を聞くたびに、また、そんな生徒たちの笑顔を見るたびに、教師になってよかったと心から思うことが出来たのでした。


「教育は、奇跡を起こすことが出来る」という真矢の言葉は、いろいろな学校で子供の笑顔に喜びをもらい、生きる力をもらってきたわたしにとって、大いに共感するものでした。「生徒が伸びてくる」喜びは給料をもらっていること以上に、教職に就いたことに対しての大きな意義を与えてくれました。

しかし、それは本当に時間と気力と根性が必要なことです。あるブログで「真矢はあんなにやって倒れるなんて、自業自得だ」とか「あんなのやりすぎ」なんていう感想を読みましたが、「それはあまりに理解不足です。」と思う気持ちの方が大きかったです。

今の子供たちには、「学ぶことの意義」を感じさせるところからはじめないと成り立ちません。あのくらいしないと、教室は成り立たないのです。まわりの理解がないなかで、結局ひとりで戦うしかなかった真矢の姿はある意味真剣に教育に立ち向かう教師の象徴の姿だと思ってみていました。

そして、その一方で、「そこまでしなくては成り立たない教育」のあり方についても、大いに問題を感じてしまいました。


さて、なぜ「女王の教室」は小学校だったのか、ああいう教育は中学ですべきでは、という意見もありました。でも、あれは小学校だから出来たのです。その点については、その4にて。


女王の教室に思うー1- 女王の教室に思うー2-  

最終回感想  第10回感想  第9回感想  第8回感想  第7回感想  第6回感想  第5回感想  第4回感想  第3回感想  第2回感想  第1回感想  
女王の教室ーもっと議論を

女王の教室 公式HP
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ガラスの仮面ー悲劇の幕開け
[2005/10/05 03:38] マンガ・アニメ

第27話 見えない落とし穴
2005年10月4日放送
マヤを潰そうとする何者かがいる。しかしマヤはくじけず、類まれな演技力で危機を乗り越えていく。そのひたむきな姿に、いつしかマヤを憎んでいた女優達も妨害をやめた。マヤは舞台「シャングリラ」の主演に抜擢され、活き活きと稽古に臨む。その後ろに、辛い運命が待つことを知らずに…



あー、個人的な好みから言うとこの辺の展開はとても辛いのであまりじっくりやって欲しくないです。なので、出来るだけさくっとやって欲しいところ。コミックスでいくと15巻の後半から16巻の90ページまで。

その前に、主題歌がOPもEDも変わりましたね。

どちらもかなり「マヤと亜弓」を意識した作りかな。メロディーは前の歌になれていたのでもうちょっと聴いてみないと分からないけど。

さて、マヤのお母さん。大都芸能によってというよりも、速水真澄によってマヤの宣伝のために監禁状態になっていますが、その話を立ち聞いてしまいマヤに会いに療養所を抜け出します。そして、見えない目でさまよううちに…いや、ひどいものですよね。お母さん、ひき逃げにあうんですから。そしてマヤの主演映画が公開されている映画館にたどり着いてマヤの声を聞きながら息を引き取ります。

あー、もうこれ以上は悲しくて書けません。

マヤの後釜を狙う乙部のりえにとっては「チャンス到来」。ということで黒い陰謀が動き始めるのです。マヤは母の死のショックから、そしてまわりもその混乱の中でどんどん歯車がくいちがいはじめていくのです。

で、今回の出来は、まあまあでしょうか。ただ、マヤが冷たくなった母親の横で自分の演技を見せる場面では、もっとマヤの毅然とした演技を光らせて欲しかったです。

真澄さんの気持ちの描かれ方も弱いかなぁー。この出来事が、マヤに惹かれていく真澄さんの大きなブレーキになるのですから、もっと真澄さんの苦悩を激しく描いて欲しいです~。

あと、お母さんのお葬式の場面がカットされたのは残念でした。「初恋宣言」の相手の里美さんの出番がほとんど無い。これはどうも気に入りません。そもそも、里美さんのビジュアルが格好良くないのがもっといけません。どちらかというと、粘着質な桜小路くんに対して、爽やかでそれでいてさりげない優しさを持つ里美さんにマヤは惹かれたのに、その良さが全然見えないので「マヤの初恋」がまったく重みがないし、その「初恋」の大好きな里美さんの電話にも出ない、というマヤの悲しみも軽くなっちゃっているような気が。

…と、文句ばっかり書きましたけど、一番はこの話の暗いところだけに良い所って思いつかないのが大きな要因かも。でも「あのマヤ」が演劇が出来なくなるくらいにずたぼろになるのだから、ショックをもっとはっきり描いて欲しかったという気持ちです。

さて、来週、再来週は亜弓さんの見せ場がありますねー。亜弓さんがぐっと出てくるところだけに、期待が大きいです。楽しみです。

マヤは…早く元気になってほしいよー。



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女王の教室に思うー2-
[2005/10/04 02:45] 教育・学校
わたしはずっとコンプレックスの固まりでした。

小1になってすぐ、家庭の事情で転校しました。
新しい学校では、今までとあまりにも環境が違い、とまどうばかりでした。おまけにわたしは背が小さくて体も弱く、すぐ熱を出して学校をよく休みました。

その頃は、まだ、今のように机の大きさが調整されていない木の机だったので、背の小さいわたしは机の上に出ているのは肩から上だけ。給食は全部食べられずにいつも必死。運動も苦手でかけっこはビリ。

小さいわたしは上級生からよくからかわれました。校庭のブランコに乗っていても、小さいからどかされてしまうこともありました。

学校を休むことも多かったので、勉強でも休んだところはわからなくて困りました。

そんなわたしが小学校2~3年の時に出会った担任は、とても怖い先生でした。忘れ物をすると容赦なく怒る。給食を残すことも許されない。わたしのことは「おちびさん」と呼びました。…いまだったら、先生がそんな呼び方したら「差別!」とか言われて怒られるんでしょうね。

でも、とても暖かい先生だったんです。嫌みな「おちびさん」ではなかったんです。

給食を残すと怒られましたが、残さないように早く食べられるようにと工夫してくれました。給食の時間に、いつも残さず時間に食べられる子をみんなの前に座らせて食べる見本を示してくれました。おかげで初めてわたしは残さずに全部時間で食べられるようになりました。

怒るとものすごく怖かったけど、頑張ってやったことは認めてくれました。ちゃんと見ててくれたんです。だから、初めて泳げるようにもなりました。ドッジボールでは投げるのは苦手でも、逃げるのは上手かったので褒めてもらって体育も好きになりました。お掃除も頑張って真剣にやりました。見ていてもらえることが嬉しかったんです。

4年でクラス替え、担任が替わりました。
この先生も厳しかったです。でも、その厳しさは「痛いところをつく」厳しさでした。遠足で具合が悪くて休んだのに、なぜ遠足を休んだのかと怒られました。欠席した時の勉強がテストに出て出来なくて、怒られました。朝の全校運動が外である後は、必ず5分間マラソンし続けました。ものすごく苦しくて、ついていけなくて、いつも辛かったです。走れる人はもう教室で休んでいるのに、ハアハア言いながらまだ走っているのは本当にいやでした。通知票には、「動作がのろい」と書かれました。

クラスのみんなの目の前で、友だちが平手打ちをされました。何回も打たれて鼻血が出たのを見て恐怖しかありませんでした。もともとおとなしく、まじめにやるしか取り柄のないわたしは、怖いからなるべく目立たないようにと身を縮めていました。

小学校の時は、3人の先生に教わりましたが、4年からの3年間は怖かったことしか覚えがありません。

中学に行きました。クラスには違う学校からの友達もたくさん。でもわたしはやはり一番チビでした。相変わらずすぐに体をこわしました。最初は目立たないように小さくなっていました。担任は一見怖そうでした。でも、そのうち「自分のことを知ろうとしていてくれる」ことがわかりました。提出した生活記録には、いつもたくさんの赤ペンの書き込みで返事をくれました。それを読んで、元気が出ました。

また、教科担任の先生方もとてもいい先生達でした。国語の先生からは、「自分の意見を述べること、対立意見を戦わせること」の楽しさを教えてもらいましたので、授業の発言が増えました。英語の先生からは、堅苦しい勉強でなく、間違えてもなんでもかまわないこと、英語の世界の楽しさを教えてもらいました。自分の好きだった音楽では、自分は音程が正しくて、しっかり歌えることを褒められ、ピアノでみんなのリードをすることを任されて自信がつきました。

わたしは中学で、「勉強ってなんて楽しいんだろう」ということを教えてもらうことが出来ました。そして、頑張れば認めてもらえること、先生達は自分のことを見ていてくれること、わたしにも人のために役に立つ力があるんだということを知ることが出来ました。

「教師になろう」…漠然と思っていた気持ちが固まったのは、中学でのたくさんの先生との出会いがあったからです。わたしの両親も教師でした。何となく、自分もなろうかな、と思っていました。それが、中学では「なりたい」と思うようになったのです。


「女王の教室」の一回目を見た時は、確かに衝撃的でした。けれども、わたしがこのドラマを完全に否定することが出来なかったのは、「真矢がクラス全員の名前を初日から覚えていた」からです。

「自分のことを知っていてくれる」「見ていてくれる」という思いは、子供にとって…というよりも、幼い頃からの自分の経験からとても強い支えになることを感じていました。名簿を見ずにきちんと顔を見て名前を呼び、それだけでなくその子の中身まで覚えている…それはなかなか真似できないことです。でも、真矢はそれをきちんとやって初日の教壇に立った。言っていることも、正論です。

厳しさからすると、4年からの先生のことを思わせてドキドキしました。(わたしも、授業中トイレに行くのはダメと言われたことがありました)けれども、厳しさの中にかいま見えた「子供を知ろうとする姿」が、どちらかというと小2~3年の時の厳しくても温かかった先生や、中学の時の「勉強だけでなくそれを通して生き方を教えてくれた」先生達と近いものを感じさせてくれたからなのでした。

(その3に続きます)




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[2005/10/03 15:00] 教育・学校
えーと、わたしは教師ですけど、このブログにて教育論を述べるつもりはなかったんですよね。

理由その1は、個人的なブログだから、「仕事」という公的なことから離れたいという気持ちから。

理由その2は、「教育」というのはかなり話題として問題になりがちであるので、わたしひとりの気持ちを書いて偏った情報として流れるのはまずいと思ったから。

理由その3は、「堅苦しく」なってしまうのでは、と思ったから。

要するに、教育というものに対しての偏って固定された認識を持って欲しくなかったからなんですよね。だけど、今はちょっと書きたい気分なんです。きっかけは、「女王の教室」の最終回の感想へのTBをいただいたこと、そして10月1日の出来事があったこと…からです。

きっかけとなったTBは、なかまたさんの
ファミリー メンタル クリニック
というブログからのTBでした。

そしてなかまたさんは、わたしのブログの「女王の教室」関連の記事を全部読んで、ご自分のブログ記事への感想も「お待ちしています」とコメントくださいました。

なかまたさんのブログを読みに行くと、そこには子供の「発達心理学」面から見た女王の教室の子供たちの変化と真矢の狙ったところについてを書いておられました。お返事しようと思ったのですが、どこにどうコメント付けていいのか分かりません。どうしようかと考えているうちに、10月1日の出来事が起こりました。→生気のない絵に衝撃

やるせない気分になりました。今の学校も、保護者も、子供も、どうなっているんだろうとずっと心の中で思っていたことを書かずにいられなくなりました。

「女王の教室」は、初めの頃からかなり物議を醸していたドラマです。でも、わたしは確かに過激な表現はありましたが、真矢の気持ちがよくわかりました。真矢の狙っているところも、わかった気がしました。真矢は、心の中にあるわたしの「理想とする教育」を表出しようとしていたからです。日頃からわたしが教育に対して「こうありたい」と思うことを言葉にしてくれていたからです。

間違えないで欲しいのは、真矢を「肯定」しているわけではないのです。(これはさんざんブログにも書いてきましたが。)ただ、彼女のねらいや頑張ったことや、訴えてきたことについて、「イメージして」欲しいと思っているだけなのです。

わたしは、「女王」にはなれませんでした。生徒のために、自分の持っているものを出し切って頑張ってきたつもりです。そのあげく、2度のうつによる休職に陥りました。息子は不登校です。娘は学校が嫌だと言いながら毎日かろうじて通っています。同じく教員の主人は、毎日「仕事が終わらない…」と遅くに帰ってきて、疲れて眠り、朝早くに起きて「休みたいなぁ、でも子供が待ってるから…」と出かけていきます。風邪で8度の熱を出して早退してきた翌日に、学校のスキー教室に出かけていきました。

我が家は、確かに「普通の家族とは違う」生活になっていますけれども、「特別な」家族なのでしょうか。「学校が楽しい」所でないのは、私たちだけなのでしょうか。

増えている不登校、暴力事件、等々の問題はどうしていくべきなのでしょうか。学校祭で生徒たちの描いた絵が悲鳴を上げているように感じたことは、考えすぎなのでしょうか。

しばらく、この話を続けようと思いますので、こういう話が苦手な方はスルーしてください。また、何か思うところのある方は、ぜひコメントをいただけると嬉しいです。


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お返事お待ちください。
[2005/10/02 02:35] 未分類
ええーと、TB&コメントありがとうございます。

お返事滞っててすみません。
ちょっとごたごたしていたので。

そんなわけで、この後だんだんお返事と記事を書いていきます。

しばらくお待ちくださいませ。


あ、そうだ、アクセス数が6万を突破しました。
本家のHPの方はまだ3万なんですけど…更新してないからなぁ。(^_^;)
皆様、いつも遊びに来てくれてありがとうございます。

ぼつぼつ新しいドラマが始まりますので、またドラマの話で盛り上がりましょう。

「女王の教室」に関してコメントくださった方にも、少し何回かかけてわたしの思う「教育」について書こうと思いますのでよろしく。
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生気のない絵に衝撃
[2005/10/01 10:49] 教育・学校
実は、ここ数日あまりのショックで立ち直れないでいる。

ブログの更新も出来ずにものすごい疲労感にさいなまれて寝込んでしまった。この記事は、今、10月4日に書いているんだけど、1日にあったことだから1日の記録として残そうと思う。

何がショックだったかって、子供たちの中学の学校祭。

わたしの息子は中3。ほとんど不登校状態だ。
娘は中1。毎日毎日、「中学はいやだ、小学校に帰りたい。」「部活があるから救われている」と繰り返す。

私はと言えば、現在うつ病のため休職中だが教員だ。主人も教員だ。

息子にも娘にも、「そんなことないよ、中学時代は楽しいよ。自分のやりたいこと見つけに、学校に行きなよ。」と話してはいる。けれども、毎日毎日「学校」の存在に押しつぶされそうな二人を見ていると、「学校の実情」を知っているだけに、「何がなんでも行きなさい」とは言えずにいる。

そうは思っていても、「高校に行きたい」という目標のためには行かざるをえない。何とか声をかけて行くように言っていた。


さて、話を学校祭に戻そう。

9月30日と10月1日が学校祭だった。30日には、息子もこの日は行こうと頑張って朝起きて支度して行った。娘はいつも通り早々と出かけた。

しかし、帰ってきた二人の第1声は「学校祭なんてつまらない、明日は行きたくない」だった。

わたしは不思議に思った。わたしは学校祭は楽しみだった。クラス展示やステージ発表。日頃の精一杯を出して楽しんだ覚えがある。

結局、翌日の学校祭に息子は行かれなかった。娘はそれでも出かけていった。土曜日なので、主人と一緒に学校祭を見に行った。子供たちの展示品だけでも見てこようと思ったのだ。

生徒たちは体育館で歓声を上げていた。何かステージ発表しているのだろう。わたしと主人は、教室の展示を見に行った。

1階の1年生の教室の前の廊下を歩く。娘の教室は廊下の一番奥だから、1組から順に見ていった。だんだんわたしの背中に寒気が走ってきた。娘の教室の前で、娘のクラスの子供たちの絵を見て、めまいがした。各教室の前には、写生大会の絵が展示してあった。娘の絵を見て、ショックで何も言えなかった。

職業柄、いろいろな子供の絵を見てきた。わたしの主免許は音楽なので、好きだったし心を豊かにするためにも美術館や図鑑で絵画鑑賞もよくした。娘の絵も、小学校のものからずっと見て知っている。

娘の絵は…生気が全くなかった。こんな絵を描く子じゃなかった。上手い下手の問題ではないのだ。小学校の時にはもっと「生き生きした」絵を描いていた子だ。

よく見ると、小学校の時に同じクラスだった子供たちも皆同じだった。こんな絵を描く子達じゃなかったはずだ。改めて、クラス全体の絵を見直した。冷たい絵だ。中学生らしいエネルギーが全くない。もちろん上手い子もいる。でも、技巧ではなく、心が感じられないのだ。

そして、さっきから感じていた寒気の原因がわかった。「絵が悲鳴を上げている」のだ。パワーがない。暖かさがない。どの絵も、「助けて!」と叫んでいるようだ。

教室の中の展示を見る時は、そのショックで楽しむ気になれなかった。

そのまま息子の教室の3階にあがった。目の前には3年の絵が並ぶ。3年生の絵は…もっと苦しそうだった。

「これが中学生の絵なの?」…絵から感じる抑圧された気持ちの波を感じて、立っていられなくなり、その場にへたり込んでしまってだんなに支えられた。

「勉強とか部活とかで忙しくて、芸術とか文化的なことに力を入れる余裕がないのかね。」とだんなが言った。わたしが感じたほどのショックは、だんなは感じなかったようだけれども、理系の技巧的にものを見るだんなからしてもやはりおかしいと感じたようだった。

息子の教室は、廊下の向こうだったのでまた3年の教室の前をずっと見ながら息子の教室に行った。絵から感じる暗い悲しい波動の波にもみくちゃにされてわたしはもう歩くのもやっとになってしまっていた。

息子の教室の前で、絵を見た。…息子の絵がない。写生大会には出席できなかったけれど、土曜や日曜に主人と学校に行って頑張って仕上げて提出したはずの絵がない。どうして?出席していないと、飾ってもらえないのかしら、ちゃんと描いたのに。

教室に入って中の展示物を見る。修学旅行の時に「絵付け」をした湯飲みが飾ってあった。ほとんどの子が普通の柄を描いている中で、息子の柄はオリジナルになっていた。上手くはないけど、「生きて」いた。少しホッとした。生徒たちの写真が飾ってあるところにも、息子の写真はなかった。同じように不登校の友だちのものもなかった。撮った日にいなくても、違う写真だっていいから飾ってくれればいいのにね。頑張って学校に行った日にも、「誰も相手をしてくれなくて寂しい」「ぼくは避けられているみたいでいやだ」そういって帰ってきてはぐったりとしている息子の気持ちがわかった気がした。

その後、「知障学級」の生徒の教室に行った。同じように廊下にはその子の描いた絵が貼ってあった。それを見てやっと心があたたかくなった。いろいろなクレヨンで、線が描いてあった。何かの形をしているわけでもないけれども、その絵は「生きて」いたから。その子の心が動いて、何かを感じて描いていることを感じたから。学校の片隅の目立たない教室だけれども、どこの展示よりもその展示はすばらしかった。

それ以上はもう、どこも見る気になれなかった。廊下や教室から感じる冷たさと暗さとがわたしにのしかかって苦しくてたまらなかった。

車に戻ったら、気持ち悪くなってしまった。家に帰って、ベッドに倒れ込んだ。私は今、休職している。けれども、はたして今の学校がみんなこんなだったら、復職できるんだろうか。それより何より、もう不登校の息子に、あの学校に行けとは言えない自分がいる。「もう学校休みたい」という娘にも、辛くても目標見つけてやってみようよ、と励まそうとする自分が消え去ってしまっている。

息子も、娘も、小さい時から心豊かにと願って育ててきた。人の痛みがわかる、優しい子に、と願って育ててきた。二人とも、その点では自慢の子供たちだ。物事を中途半端に投げ出さないようにも育ててきた。自分の力を伸ばすように努力する子に育ててきた。勉強も、出来ないことはない。考える力もある。ごく、普通の中学生だと思う。

その二人が、疲れ切ってしまう学校っていったい何なんだろう。行く意味はあるのだろうか。多分、わたしの感じたような冷たさや暗さを二人とも感じて暮らしていたんだろう。感受性が強いから、人の気持ちが見えてしまうから、そういう子にとっては苦しくてたまらないのだろうか。だったら学校ってなんのためにあるんだ…。

私は今、うつ病で休職している。実は、これが2回目の休職だ。よく考えると、子供たちのために必死になってやればやるほど、まわりとの壁の厚さに辛くなる一方だった。そのためのうつの発病だった。

主人も仕事に行かれなくなった時期がある。毎日朝から夜遅くまで学校の仕事を頑張る人なのに、その気持ちが通じなくてやるせなくて辞表をたたきつけて行かなくなった。

私たち家族4人は、特別な人間なんだろうか。この世の中でもう、存在していかれない人間なんだろうか。誰か、教えてください。
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