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← 2005年07月 →- 女王の教室ーもっと論争を! [2005/07/18]
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女王の教室ーもっと論争を![2005/07/18 01:41] 子育て
「女王の教室」の感想記事に、たくさんのTBありがとうございます。
それだけ多くの人がこの番組に興味を持っているんですね。 TBくださった皆さんにはすぐコメント返したいと思っていますが、時間がかかりそうです。ごめんなさい。なので、この記事で一言思うことを。 私は、この番組、賛否両論あって当然だと思います。 と言うか、世の中のドラマとか出来事とか、すべての人が同じように感じるなんてことはないはずで、どちらの意見に対しても、「意見」は持っても、「批判」はすべきではないと思っています。 だから、私の意見に対してもおかしいと思っても、同じと思っても、結構ですし、そんな問題提起が出来たら嬉しいと思うのです。 ただ、「この番組は有害だから中止すべき」という否定はおかしいと思うのです。 世の親たちが「見せたくない番組」にした「クレヨンしんちゃん」ですが、私は子どもの頃の息子と娘にも平気で見せました。 しんちゃんのやっていることは現実にあったらかなりむかつくし、怒りたくもなると思うけど、でも、見たからといってそれをそのまま真似するかどうかは、子どもではなく、まわりにいる大人の言葉にかかっていると思うのです。 息子と見ていた時、しんちゃんは車をいじって動かしてしまい、まわりにぶつけているシーンがありました。いつも子どもには、「車は危ないから、子どもは勝手にいじっちゃダメなんだよ」と話していたので、息子は、「しんちゃん、危ないね。いじっちゃ、いけないよね。」と自分で考えて意見を言いました。大事なのはここだと思うのです。 子どもは「白紙」です。そこに色を付けて行くには、大人の力が大きいのです。 しんちゃんの行動を「面白い、真似しよう」と思うのか、「あれはやっちゃいけないことなんだ」と思うのか、それは大人の一言にかかってきます。 それが出来ないで、ただ物事の表面だけをとらえて「子どもには有害」と隠しておくことだけがいいことなのでしょうか。正義なのでしょうか。 人生には良いことも悪いこともいっぱいです。自分でどんなに努力したつもりでも、かなわないことだって手の届かないことだってあります。でも、いろいろな経験を通じて、「自分で判断して動く」ことが出来るようになることが必要で、そういう現実を知らないで育った子が、きれい事だけを見て育った子ども達がその判断が出来るかというと、きわめて疑問です。 私の職業は、教員です。しかし、子どもにはいろいろな世界を見せたいと思っています。自分の子どもにも、生徒にも。 私の息子は今、不登校です。本当に苦しんでいます。しかし、これだって悪いことだとは思いません。長い人生の中で、自分で悩んで苦しんで、いずれは自分で結論を出していくことだと思っています。その時に、出会った人たち、傷つけた人たち、傷つけられた人たち、それぞれに対する思いが、息子の生きるためのエネルギーになっていくと思うから、私は目を背けませんし、息子にもとことん悩ませようと思っています。「学校に行かれない時は無理しない」・・・これが、息子の選んだ今の道だからです。リストカットもしました。髪の毛も染めました。(中学生です)でも、いろいろな経験を経て、少しずつ考える力の無かった息子の脳には活力が出てきています。それを信じているのです。 私自身、きまじめな性格で、小さい頃から努力家でした。「いい子」で親からも先生からも認められていました。でも、そのせいで人に頼れない人間になってしまいました。また、褒められることが多かったので、人からの批判にはとても弱く、みんな「自分のせい」だと思うように育ちました。今、うつ病です。教師を休職しています。「いい子だ」と褒められて育つだけでは、逆風にこらえきれないところがあるのです。もっと、世間のいろいろな姿を知って育っていたら・・・そう思うのです。 本当に愛していたら、怒るべきところは怒るでしょう。注意すべきことは注意すべきなんです。「愛することと、なれ合いは違う」という真矢の気持ちはすごくよくわかるのです。 だから、表面だけを見て「あれはよくない」と判断するのでなく、その奥にあるものを見ないと、大切なものを見失うように思います。世の中には、光と陰があります。陰がないことには、光のありがたさが見えてきません。今、その「陰」の部分を覆い隠すことで「光」さえ見えなくしているような気がします。「陰」を見せることは、ものすごく厳しいことですがそれを背負う大人はものすごく厳しい辛い思いをします。それを避ける大人があまりに多いのも事実です。 今、必要なのは、光と陰があるんだ、裏表があるんだという「現実」を、バーチャルの世界ではなく事実として子どもに示すことだと思います。それについて、ぜひ家族で、友だちで、身近な人たちで語り合う機会を作って欲しいと思うのです。「意見を持つ」「自分を持つ」ことが必要になってくるんではないかと思います。 スポンサーサイト
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