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被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(3)
[2011/09/28 08:43] 生活・自然
9月11日の仙台、夜。
セキスイハイムスーパーアリーナのまわりは煌々と活気にあふれていた。

IMG_4805.jpg

この日は桑田佳祐さんの宮城ライブ「明日へのマーチ!!」の2日目で。
アリーナを取り囲む敷地にはたくさんの提灯が飾られ、広場の真ん中には櫓が組まれ、さらにたくさんの屋台が出ていた。まるで盆踊りの会場のようなにぎやかさ。この屋台に出店しているのは東北の人びとのお店。そして広場の数カ所には被災地を支援するメッセージボードなどの展示。

その模様からもわかるように、このライブは桑田佳祐さん自らが命に関わるような病気から立ち上がるのにたくさんの応援をもらったことに対しての感謝の想いを込め、東北を元気づけるため、日本が元気になるため、という想いを込めて開催したライブ。

私が仙台9月11日、という訪問日程を決めた理由の1つにこれがあった。このライブを1つの旗印として、仙台に人と意識とが集まってきていたのだ。

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「まさか、本当に会えるなんて思わなかったけれど、会えて嬉しい。乾杯!」

4人のささやかなミーティング という名の飲み会&慰労会。
この4人が4人とも、普通の時だったら顔を合わせる可能性もないような離れた場所から集まったメンバーだった。

ヒロコさんは、普段はエジプトで生活している。ふるさとが岩手。今回の震災では、遠く離れた自分に何ができるのかと考えてエジプトからの支援活動をしてきた。岩手県の復興のシンボル、「がんだるま」くんをデザインしたTシャツを作成、販売し、そしてその売上げを岩手に支援金として送った。

アキちゃんは、神奈川在住だ。彼女は日頃、子ども達が元気に学ぶことのできる環境を考えた活動を目指しているが、募金活動をし、集めたお金で被災地の子ども達を思い切り遊ばしてあげるためにディズニーランドに連れて行こうという支援活動に今も取り組んでいるところだ。

カツオさん(と呼ばれているけど本当はヤスヒロさん。)は、仙台在住。自分自身も地震で被害を受けた被災地の人間だけれど、避難所や仮設住宅に物資が行き渡らなかったり滞っていたりする状況を見て、その流れを作ろうと自ら動いて様々な物資の流れを作って支援活動に取り組んでいる。

写真2

そして私は長野県。自分にできる事は情報の収集と発信と、それから人を繋げること。それをするために今回被災地巡りを計画し、その2日目に石巻を見に行ったときにヤスヒロさんが忙しい時間をぬってアキちゃんと私たち親子のガイドをしてくれた。石巻の地に立っていろいろ感じた息子がぶつける質問を真剣に受けとめてくれたおかげで、息子はその場で大切な情報を得ることが出来た。

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この4人が知り合ったのは、Facebookのとあるウオールで、でした。

4人とも、この3月の震災を受けとめてそれぞれに「何かしよう」「何ができる?」と考えていました。そうしてその情報を得る場として選んだのがFacebookでした。ヒロコさんは「地元岩手の情報を知りたい」という想いと、それから故郷を襲ったこの震災の被害の大きさにやりきれないきもちをもっていました。ヤスヒロさんは地元の支援活動を進めるために情報収拾と効率のよい連絡手段と言うことで選んだのがFacebookでした。アキちゃんも同様で、実際に活動しようと思ったときにFacebookでの情報と意見交換が大きな助けとなっていました。

その意見交換の場となったのが、宮城ライブを開催した桑田佳祐さんのファンの集まるウオールだったのです。桑田さんは震災直後から被災地支援のために応援ソングを作り、支援のための音楽活動や発言を続けていて、宮城ライブもその一環。ファンの集まるウオールでも当然のように「被災地支援」も1つのテーマとして加わっていて、そこに意識を持つ人たちが集まってきていました。

被災地の被害の様子、そして支援活動の模様。復興の進行度合い。福島への風評被害や原発問題のきっかけとなった東電への怒り。……Facebookに集まるメンバーは全世界の人びとなので、ヒロコさんのように遠い海外のエジプトから日本への想いを馳せる人も参加していました。桑田さんやSASのファンである、という共通点を持った世界中の人たちがそのウオールで意見交換し、被災地の人びとは自分たちの様子や想いを語るなど、あちこちから様々な情報が入るのです。

やがて協調するもの同士がフレンドリンクによってダイレクトにつながり情報のネットワークはどんどん拡がっていきました。

震災の緊急事態の時に、Twitterが発信したものは膨大な情報でした。
私もはじめはTwitterのタイムラインを泳ぎ回って情報を集めました。けれど、Twitterの性質上、情報を蓄積したりリンクして深めたりすること、それはとても難しいことでした。さらに匿名制のTwitterは誰がどこから発信したか追いにくい。

一方実名登録が決まりのFacebookでは情報の出所もかなり明確で、お互いの立場からそれをれが持つネットワークの情報を発信しシェアしあう事によって世界各地からのさまざまな視点からの多様な情報が、それもより正確で信憑性のある情報が手に入りやすくなっていたのです。

この「より正確で信憑性のある情報のリンク」が、この4人それぞれの情報収拾や支援活動とその拡がり、新たなつながりに大きな力となってくれたのです。私自身もそれまでほとんど活用していなかったFacebookを見直しし、自らのウオールとFaceBookページを活用して情報活動をはじめて現在に至ります。この被災地巡りを思い立ったのはFacebook上で「被災地の今を、自分の見たままに伝えたい」という情報発信を目標として持ったからでもありました。

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(4、私たち一般の人間がすること。)

(2) コミュニティーの中の「会話」で情報共有。

さて、ここまで書いたように「正しい情報収拾」のためにFacebookやTwitterのようなWebにおけるコミュニケーションツールは大きな力を発揮してくれています。そして、テレビや新聞といった既存のメディアに頼らずとも情報を持つ個人がじょうずに発信していくこと、そしてその発信を繋げて積み重ねることで信憑性や確実性をどんどんあげていくことが出来る事もわかりました。

しかし……メディアの劣化が明らかで、「既存のメディアに頼らない」事がWebの利用で可能になることがわかっても、日本全体に広めることは現状不可能です。ネット人口は日本の全体で2011年、一億を突破したと言われていますが、それはTwitterやmixiで日記を書いたり単につぶやくだけの人数を含めていると思われ、その中で「自分から発信し、情報収集が可能」なユーザーはとなると、果たしてそのうちの半分に行くのでしょうか?

さらにスマートフォンや携帯でのネットユーザーは、かなり若年層が多いのでしょうが、日本の社会を今現在動かしている年齢層はかなり高くなります。そして、年齢層が高くなるほどにネット人口は減少していくと思われます。……となると。日本の人口分布で逆ピラミッドの上方を構成し、現在社会を実際に動かしている中・高年層のある割合は「Webから情報得ること」が困難であったりWebに触れることがない可能性が大きく、そしてそういう層は子供のころから新聞やテレビからの情報を主に情報を収拾している可能性が大きいと言うことなのです。

では。Web上の情報を得にくい人たちにはどうやって「Web上で収拾できる情報」を伝えることが出来るのでしょうか?このNet世代とそうでない世代との格差・溝を埋めることが、情報伝達における当面の課題かもしれません。けれど、そのあたりを解決するのもやはり「情報のリンクの仕方」なのでしょう。つまり、情報を繋げるには「コミュニティー」が必要です。ネット上でもそこにあるコミュニティーでつながりあう人と人との間を情報が流れていきます。それが実際の社会でも行われればいいわけです。

実際に人が活動するときには「実際の知り合い」「現実のコミュニティー」の中での活動が主になってきます。Webのつながりと現実のコミュニティーを繋げていけばいいわけです。……と難しいことを言っているようですが、要するにWeb上で情報収拾できる人は、それを現実の「茶飲み友だち」や「家族・親戚」「ご近所さん」「ママ友」などの集まりでそれぞれが茶飲み話の話題にでも気軽にすればいい、ということなのです。本来はWeb上よりももっともっと身近な知り合いの方が信頼も厚いでしょう。テレビや新聞が流す報道よりも、そういう身近な人たちから得られる情報の方がずっと伝わりやすいでしょう。そうして多種多様な人びとによって構成される多種多様なコミュニティーを身近なところからつなげていく事でWeb上の情報をリアルにもつなげていく事はじゅうぶんにできると思うのです。

そうしたら……信頼感ある仲間内でそういう会話と話題を続けていくことで、正しい情報を皆に伝えて役立てることは十分可能になるんだと思います。……まずは今、この文を読んでいるあなたがそれをすることで。周りの人たちとそれを共有にしようと想いを持つことで。そういう人が1人でも増えることにより、情報伝達において「もう、テレビや新聞(上から与えられる情報)は要りませんよ」と言えて、正しい情報を得ることが出来、日常会話の中でみんなでその正しさを審議し、活用方法を工夫し合うことのできる世の中になっていくのではないかなぁ、と思えませんか?

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さて、そんな世の中になっていくとしたら、そこで一番にみんなで伝えあって欲しいことがあるのです。それも、かつての日本を知る人たちに、是非とも大きな声で伝えて欲しいことがあるんです。それもまた、「未来を開く」ために大きなヒントになることなんですが………。

その話題は……
被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(4)  に続きます。
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被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(2)
[2011/09/28 08:12] 生活・自然
7月3日。Youtubeで発信された1つの映像がマスコミよりも敏感にある政治家の「暴言」を報じた。その映像が、マスコミは最初まったく問題視していなかったその暴言を一気に「大問題」にと変容させた。

政治家の名前は、松本龍。復興相として就任後初の被災地入りでの宮城県知事との会見での彼の発した言葉と態度が問題視され、激しい追及にあって2日後の5日に復興相と防災相の辞任へと追い込まれた。

松本元復興相の態度とその発した言葉は上から目線で横柄で、大震災への対応にみんなが必死になっている状態の中で、被災地の人びとを傷つける許されざるものだ。

その糾弾に立ち上がったのはWeb上の人びとだった。そこにメディアが追随した形だ。
Twitterでこの情報が拡散し、Facebookでもシェアされ、それと共に松本龍復興相の追放を要求するFacebookページが作成され、そこではかなり激しい言葉が交わされていた。

目的は「大臣の追放」。そのためにかなりの怒りのパワーがここに集結していた。これだけの力がまだ、日本の人々にも残っていた。社会の無力感から怒りすら忘れてしまったのかと想っていたけれど、ここまでの力をぶつけることができるのだ……。「間違ったこと」「許されないこと」に対してきちんとNO、と言えること、それに対して怒りをぶつけられること。
社会がきちんと正しい方向に進むためには絶対に必要な力がこれだけ残っていて、その力を集めることがちゃんとできる。今まで人びとが無力感に動けなくなっているのかと想っていた私は、それを感じて少しホッとした。

けれど、その後……あれだけのエネルギーを持ってこの大臣を追及して辞任に追い込み、大臣が「辞任」を表明したことでFacebookページはそのままストップし、あそこに捧げられた情熱もどこかに拡散してしまった。当然メディアの興味もまったく向かなくなり……そして政治は、日本は、被災地は……何か前進しただろうか?

実は、こういう流れは今まで何回も起こっていた。政治家の不祥事、暴言。政治家に限らず様々な企業や組織でも起こってきたこういう「責任問題」。その度に、メディアや国民が怒りを持ち、それを書き立て、そしてその結果テレビや新聞の向こうで「申し訳ありませんでした」と代表が頭を下げ、トップが辞めることで「一件落着」になる。

……そしてそのあとは?

正直な話、「まったく何も変わっていない」。TOPがかわり、辞めることで矛がおさまる。その企業やその部署には監査が厳しくなるのかもしれないが、また別のどこかで同じような問題が発生し、そしてまた同じように引責問題で誰かが頭を下げて辞め、そこで事態は収拾する。

今までずっと、その繰り返しだった。だから、今回もこれだけのエネルギーでこの大臣を辞めさせたが、それは「首のすげ替え」が起こるだけの話で、その体質や組織自体が変わるわけではないから……何も変わらない。そして当の本人も、大臣を辞めるだけで議員を辞めるわけではないからあまり痛みがない。

あれだけのパワーが集まって迫ったら、もっと奥に潜む「根源」を断つことも可能なのにもったいない……わたしはそう思う。

このパワーの矛先を向けるのは、松本大臣でよかったのか?同じようにそのあと菅総理も交代し、首のすげ替えが起こっても、国民よりも我が身第一で上から目線の「永田町の体質」はまったく変わらず、ゆえに大震災後の緒問題も原発問題も何も解決していかない。

こういう問題を引き起こすその原因はどこにあるのだろう?
こういう「大問題」に隠れて、私たちはもっと本当に怒りをぶつける先……「諸悪の根源」を見失ってはいないのだろうか???

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「東日本大震災」が起きた直接の原因は、3つの地殻変動による大きな地震と、それによって引き起こされた大津波です。その破壊力は甚大で、あっという間に多くのものを失いました。

けれど、天災に対して怒りをぶつけても仕方がありません。
なぜなら、私たちはこの地球の「住人」なのだから。人間は地球というアパートに間借りして住まわせてもらっているうえに他に行くところはないので、アパートの現状の中で住人みんなが環境やその維持に心を配って住むしかないからです。

けれど……人間は地球というその借家に好き勝手をして傷つけてしまったのです。地球というアパートが地震で揺れた時、住人の不始末でその被害が果てしなく大きく広がってしまったのです。……つまりそれが「人災」です。

被災地の復興に立ちふさがる行政の動きの悪さ。なかなか行き渡らない支援金や支給品……規則や法律、そして組織の融通がきかない事による行き渡りの遅れ。それから情報の不備や偏りによる地域格差。それによる復興の遅れ。すべては人災です。

さらにもっと大きな許すことのできない人災がこれです。

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自分で制御しきれない「原子力発電」という爆弾を抱え込んでいた住人(東京電力および原発関連の事業)がいて、その扱い方もきちんとできず、何か起きたときの責任さえ取れないままにひたすらその巻き起こした「被害」についての責任から逃れようとし、そのデータの公表や実態を明らかにせずに隠蔽しようとし、責任を問われるとその所在を人に押しつけようとしました。

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(画像は2つとも東北地方太平洋沖地震 原発関連wikiより借用)

その管理を委託されているはずの管理人(国)は、自分から招き入れたその住人を制御も管理もできず、しっかりと責任を取らせることもできず、もっと悪いことには、そのせいで被った被害を埋め合わせるために他の住人たち(国民)にも家賃値上げ(増税)という形で一緒に責任を取らせようとしています。

もともとこの福島の原発の原子炉を作ったのはアメリカの会社ですが、実はこのような大規模な事故に耐えうるものではなかったことがその会社で35年前に指摘されていたのを放置(米GE製の福島原発原子炉、安全上の問題を35年前に指摘)し、うやむやにしたまま操業していたのです。なのに「想定外」と言って逃げようとし、その事態の収拾に当たっては会社の社員ではなく下請け、孫請けの人びとを「使い捨て」状態にしている事実、この事態をきちんとしたデーターとして公表もせず、その分析も人任せ、ひたすら表舞台から逃げ隠れ。そしてそれによってもたらされた被害は地震や津波の比ではありません。

東電の株主総会に出席した人の話を聞くと、その対応は明らかに無責任なものであり、そしてそこで発せられる言葉は被災地の人びとだけでなく、日本、さらに世界の人びとにも影響を及ぼす被害をもたらした者としてありえない、先に辞職に追い込まれた松本大臣の比ではない聞くに堪えない「暴言」に近いものであったと聞きます。さらに、その被害を受けた人たちに対しての「補償」に対する態度すら、こんな状況であるということです。→『東京電力株式会社が行なう原発事故被害者への損害賠償手続に関する日本弁護士連合会会長声明』 

これはもう国をあげてその責任を追及し、怒りを持って東電という存在自体を根っこから覆さなければならないレベルなのではないでしょうか。風評被害、農作物・水産被害、土地の汚染、人々が家に帰れない異常事態……それらの全責任が東電による「人災」です。東電は全世界に対しても今回の件に関して責任を取るべきなのです。

しかし、この「暴言」や「暴挙」に対して……残念ながら松本大臣の時のような勢いを持って東電に迫るものはいまだにありません……「野放し」なのです。

この東電に対して国・政府はもはやなんの制御力もなく、そしてメディアはまったく「追及」しようとはしません。株主総会の状況も、それから現在その対処に当たっている人びとの様子も、さらに立ち入り禁止の区域の状況も、そして「これから何十年も影響を及ぼす放射線に対してどんな対策を立てていったらいいのか」の手立てすら、政府やメディアから仕入れることはできないのです。

(原発の問題が明らかになった途端にそれまでうるさいほど騒いでいた報道関係者が30キロどころか50キロ圏よりも近づかなくなりました。そこで生活しなくてはならない人たちがたくさん居るのに、その人たちの実態や苦しみは報道されることがないのです。)

そのため、当然国民に流れるのは不安や憶測です。見えない、わからない。正しい情報は入らない。そしてこの先どうしていったらいいのかもわからない。「風評」が出るのも当然の状況をつくり出しているのです。東電、国、メディア。すべての逃げ腰がこの状況を作り上げているのです。その責任の重さを、いったい誰が追求するのでしょう?そして、この状況を一体どうしていったら私たちの「明日」につながるのでしょう。子ども達へと「未来」をつなげていく事が出来るのでしょうか?

4、私たち一般の人間がすること。

(1) 「正しい情報」を得る努力。


一つ目に大切な事。それは、「正しい情報を受けとめ、そしてそれをしっかりと把握すること」。

その正しい情報を得れば、より良い社会や方向に向かうためには何をどう正していったらいいのかを判断し、良いものは取り上げてさせたり広めたりする一方で、今回の東電や動かない政府のような正すべき者に対しては、その根っこまで探り当てて修正や治療、時に新しく作り直すことを求めて皆で迫ることが可能です。

が、今回の震災に関連して……特に原発の問題に関しては情報がまったくといっていいほど入って来ません。たぶん、今、日本の国の中で「正しい情報」もしくは「使える情報」を手に入れることは難しいのです。

必死で正しくデータを分析した情報、そして原発に対抗するための情報や手段を訴えている人たちもいます。しかし、なぜかそういう情報を政府も日本国内のメディアはまったくといっていいほど取り上げません。

それが顕著だと私が感じた一例が7月27日に国会( 衆議院厚生労働委員会)で東大の東大アイソトープ総合センター長で教授の児玉龍彦氏の発言です。ここまで具体的に現地の状況を報告し除染の緊急性と子ども達への影響を訴えているにもかかわらず、メディアでこれを重く捉えて緊急事項として報道したところは1つもありませんでした。

国会はまったく動かず、さらにこの模様はYoutubeを通じて一晩で30万を超えるアクセス数があったにもかかわらず7月末には一度削除さえされています。(その児玉教授のまとめはこちらから見ることができます。東大・児玉教授の放射能についての発言まとめ

児玉教授自体はその1ヶ月後くらいに動かない国に対して失望の念と再度の対応を要求するようにメディアを前に訴えていますが、これもまたまったく伝わっていきませんでした。東京プレスクラブ: 東京大学児玉龍彦教授緊急記者会見映像(2011.8.22)

この3月から様々な情報を追いかけていますが、それらを見ていると日本のメディアにはすでにもう役に立つ情報の発信能力や、正しい情報によって国や社会を動かす力、未来につなぐ力はありません。

この東日本大震災に関し、特に原発に関して「信憑性のある情報や状況」といえるものは……海外のメディアによる取材・報道……それが逆輸入の形で入って来た物ばかりでした。(一例:福島第一原発労働者の実態を撮影:小原一真(独ZDF)、)

私たちは、国から正しい指導も方針も得ることは出来ません。そして、日本の国のメディアからも正しい情報や報道を得ることは出来ません。Web上では様々な情報が流れていますが、どれが正しくてどれが間違っているのかの判断を簡単につけることもできません。実際が見えないから情報が欲しいのに、実際を知らないとその正誤の判断もつけられない。

では……国にもメディアにも頼らずに「正しい情報を受けとめ、そしてそれをしっかりと把握すること」のために、一般人である私たちは一体どうしたらいいのでしょうか?

被災地巡りの3日間の2日目、仙台での夜に、ネットを通じて出会った人たちとの会話の中から、そのためのヒントを私はもらったのです。

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被災地をめぐっての3日間~6「明日」のためにできること(3) につづく

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付記:ジャーナリストの烏賀陽 弘道さんが、原発20キロ圏内に潜入し、そのレポートを最近発表しています。原発20キロ圏内の「真実」がそこに見ることができる貴重なレポートです。さらに、そのレポートが浮き彫りにしているのは……。これは皆さん、どうかお読み下さい。

寒気を覚えた無人の町の異様な空気突入!この目で見てきた原発20キロ圏内(前篇)
略奪されたコンビニの暴力的な現実突入!この目で見てきた原発20キロ圏内(後篇)

付記2:風評被害の一例……本当にこれは一例なのです。福島の人たちの心をこれ以上傷つけ苦しめてはいけない……一刻も早くにこういう心ない言葉を発する人を減らす人間が「自らを恥じる」ような正しい認識を広めていかねばいけないと思います。
親父の告白・・・。(口調が厳しいのでスルーでも可)
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復興支援には笑顔が似合う。
[2011/05/30 11:10] 生活・自然
昨日は朝から雨でした。
本当は晴れて欲しいなぁ……と思っていたので小雨だったけれど雨がふってちょっと残念に思っていました。

晴れることを祈っていたのは、いくつかの野外イベントがこの日予定されていたからです。
特に、小布施町で2つのイベントがあって、両方とも応援したかったので……。

けれど、雨。
大丈夫だろうか……準備をずっとしてきたから雨天決行だろうけど、人出はどうなんだろうか?そんな心配の気持ちを抱えながら会場に行ってみたらその心配がまったく無用だということはすぐにわかりました。

昨日行ったのは小布施町のハイウエイオアシスで行われた「ラーメンフェスタ」。

このイベントは、小布施町の浄光寺中心に広がる「笑顔プロジェクト」という復興支援ボランティア団体の企画したものです。私のN-geneの記事でも紹介しました。詳細はこちら→「被災地に笑顔を届けよう~その5

取材以降、私もチラシを配ったりブログやSNSで紹介したりして応援してきて、昨日は息子と娘、そして娘の友だちも一緒に参戦ということで雨に負けずに会場に行ったら……駐車場にどんどん車が。

チケット売り場にならぶ人びとはどのラーメンを食べようかとうきうきしています。親子連れ、友だち同士、いろいろな年齢層の人たちが傘をさして並んでいるのです。そして各ラーメン店の前ではラーメン町の列。できたラーメンを持って嬉しそうに食べる場所を探す人。

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……雨なんか気にならないほどの熱気でした。というよりも、みんなこの「雨」でさえも楽しんでしまっている感じです。確かに雨の中でラーメン食べるなんて、めったにできない経験ですものね。

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「笑顔プロジェクト」のコンセプトはその名にある通り「笑顔を繋げる」ことです。被災地の人たちを「支援する」という想いから始まってはいますが、してあげるという立場ではなくてみんなで笑顔になる、という想い。笑顔を届けるんだ、という想い。だから、ただ「物資を届ける」のではなく、そこにある想いも一緒に届ける活動を続けています。

だから、ラーメンフェスタ。みんなが美味しいラーメンで笑顔になって、その笑顔で生まれた収益で被災地の皆さんにも笑顔を届ける。

「被災地の人たちが苦しんでいるのに、自分たちが楽しんだら不謹慎だ」「自粛すべきだ」

そんな声が一時大きくなって頑張っている人たちを傷つけたときがありました。それはある意味、本当に被災地の人のために頑張ろうという想いを踏みにじる発言で、さらにそれで萎縮してしまうことで被災地にも支援が届きにくくなるという悪循環を生み出すものでした。

でも……みんなちゃんとわかっているんですよね。何が一番いいのか、どうするのが支援になるのかって。

それに、別に震災があったからじゃなくて本当に日本という国自体が、国全体が、ものすごくがたがたな状態で「立ち上がる」「復興する」のは被災地の人たちの問題だけではなかったんですから……。

来た人たちが嬉しそうにラーメンを食べて、それを見てスタッフも笑顔になり(上の写真は浄光寺の林さんの笑顔です)、そうしてそこで元気になって支援活動につながって、支援地の皆さんも笑顔になって……そうしてみんなが笑顔になって元気になって、初めて本当の意味での「復興」ができるんですよね。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

ラーメンフェスタのラーメンは、協力ラーメン店の店主さんたちの力作揃いでどれもみんな美味しかったです。小布施のハイウエイオアシスでいろんな人の様子を見ていたら、何と参加8店舗すべてのラーメンチケットを購入していた人もいました。

美味しいラーメンで心も体も温かくなって帰ったら、玄関に届いていたのは1つのアルバム。
チームアミューズの復興支援アルバム「Let's Try Again」です。

【送料無料】Let's try again

【送料無料】Let's try again
価格:1,052円(税込、送料別)


試聴・視聴はこちらでできます。→チーム・アミューズ 『Let's try again』

サザンの桑田さん中心に、福山さんやポルノグラフィティー、三宅さんなど蒼々たるメンバーが集結して作りあげたこの作品。

さっそく聞いて、それから一緒に入っていたビデオを観たのですけれど、これ……やっぱりみんながものすごく楽しそうなんです。「今こそ立ち上がれ」って何回も歌われる中で、懐かしい名曲がメドレーで流れて、それを歌っている皆さんが元気いっぱいで笑顔で……楽しんでいるんです。

聞いていて、なんだかとても元気が出てきました。そしてワクワクしてきました。
ああ……この国ってきっと大丈夫だ。また立ち上がれるよ。絶対に。

そんなパワーをもらうことができたのです。
この一枚、このお値段でこれだけの内容で……こうして購入することでその収益が被災地のために使われる支援にもなる。

自分1人が買うことではそうたいした力にもならないのでしょうけど、参加メンバーの力をもらうことで自分も元気になれ、1人でもたくさんの人が買って元気になることでその支援の力がどんどんふくらんでいく。

みんなで一緒に立ち上がって、みんなが一緒に元気になれる。

元気のパワー。
立ち上がる気力。

それはやはり、自粛して静かにしていることからは生まれません。
みんなで楽しんで、みんなで笑って、そうして悲しいことも飲み込んでしまうだけの力をお互いにつけて……笑顔の力で立ち上がったら、きっとそこには笑顔があふれる新しい世界が拡がるに違いないのだと思います。

復興支援には、笑顔が似合う。
日本中が元気になるためには、笑顔の力をつなげていく事。

それを強く感じた昨日でした。
私もスマイルコーディネーターとして活動するためのパワーを沢山もらいました。



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震災から2ヶ月たって……
[2011/05/11 10:08] 生活・自然
……ずっと掲載し続けていた「笑顔プロジェクト」の記事の5回目、最終を先ほど掲載しました。

長野県小布施町にあるお寺、浄光寺副住職の林さんの取材をしてから「これは書かなくては、伝えなくては」という衝動に押されて記事自体はあっという間に書き上がりました。

いろいろあったけれど、とにかく、震災から丸2ヶ月後の今日、最終の5つめをあげて、「何ができるの?」と焦りの中にいる人たちや「今どうなっているの?」とわからないなか次第に忘れてしまいつつある人たちに、改めてその実際を知って欲しいと強く思って書いた記事です。

もしもこの文を読んで、共感したり何か考えるところがありましたら。
どうか、周りの人たちにも投げかけてみてください。

「自分たちは、被災地の人に背中を押されて必死でやっているだけです。」

そういう笑顔プロジェクトの人たちは、やっぱり同じように「自分には何もできない」と口にしていました。被災地の人たちの想いや辛さを解消することは、たぶんどんなにお金を積んでもどんなにものがあってもできないことなんだと思います。

でも、こんな風に「想うこと」……被災地の人たちに想いをよせること、忘れないでいること……それだけでも、1人1人のできるすごく大切な事なんだと、わたしは災害後のもろもろを見ながらそう想います。

そうして、災害で失われた命に学び、教えられたことを風化させないことが、被災地の人の心を明るくし、被災地だけではなく私たちの生きるこの社会全体を明るく元気に……正直、災害前にはかなりねじ曲がった状態だった世の中を少なくとも「おかしいところはおかしい」と気がつける状態にするきっかけになるのではないかと強く想います。

無くなった命は取り戻せない。
でも、心に残すことでその命は永遠を手に入れます。

数え切れないほどの被害者の命を私たちは受けとめて、そうしてこの先を生きる事。

それが私たちに出来るただ一つのことなのだと想います。

偉そうなことを言えるほど、わたしは何もできません。
けれど、こうして自分の想いを記述して提案し、それについてを「考える」こと……わたしにできる事はそれだけですが、それしかできませんが、それをし続けたいと想います。


本当に、自分の力の小ささを思い知らされた今回でした。
いろいろな意味で、自分には何も力がない。
けれど、できる事は……小さくてもできることは、自分にしかできないことは、絶対にあるはずだ。
それをしていくことだけはあきらめたくない。

……そう、強く感じました。


どうか、よろしかったら最初から最後まで読んでやってください。

【N-gene】記事「被災地に笑顔を届けよう~がれきの山を越えて >>「笑顔プロジェクト」と「被災地の現実」

その1 その2 その3 その4 その5 
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「支援する側のケアも必要」の記事はすべての人に大切な記事。~2
[2011/05/09 12:42] 生活・自然
1の記事より続きます。

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ただ一つだけ、間違えないで欲しいのは。

「自分がいなくても世の中はまわっていく」けれども……「自分がいないと、その分欠けた世の中になっていく」ということなんです。

決して「自分」の存在は無意味じゃない。
無意味じゃないからその存在がなんだか苦しそうにしていたら、周りはものすごく心配なんです。

人は、何で生きているのか。
自分のために生きている……それはまず、第一条件です。

でも、生きている喜びや張り合いを感じるのは、人の中に自分の存在を認められるときなのではないでしょうか。

人から誉められる、人から優しくされる、人と競り合って勝つ。
人が自分以外に存在するから嬉しいのです。

それは、自分にとっての周りの人間がそうであると考えると、周りの人間にとっての自分もそういう存在なんです。

だから、人が幸せを感じるためには、自分の存在がないとダメなんです。

逆に言うと、自分が不幸になったら、それを見ている周りの人も悲しくて不幸になる。

何も、人のために自分を削って頑張る必要は全くありません。
自分がそこにいて、誰かと一緒に笑ったり楽しんだりする、それだけで誰かを幸せにしているんです。

私もだから、たくさん笑いたい。
笑顔でいたい。

自分が笑顔でいることが、人を幸せにするのだと言うことがわかったから。
私が、私らしくあって、誰かのために生きたいという気持ちの中で、背伸びせず、自然に感じたことを伝えて人とあるのが誰かを幸せな気持ちにしているのだったら、私は無理せず自然にいたい。

……そう思えるようになって、ダメなときはダメだと、休みたいときには休みたいと、そう言えるようになりました。

そうしたら、今までは、病気のデパートのようにしょっちゅう風邪ひいたり寝込んだり熱出したりしていたのに、鬱の症状はおろか、風邪ひとつほとんどひかないようになったんです。

残念ながら、今までのいろいろから、夫婦の関係は解消することになりましたが、そう言う物事を通じて子ども達とは前よりもずっと、いろいろな話をし、お互いの気持ちを素直に提示しあえるようにもなりました。

そして、周りの人たちとも。

「頑張っている自分」を押しつけることなく、そして「相手のそのまま」を素直に受けとめながら、そこにある自分を感じて「居る」事ができるようになりました。

あなたが居ること。
それはとても幸せなことです。

あなたがそこにいる。
それは絶対に誰かを幸せにしています。

だからあなたは、そういう誰かのために、どうか幸せになって下さい。

苦しいこと、悲しいこと、辛いことも。
それが心に重くのしかかってくるのだったら、ひとりで背負わないで誰かにつぶやいてみて下さい。

そうして、誰かの助けを受けることは決して悪いことじゃありません。
疲れたら休むことも、決して悪いことじゃありません。
つぶれそうになるまで頑張るよりも、つぶれそうになる前に誰かに助けを求めて下さい。

一緒に乗り越えられたら、相手に微笑んで「ありがとう」って言ってみて下さい。
きっと相手は微笑んでくれるでしょう。
そして、その微笑みはあなたを幸せにするでしょう。

笑顔の力は。
何よりも大きな「ケア」の力を持っている……。


わたしはそう思います。
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